☆62 浄縁 前門 木板 後門 規矩 禅堂 決まり


昔 専門道場の禅堂で ある居士座禅会の座禅会に参加した時のお話です

制間とは言え 居士座禅会のために 本格的な禅堂で座らせて頂ける事は

本当に有り難いことだと いつも私は思っています  合掌

そもそも 専門道場の禅堂となると 居士を全く受付けないところが 多い

ですから 尚更感謝の念を 個人的には抱いております

前以って お断りしますが どこの専門道場か言いますと ご迷惑が掛ると

悪いですから 書きません



『禅のあれこれ』でも取り上げておりますが 禅堂での作法は結構 色々と

難しく大変なことは 確かです

入堂の仕方 単への上がり方 座り方 経行の作法 出堂の仕方など等

居士の坐禅会なんですから お年寄りで 足腰の悪い方も多く参加されて

いますから 修行僧の様に オーケストラのシンフォニーを聴いている様な

光景は 正直私も 全く期待いたしません  でも やっぱり専門道場の禅堂

でありますから 最低限の決まりは 守るべきと考えるのですが どうなんで

しょうか ?



実はその座禅会で 私自身 幾つかですが 疑問に感じたことがあります

専門道場でも 本堂とか書院で座るなら まだ大まかな作法で 宜しいかも

しれませんが 禅堂で坐るとなると 最低限 下記のことは守って坐るのが

居士であっても 責務なのではと 常々思っております



○ 禅堂に入る時ですが 決して前門から入らないで 後門から入ること

基本中の基本ですが これが 出来ない居士が結構多いのです

何故か それはそもそも 坐禅の経験者ですら 知らない方がまず結構多い

初心者や初めての方もおられるなら 本当ならぱ 主催者が矢印でも貼って

後門に誘導するべきと思える・・・  

更に言えば 後門から入るとしても 真ん中から入られる方が これまた

結構多い そして本来は 左足から入るのだが 右足からの方も多い

ただ そこまで気にしたら大変なので 今回は まぁ良しとしましょう

因みに 私も初めて行く禅堂は 前門と後門を私も 間違えそうになることが

あります 聖像文殊菩薩さまが 向いてられる方が前門なのですが中が暗い

場合は これでは結構解り難い

普通は文殊菩薩(正確には文殊菩薩とは限らないが)が 前門の近くに

ある場合が多いが 単にそれがやや多いだけで 中央にある場合 後門の

場合といろいろあって 正直それだけでも判断は出来ない

坐禅の途中からなら 普通は直日が座しているので解りやすい ただ場合に

よっては 侍者が後門の単頭単の末単に 坐している時もあって 注意する

必要がある

一番確かな確認の方法は 次ではないかと 思っている

禅堂の前門には 扉の脇に 『 木板 もっばん 』 が吊されている 時間を

知らせるためのものであって 一日に何度となく打ち鳴らされる


参考のため 木板の写真を 掲げておきます

     


この木板には 『 生死事大 光陰可惜 無常迅速 時不待人 』 と

通常は書かれています 

ですから この木板を見かけたら 前門と判断してください


そして反対に 後門出入り口には 『 禅堂規則 』 として板に書かれたものが

通常は 掲げられている  そして『 規矩 きく 』という場合もある

ですから 『 禅堂規則 』の板を見たら 後門として判断は出来ます


写真の中で 赤色に囲った板に書かれたものが 規矩です

     


そして規矩には こと細かな規則が たくさん書かれています


ともあれ 誰かの説明とか説明書が無い場合は 詳しくない方は 最初の

受付で一通り 尋ねられることをお勧めする

何故なら こんなこと そもそも始めての方は 知らないのが当たり前で

あるからである

そして うっかり 入っていっても 直日が注意してくれるかと言うと 大変

お歳を召した方で 居士であり その直日の祖父母くらいの方に 大声で

注意するのは それなりに 社会常識として難しいところが あるようです

するっと 坐禅会の幹事の方や古参の方が 注意することとなり それは

それで 何となく言うほうも 言われるほうも 愉快なものではない

ただ 静座中の専門道場の禅堂では 最低限 前門からの入堂は絶対に

させてはならないと 思うのだが どうなんでしょう


○ 禅堂で坐っているのに コートやダウンを着ている方 更には 短靴下を

履いたままの方が おられた まぁ書院等の坐禅なら良しとしても 禅堂では

如何なものかと 私には思える

酷い人は 防寒具を膝等に覆う方がおられるが いわんをやである

まぁ腕時計や 眼鏡などは そのままで良しとしても 可能ならば寒さ対策

として下に着込んで参加するのが 禅堂での坐禅の最低ルールと思うのだが



○ 実は これが私には 一番気になっているんです

これを読んでいる方は 多分私よりお詳しい方が多いので 心配はない

でしょうが 相当多数の居士の方々は 何気なしに 浄縁に足をつける

方がおられる事だ 専門道場でも 新到がするのを 二度ばかり見た

事がある  勿論 古参から容赦なく 叱責が飛ぶのだが

余談ですが 修行期間が一年程で 自坊に帰って 坐禅会等で居士を

指導している若い僧侶を見るとき 正直な話 そんなんで大丈夫なのかと

思えたりもしている 笑

それにしても 居士の場合は 浄縁に足をつける方が 相当に多い

酷いのは 抽解の時など そこに腰掛けて坐っているのがいる

もっと酷いのは 最初から椅子坐禅のつもりで 坐っているのがいる

正直 浄縁 これは 『 じょうえん 』 と読むのだが そもそも この規則

を知らない方は 専門道場の禅堂で坐る資格はないと 思っているが

どうなんだろう

浄縁じょうえん とは 坐禅堂の畳の縁(ふち)にある 木の部分であって

大変神聖なものとされている

何故なら 茶礼のとき茶碗を置いたり また大切な 講本を置いたりし

曹洞宗では 今でも食事の器を置いている

下の写真の 赤で塗り潰したところが 浄縁です




そんなことで 決して汚してはいけない 神聖な場所なんです

それにしても 誰が椅子坐禅を推奨したのか知れませんが 本当のこと

を言えば あの坐る座禅は 専門道場の禅堂には全く向きません

私の考え方が 少数派なんでしょうか

椅子坐禅が 最近一般的に普及した影響でか 禅堂でも うっかりすると

単に腰掛けて 坐って坐禅なんて始める方がおられ 吃驚です


で 結論として どうすれば良いかですが

回答は ごく平凡な ありきたりのものしかありません

初めて参加する方には 事前に十二分に 解説書を渡した上で

説明を行う しかし これは結構手間隙が大変ではあります

はっきり言って 説明書だけでは 全く不十分です  

それは 本堂とか大きな書院で 行われる場合を考えると 解ります

専門道場の禅堂以外で 多人数の居士の坐禅会では 必ず自分の前に

荷物とか 説明書などを置く方が圧倒的に多いです  こんなのは注意

しても きりがありません



そう言えば 今年になって 一度だけ 専門道場の禅堂で たった一人で

一時間半ほど 坐る事が出来ました  久し振りでした

久し振りに 邪念を捨てて 何も考えず只管打坐で 満喫しました 嬉





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