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☆63 黄流派 千光派の若干の考察 栄西禅師が日本に持ち帰った 臨済宗黄流派のその後は 栄西禅師が虚庵懐敞から 受け継ぎ日本へ持ち帰った 臨済宗黄龍派は その後どうなって いったので あろうか 簡単な考察をしてみることとする 栄西が 日本に持ち帰った臨済宗黄龍派は 千光派と呼ばれる事が多い これは栄西禅師の 国師号である千光国師から 文字を取って名づけられている 簡単に 達磨から法系を再度掲げると下記の通りとなる 菩提達磨・・中略・・黄檗希運→ 臨済義玄・・中略・・石霜楚円→ 黄龍慧南・・中略・・虚庵懐敞→ 栄西 栄西は 日本人で唯一人 臨済宗の黄流派を持ち帰った 僧として知られている さて 栄西の弟子達であるが 栄西自身が天台出身であり 更に天台宗の密教 に関しても 葉上流の祖とも言われるが その弟子達も 同じく密教との関係は近いと言える
上の表の通り 栄西の弟子というと 退耕行勇と 釈円栄朝の二人が 世代も近く 飛び抜けた存在であったと言える 明全は 確かに道元を通して 名は有名ではあるが 師匠の栄西と弟子の行勇と栄朝 二人とは ほぼ二十年以上の開きがあり 師弟として ぴったりであるが 明全に至っては ほぼ四十年以上の開きがあって 実際当時 明全が栄西の高弟と 言えるかどうかは 疑問である ただ明全が 中国宋に渡ろうとしていた事が 道元禅師にとっては 当時大きな意味 があったのではないか 次に 明全を除く 三人の弟子達 退耕行勇 釈円栄朝 天庵源祐の三人に関して 若干の考察を試みる ○ 退耕行勇 退耕行勇は 栄西の一番弟子と思われているが その行勇の有名な弟子となると 下の三人となろう 三人のうち 円爾と 心地覚心の二人は 釈円栄朝の弟子でもある 円爾はご存知の通り その後入宗して 無準師範より 楊岐派の圜悟克勤の流れの 禅宗を 日本に持ち帰ったとされている 一方の心地覚心も 入宗して 無門慧開より 楊岐派の開福道寧の流れを汲んだ 禅宗を日本に もたらしたとされる ただそうは言っても 円爾と心地覚心の二人も 明らかに栄西の流れを汲む禅宗も 引き継いでいたことは 間違いない
○ 釈円栄朝 釈円栄朝も 栄西の高弟と思われているが その弟子としては 行勇と同じく 円爾 と心地覚心があり もう一人 黄龍派の流れを考察する場合 大変重要な 弟子として 蔵叟朗誉を 加えなければならない 結局三人の弟子があげられる 円爾は東福寺の開山であり 心地覚心は ここ宇多野の妙光寺の開山であります
栄西から 退耕行勇と 釈円栄朝へ そしてその後の系譜
最初に 聖一国師の円爾であるが 歴史にもしもは禁物であるが あと十数年以上前に 生まれていたなら 退耕行勇と 釈円栄朝の弟子ではなく 活躍していた栄西の弟子と なっていたかもしれない その後 円爾は九州で 中国人商人の家で長く滞在して 中国語を習得してから 宋に 渡り 無準師範の法嗣となって 日本に帰って来たのである そして 円爾は東福寺の開山となり 二十派の一つ 聖一派の始まりとされる 一方の妙光寺の開山 心地覚心も同様に 退耕行勇と 釈円栄朝の弟子となった後は 曹洞宗の開祖 道元禅師からも 教えを受け 宋に行って 無門関で有名な 無門慧開の 法系となったのである それを日本に伝え 二十派の一つであり そしてそれを法燈派と呼ぷ そんなことで 円爾の聖一派と 心地覚心の法燈派に関しては また別の機会があれば 深く考察することとしよう そしてもう一人 栄西の弟子として 退耕行勇や釈円栄朝ほど有名ではないが 天庵源祐 という弟子の法系が存在する 出生没年が どちらもはっきりしないが その系譜は かなり長く続いている 更にもう一つの系譜は 釈円栄朝の弟子である 蔵叟朗誉である この僧は先述の円爾や 心地覚心と違って 年齢が十年近く上であり 栄西と相見したという 道元よりも更に 歳が上なので もしかすると 栄西の教えも直接受けていたかもしれない それを 頭に入れつつ 次の流れをご覧ください
上記表9の中で 天庵源祐はその法嗣は 臨済宗建仁寺派の八坂法観寺で暫く 続いていくのである そして 釈円栄朝の弟子である この蔵叟朗誉であるが 寂庵上昭に受け継がれ その後 龍山徳見に 引き継がれている 龍山徳見は 中国では無準師範の流れを汲む 法嗣でもあったが 彼は公然と 栄西から流れる法嗣の 寂庵上昭から 日本出国前に黄龍派の法を嗣いだとされている そして その黄龍派 龍山徳見の法は 無等以倫と 一庵一隣に引き継がれている 更にその法は 続いているのである |