☆63 黄流派 千光派の若干の考察

栄西禅師が日本に持ち帰った 臨済宗黄流派のその後は


栄西禅師が虚庵懐敞から 受け継ぎ日本へ持ち帰った 臨済宗黄龍派は その後どうなって

いったので あろうか 簡単な考察をしてみることとする

栄西が 日本に持ち帰った臨済宗黄龍派は 千光派と呼ばれる事が多い これは栄西禅師の

国師号である千光国師から 文字を取って名づけられている

簡単に 達磨から法系を再度掲げると下記の通りとなる


菩提達磨・・中略・・黄檗希運→ 臨済義玄・・中略・・石霜楚円→

黄龍慧南・・中略・・虚庵懐敞→ 栄西

栄西は 日本人で唯一人 臨済宗の黄流派を持ち帰った 僧として知られている

さて 栄西の弟子達であるが 栄西自身が天台出身であり 更に天台宗の密教 に関しても

葉上流の祖とも言われるが その弟子達も 同じく密教との関係は近いと言える


弟子
法嗣以外も含む
生誕年 遷化年
明庵栄西 虚庵懐敞 行勇 栄朝
明全 天庵源祐
黄龍派 千光派 1141 1215
退耕行勇 栄西 円爾 大歇
無本覚心
黄龍派 千光派 1163 1241
釈円栄朝 栄西 円爾 蔵叟
無本覚心
黄龍派 千光派 1165 1247
明全 栄西 道元 黄龍派 千光派 1184 1225
天庵源祐 栄西 済翁証救 黄龍派 千光派


上の表の通り 栄西の弟子というと 退耕行勇と 釈円栄朝の二人が 世代も近く

飛び抜けた存在であったと言える

明全は 確かに道元を通して 名は有名ではあるが 師匠の栄西と弟子の行勇と栄朝

二人とは ほぼ二十年以上の開きがあり 師弟として ぴったりであるが 明全に至っては

ほぼ四十年以上の開きがあって 実際当時 明全が栄西の高弟と 言えるかどうかは

疑問である

ただ明全が 中国宋に渡ろうとしていた事が 道元禅師にとっては 当時大きな意味

があったのではないか


次に 明全を除く 三人の弟子達 退耕行勇 釈円栄朝 天庵源祐の三人に関して

若干の考察を試みる


○ 退耕行勇

退耕行勇は 栄西の一番弟子と思われているが その行勇の有名な弟子となると

下の三人となろう

三人のうち 円爾と 心地覚心の二人は 釈円栄朝の弟子でもある

円爾はご存知の通り その後入宗して 無準師範より 楊岐派の圜悟克勤の流れの

禅宗を 日本に持ち帰ったとされている

一方の心地覚心も 入宗して 無門慧開より 楊岐派の開福道寧の流れを汲んだ

禅宗を日本に もたらしたとされる

ただそうは言っても 円爾と心地覚心の二人も 明らかに栄西の流れを汲む禅宗も

引き継いでいたことは 間違いない



弟子
法嗣以外も含む
生誕年 遷化年
大歇了心 退耕行勇 黄龍派 千光派 - 1240
-43頃
円爾 無準師範
行勇 栄朝
無関普門 東山湛照
白雲慧暁 無関玄悟
楊岐派 聖一派 1202 1280
心地覚心 無門慧開 道元
行勇 栄朝
高山慈照 南浦紹明
慈雲妙意 孤峰覚明
楊岐派 法燈派 1207 1298



○ 釈円栄朝

釈円栄朝も 栄西の高弟と思われているが その弟子としては 行勇と同じく 円爾

と心地覚心があり もう一人 黄龍派の流れを考察する場合 大変重要な 弟子として

蔵叟朗誉を 加えなければならない 結局三人の弟子があげられる

円爾は東福寺の開山であり 心地覚心は ここ宇多野の妙光寺の開山であります

弟子
法嗣以外も含む
生誕年 遷化年
蔵叟朗誉 釈円栄朝 寂庵上昭 黄龍派 千光派 1194 1277
円爾 無準師範
行勇 栄朝
無関普門 東山湛照
白雲慧暁 無関玄悟
楊岐派 聖一派 1202 1280
心地覚心 無門慧開 道元
行勇 栄朝
高山慈照 南浦紹明
慈雲妙意 孤峰覚明
楊岐派 法燈派 1207 1298



栄西から 退耕行勇と 釈円栄朝へ そしてその後の系譜



最初に 聖一国師の円爾であるが 歴史にもしもは禁物であるが あと十数年以上前に

生まれていたなら 退耕行勇と 釈円栄朝の弟子ではなく 活躍していた栄西の弟子と

なっていたかもしれない

その後 円爾は九州で 中国人商人の家で長く滞在して 中国語を習得してから 宋に

渡り 無準師範の法嗣となって 日本に帰って来たのである

そして 円爾は東福寺の開山となり 二十派の一つ 聖一派の始まりとされる

一方の妙光寺の開山 心地覚心も同様に 退耕行勇と 釈円栄朝の弟子となった後は

曹洞宗の開祖 道元禅師からも 教えを受け 宋に行って 無門関で有名な 無門慧開の

法系となったのである

それを日本に伝え 二十派の一つであり そしてそれを法燈派と呼ぷ


そんなことで 円爾の聖一派と 心地覚心の法燈派に関しては また別の機会があれば

深く考察することとしよう

そしてもう一人 栄西の弟子として 退耕行勇や釈円栄朝ほど有名ではないが 天庵源祐

という弟子の法系が存在する 出生没年が どちらもはっきりしないが その系譜は

かなり長く続いている

更にもう一つの系譜は 釈円栄朝の弟子である 蔵叟朗誉である この僧は先述の円爾や

心地覚心と違って 年齢が十年近く上であり 栄西と相見したという 道元よりも更に

歳が上なので もしかすると 栄西の教えも直接受けていたかもしれない


それを 頭に入れつつ 次の流れをご覧ください







上記表9の中で 天庵源祐はその法嗣は 臨済宗建仁寺派の八坂法観寺で暫く 続いていくのである

そして 釈円栄朝の弟子である この蔵叟朗誉であるが 寂庵上昭に受け継がれ その後 龍山徳見に

引き継がれている

龍山徳見は 中国では無準師範の流れを汲む 法嗣でもあったが 彼は公然と 栄西から流れる法嗣の

寂庵上昭から 日本出国前に黄龍派の法を嗣いだとされている

そして その黄龍派 龍山徳見の法は 無等以倫と 一庵一隣に引き継がれている

更にその法は 続いているのである






禅のあれこれメニューに戻る