67 居士坐禅会の発展  『 釈迦牟尼会 』


居士坐禅会 今回は 1920年に創立されました 『釈迦牟尼会』です

実は私が この『釈迦牟尼会』の存在を始めて知ったのは 平成の年号

になってからです『人間禅』と同様に 臨済宗の本流から派生しています



 釈迦牟尼会

○ その歴史

1 西山禾山老師


『釈迦牟尼会』は 1920年8月に 釈定光老師によって創立されました

と言いましても 釈定光(しゃくじょうこう)老師と言いましても 恐らくは

ピンと来る方は 少ないでしょう

しかし釈定光老師は 以前から私も名前だけは 知っていましたが 数年前に

少し調べる機会があったところ 思っていた以上に 立派な老師であったことを

その時初めて知った次第で 今回も再確認いたしました

そして この方が 創立した在家坐禅会なんだから それは立派なものでは

と思うようになりました


釈定光老師は 釈戒光老師の法嗣 釈戒光老師は 禾山老師の法嗣 そして

禾山老師は 越渓守謙老師の法嗣なんです  因みに越渓守謙は 曹源寺の

儀山善来の法を嗣いでおられます

もう少しだけ その師弟の過去の流れを調べてみることします

西山禾山老師は 1837年生 13歳の時 大宝寺に入り弟子となって得度

そして21歳で宇和島金剛山大隆寺 晦巌の修業道場に入門し禅僧としての

十余年を過ごした

その後は 梅林寺の羅山 正眼寺の雪潭 相国寺の独園の下で 修行した後

天授僧堂を開単した越渓守謙の 道風を慕い 越渓の下で修業した

そして 「一人前だ お前を教える者は もう今の日本にはいない」 と言われ

越渓の印可を授かった禾山は 後継残留という越渓の依頼を固辞し

十九年ぶりで大法寺に帰り 三十七歳で大法寺第十八世となった 固辞した

理由は一部には 出家者よりも衆生在家のため 在家坐禅の情熱に 燃えて

いたのではないかと言われている


2 釈戒光老師  釈定光老師

釈戒光は 二十歳で 雲照律師に師事 1894年高野山蓮華定院の真言宗の

浦上隆応について得度 1902年大法寺で 西山禾山に師事 1906年 禾山

の印可後 雲照寺に戻る  1920年 那須の雲照寺住職となる  すなわち

釈戒光老師は 西山禾山老師の法嗣であり その弟子として 名高い『獅子林の

六子』の一人である

同時に真言宗雲照寺 明治混乱時に真言宗の立直しを試みた 雲照律師直流の

戒律を相承した人でもある しかるに釈戒光老師は 雲照寺三世住職となった

その釈戒光老師の法嗣が 釈迦牟尼会を創立した 釈定光老師である

釈定光は 師の釈戒光に師事し 真言と律と禅の三学を修め 29歳のとき 定光から

嗣法した  そして師の釈戒光の願いである 雲照寺を継ぐように要請されたが固辞

雲照寺の座を辞退し 戒律を重んじる釈雲照の仏教復興運動の流れの中に 臨済禅を

考え 「これからの仏法は在家仏法にある」 として1920年に 釈迦牟尼会を創立

そして 臨済宗師家として 1922年に 根本道場 不二般若道場を建立した

私見を補足すると 全くもって『律』を無視している 日本仏教において この場で

『戒』に関して 私見を書くことはいたしませんが 釈定光老師が 『 一生妻帯せず

一日二回の食事 不飲酒 肉食せず 』 を徹底された禅僧であることは有名であり

ある意味本当に感服する次第です そして釈定光は破戒僧を 極端に嫌っていた

釈定光は不飲酒の戒を守れぬ 僧の参禅に非常に不快な態度であったという

釈定光の この姿を思い浮かべると ほぼ釈定光と同時代 米国で活躍した禅師

『 千崎如幻老師 』を 直ぐに思い出してしまう

千崎如幻はアメリカで禅の指導を行った先駆者 最初は 円覚寺の釈宗演の

サンフランシスコでの講演の侍者として渡米したのが始まりで その後はずっと

米国に滞在し 1928年にはサンフランシスコに 東漸禅窟を創設して活躍した

千崎如幻は 『 戒律に厳しく妻帯に反対 』であり 酒を飲み金銭を求め

独身でない日本の僧侶を 僧とはみず 禅宗本山には 完全に 背を向けて

しまった禅師の一人である

釈定光老師と同じく 大変に魅力的な 禅師であることは 間違いない

同じ時代に生きた 鈴木大拙は超有名人であるが この千崎如幻も その

双璧であると言えるほど 活躍された人物ではないでしょうか

アメリカでは 千崎如幻の死後 複数の有名な老師と呼ばれる 日本人の

老師が破戒に関する事件で 米国で頗る評判を落としている事実が発覚して

いる 残念ながら 何故かそれらは 日本ではほとんど 報道はされていない

のである 摩訶不思議なこと


千崎如幻については 是非別の機会に 述べてみたいと思う

皆様でもう少し 千崎 如幻 (せんざき にょげん)を 知りたい方は次をどうぞ

             ウィキペディアは ここをクリック


3 芋坂光龍老師 以後

1934年には 芋坂光龍老師が第二代会長そして師家となった

1931年から武蔵野般若道場で教えられ そこが釈迦牟尼会の 中心的もの

となった 道場には学生の寮等が設置され 多くの人達が巣立っている

但し当時の武蔵野般若道場等は 芋坂光龍老師遷化後返還されています

そして以後 第三代会長 常井龍禅師 そして現在の 第四代会長の

山本龍廣師に 引き継がれています

蛇足ですが 芋坂光龍老師という方も なかなか興味の湧いてくる老師です

明治以後の 日本禅宗史を 居士の側面から考える場合 一般の方が よく

ご存知であります 西田幾多郎 鈴木大拙が特に有名ではありますが 他にも

大変興味深い 居士並びに禅僧が 多数おられたことは 間違いない真実

だと思います


〇 その活動

会員数と活動の面から言いますと 臨済禅の居士坐禅会としては おそらくは

人間禅の次に大きい団体だと言えます  二つの道場を中心に 三鷹 長野

阪神等にも展開している

ただ接心会のための 師家は 会長の山本龍廣師だけのようです 師家が他に

おられるのかは 調べておりません

そして『釈迦牟尼会』と 前回の『人間禅』ですが ご存知の方もおられましょうが

平成28年7月に 人間禅擇木道場の創建百年記念の行事として 禅フロンティア

『釈迦牟尼会と人間禅』 という講演会が擇木道場で開催されました

私は参加してないので 知らないですが 確かに古い歴史ある 在家坐禅会の

トップが対話したのは それなりに意義があったことでしょう

考えると 両方とも 戒律が曖昧な日本僧侶にはならず 一般人のまま禅を志し

悟りにいたる 新しい時代の 在家坐禅会なのかもしれません

また 釈迦牟尼会では 行事予定等を掲載した機関誌 『 禅味 』を年間六回

発行している


〇 公案

『釈迦牟尼会』は 臨済宗西山禾山老師の流れでありますから 公案を

用いた 入室参禅が実施されている

釈迦牟尼会の公案体系の中には 当然に白隠禅師が体系づけたものが

中心であるが 相当数 禾山老師が始めた 公案が入っているというが

実際のところは 会の公式発表ではありませんので 念の為

『 人間禅 』のところで 書きましたが 臨済宗専門道場では 公式に

京都市内で 在家居士の入室参禅を 認めているのは 相国(大通)僧堂

だけで 『智勝会』の会員だけです

その時少し言葉足らずだったのか 質問があり 若干補足しておきます

言ったのは 臨済宗専門道場に限ったものであり 妙心寺大衆禅堂で開催の

一泊坐禅 光雲寺(南禅寺禅センター)での一空会等などは 老師による

居士のため 入室参禅を実施しておられます

付け加えれば 妙心(天授)僧堂師家も ある居士坐禅会では 居士参禅を

受けられています


相国寺坐禅会の『 智勝会 』の関連HPは  ここをクリック下さい



〇 臨済宗系法脈図

『釈迦牟尼会』が示している 臨済宗の法脈は次の通りと思います

白隠慧鶴 → 峨山 → 隠山 → 太元 → 儀山 → 越渓守謙

 → 西山禾山 → 釈戒光 → 釈定光 → 芋坂光龍 → 常井龍禅

 → 山本龍廣

釈迦牟尼会も 白隠から西山禾山までは 並んでいる名前は 少しでも日本

の禅宗史を勉強した方は 知っている僧ばかりである

これも 本流の一つの流れであろう


〇 実際の坐禅道場

  ☆不二般若道場 根本道場

  ☆東京般若道場 本部道場

その他地方支部

  長野禅会  三鷹禅会  阪神禅会


〇 自分で 人間禅について調べる方は 下記のリンク先を ご利用ください


        ☆ 釈迦牟尼会

        ☆ 釈迦牟尼会東京道場

        ☆ 長野禅会






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