68 居士坐禅会の発展  『 三宝教団 』


 三宝教団

居士坐禅会 最後は 国際的な組織団体として有名な 『 三宝教団 』です

三宝教団のホームページによれば その設立事由等は 以下の様に なっている

1954年に1月8日 安谷白雲( やすたに はくうん )老師によって結成された

禅仏教宗教法人である

安谷老師は 当時の曹洞宗門の僧侶たちが表面的な仏事法事の遂行に忙殺され

真の自己を徹証するという 大切な修行に専心するのを怠っている様を嘆き 曹洞宗を

離脱 主として在家の真剣な求道者らを対象に 独立の宗教法人・三宝教団を設立した

三宝教団の基本的性格は曹洞宗のそれである そして臨済宗門における公案参究の

方法をも統合している

        ☆ 三宝教団のホームページ



○ その歴史

1 原田祖岳老師


三宝教団を考える場合 初祖の安谷白雲老師の師である 原田祖岳老師から考える必要

があると思う

この原田大雲祖岳老師(1871−1961))は 曹洞宗の 戒律継承者である 当然ながら

老師は生涯妻帯されなかった 原田祖岳老師は 原田祖道老師(1844−1931)の弟子

であり 道元禅師から数えて 32代目の老師であるという

また臨済宗の 河野霧海老師の師匠 豊田毒湛老師(1840−1917)の法嗣でもあると

されている

因みに 原田祖岳老師は 臨済宗の名刹 正眼僧堂の修行時代もあり いろいろと

活動範囲が多く 我々凡人には 理解出来ない 不思議な老師であるとも言える

原田祖岳老師には弟子が大変多く その一人で有名な弟子である 安谷白雲老師が

設立したのが 三宝教団である

そして 三宝教団が 余りにも大きいので それ程目立たないのですが ちょっとだけ

三宝教団の本題の話から それますが この大物老師の影響を受けた 人達は他にも

相当数にのぼっています ここで少しだけ 例示してみますと

一 若狭小浜にある 曹洞宗専門僧堂 発心寺での修行のやり方と そして弟子であり

  法嗣でもある 原田雪水老師 原田雪渓老師への影響  そして直近くの仏国寺の

  法嗣であり弟子の 原田湛玄老師への影響 (みんな血縁ではなく養子)

二 アメリカで活躍し 大菩薩禅堂金剛寺を建立した 嶋野栄道老師 そして

  ロスアンゼルス禅センターを建立した 前角博雄老師にも 大きな影響を与えた

  因みに嶋野老師は臨済宗 そして前角老師は曹洞宗であるが ただ当時の方々は

  中々 臨済宗曹洞宗とどちらも 修行されている方が多い 今の日本ではちょっと

  考えにくい しかし どちらも 公案の参禅をなさっていた

三 原田祖岳老師の法嗣である 東照寺の伴鐡牛老師(1910−1996)からの

  発展と拡大

  東照寺は 原田祖岳老師老師が 発心寺の東京出張道場として 伴鐡牛老師が

  建立されたものである

        ☆ 原田大雲祖岳老師ウィキペディア



2 安谷白雲老師

安谷老師は1885年に生まれ 13才で曹洞宗の僧侶となり その後原田祖岳老師の

嗣法者となり  三宝教団を成立させた

前述したが坐禅も面壁であって 曹洞禅であるが 公案による参禅を 実施するのを

受け継いでいる

安谷老師は 原田祖岳老師から 引き継いだ 公案のある曹洞禅で教線を拡げ

日本国内はもとより 1962年以降は ヨーロッパと アメリカにも進出して 多数

の修行者の指導に当たった

その功績があって いまや 欧米世界各国にある三宝教団の 海外勢力は既存の

仏教教団を凌ぐ 勢いといえるかもしれない


それにしても 曹洞宗には 昔から臨済宗の公案による入室参禅は なかったんだろうか

結構な論争があった様ですが・・・  どうも 話の概要がつかめない

原田祖岳老師は 『 道元禅師は 独参をしていた 』と 大本山永平寺にも対抗された

という  そんな理由からか 原田祖岳老師は自らも 臨済宗の老師方に師事された

のであろう

別に 『 曹洞宗に 公案ありや なきや 』 に関して 詳しく調べた訳ではないんですが

単なる想像の範囲をこえないですが 私は形式は 今の臨済禅(そもそも 今の入室参禅

の形態は歴史が浅いと 考えられる)の方式では ないとしても 何らかの形であったと

考える方が 自然と思うのですが 無理ですかね

因みに 曹洞宗の場合 参禅とは 『 坐禅することこそ参禅である 』とされている

また独参 入室と言っても 『 修行上に於ける問題点などを質疑応答することで 1人ずつ

親しく指導するために 3と8の日に行うもの 』という


ご存知の方も おられましょうが 隣国 韓国の最大の仏教宗派は 『 曹渓宗 』です

そして日本では 曹渓宗は 何故なのか 曹洞宗に近いと 言われています

何故なんだろうと 考えたが 思い当たるのは 坐禅の基本が 面壁坐禅である

ことで そう思われているのでは ないだろうか と単純に考えてしまう

もう一つ言えば 食事も禅堂でとることになっているのも 日本の曹洞宗とは同じ

形である 更に言えば 田舎や山にお寺があり 信者は一般庶民が多い・・・

そんなことが似ているので 単純に思っている方が意外と多いのではないか

しかし 今の日本の曹洞宗は昔と違って 大本山総持寺は 北陸の山奥から大都会

横浜に移転 永平寺の巨大な別院も 長谷寺として 東京にあり 昔とは全く状況は

違っている  さて都心に近づくべからずと言った 宗祖 承陽大師の道元は 現在の

状況を はたしてどう思っているのだろう

さらに言えば 曹渓宗は明らかに 馬祖禅の流れもあるから 参禅もあるのであり

李法山 東國大學教授の論文『 韓国禅院生活について 』 から引用する

以下はその引用文

『 禅室において坐禅は一般的には結珈朕坐または半珈跣坐をし面壁をするが精進

大衆が多い時には 対座をする場合もある −ーー−− 中 略 −−ーー− 

曹渓宗とは 六祖慧能系の禅宗であるという意味であるが 五宗禅家のどちらにも

傾いているのではない 韓国の禅は四祖道信以後 慧能系の南宗禅と五宗家風が

共に伝来され韓国禅の特色を作り上げたので 曹渓宗の儀礼も 中国と日本に比較

して見ると どちらの宗派と名づける事は出来ない 』 以上引用終り と書かれている

坐禅に関して言えば 対座もありと書かれている  面壁 対面の坐り方であるが

中国でも昔は 恐らくは面壁であったろうから 面壁であっても普通だと 考えられる

教授の論文では 曹渓宗は 臨済宗 曹洞宗のどちらでもなく 慧能系の禅宗という

私には もう一つ理解は出来ていませんがね  慧能系の禅宗とは具体的に 何を

指しているのだろうか 五家七宗禅すべてを網羅したものであろうか

        ☆ 安谷白雲老師のウィキペディア



3 山田光雲老師 以後

三宝教団のHPによると 山田老師は 原田祖岳老師から受戒  その後門下の

安谷老師を招聘し 「鎌倉白雲会」 を結成 そして安谷老師より嗣法

1970年には 安谷老師に替わり 教団のトップ 二祖となった


出家されたのが 43歳と大変遅く それまで 在家のまま経済活動をされていた

から どちらか言うと 二祖 山田光雲老師の時代から 一気に 在家座禅会の

趣が強くなったと言えます

その後 三祖 窪田慈雲老師が そして 四祖 山田凌雲となり 現在にまで

いたっている


〇 海外での活動

三宝教団の場合 余りにも 海外の支部が多く 考えるに 既存仏教の各宗派

でも これほどの勢力を持っている 組織はあまり無いのではと思えてしまう

禅指導者のいる国は イスラエル 英 国 オーストラリア オランダ アメリカ

カナダ シンガポール スイス スウェーデン スペイン 中央・南アメリカ

ドイツ フィリッピン フランス と大変多い

特にドイツには 20人以上の指導者が列挙されている

海外の活動は 大変活発であって 既に数多くの外国現地人の 禅指導者の

育成に成功したといえよう

これからの将来が 楽しみな感じを持たせてくれる

        ☆ 三宝教団の指導者のいる国々


〇 公案

『三宝教団』は 一つは曹洞宗の道元からの流れであり それは 原田祖道

→ 原田祖岳 → 安谷光雲と続く

そして臨済禅の 豊田毒湛老師から 原田祖岳老師に 嗣法され 続いて

いるということで 入室参禅が実施されている 白隠禅師が体系したものに

原田祖岳老師が それを改善工夫されたものが 安谷老師に 受け継がれ

今日至っていると 言われている

正直 坐禅だけを考えると 唯只管坐る 又は数息観しつつ 公案の粘定しつつ

坐る 大日如来と一体となり坐る 或いは 自己を見つめ 気づきに重点を

置いて坐る 更には 欧米からのマインドフルネスを取り入れたもの 数えると

結構な坐り方がある

ただ坐るだけで 出家在家を含めて 個々修行者の修行の進捗程度を 本当に

見極めることの出来る 老師がそんなに多く この世に 存在するのであろうか

全く在家の一人として どうしても 疑ってしまう 懺悔

そう考えると 公案は修行の進捗度合いを図る 一つの手段としては それなりに

合理的なものと 思えて仕方ない

もちろん 一つの手段にしか過ぎないことも事実でありますが・・・・・・

二百五十年前の江戸時代に 公案を体系化した 白隠禅師は歴史の流れを

見れば 先の時代を見通した 鋭い洞察力を持った方と言わざるをえない



〇 臨済宗系法脈図

臨済宗の法脈は 豊田毒湛老師の法嗣となっている限り 次の通りなんですかね

白隠慧鶴 → 峨山慈棹 → 卓洲胡僊 → 妙喜宗續 → 迦陵瑞伽

 → 潭海玄昌 → 豊田毒湛 → 原田祖岳 → 安谷白雲

それにしても 『 老師 』 『 師家 』 という言葉は 使い方が難しい

臨済宗の『 老師 』というのも 定義とかなると 大変難しいのであります  実際

は 何となく解る程度であって 釈然としない 同様に 『 師家分上 』と言うのは

更に解り難い

曹洞宗の場合 師家とは 『 師に入室参禅して その印可証明を受けている必要が

あるが 現在の日本曹洞宗では 師家分限を設けて資格を定めている 』と書いてあり

こちらは『 師家分限 』という言葉出てくるが 凡人の私には今一つ解らない

そもそも曹洞宗の『 老師 』という使用の仕方は さっぱり解らない まぁ専門僧堂の

師家は 一応 老師と呼べるでしょうが  どちらにしても 曹洞宗はもう少し 老師の

定義をはっきりさせる 必要があると思うのは私だけでしょうか

澤木興道老師と言うのは 何も疑問を抱かないが 単に法階の上の人や年取った僧の方を

老師と呼ぶのは どうなんでしょうかね



〇 実際の坐禅道場

日本での 坐禅会の状況で いくつかあげると 次の通りとなっている

☆ 三雲禅堂 禅会

     坐禅会(2月と8月を除く毎月第2、第4日曜日)

     接心年に4回  3月 7月 9月 12月

     三宝教団本部(三雲禅堂)

☆ 坐禅の会 Circle of Zen

     毎月 第二・第四、火曜日 17時〜18時

     東京都渋谷区 聖心会第三  Facebookへ

☆ 大阪白雲会

     毎月 第4日曜日および その前日の土曜日

     土曜日7:00〜9:30 p.m.  日曜日5:00 a.m.〜3:00p.m.

     場 所: 慈願寺

それにしても 三宝教団の場合 カトリックの 修道院聖堂の坐禅会場

当然に 曹洞宗のお寺 他にも 念仏坐禅の浄土真宗(単立)の 修行道場

があって 時代の変遷の流れを 先取りしているのかもしれない

言えば 明の時代には 中国では念仏禅が 主流となったと言われるが

日本でも 現在それが存在することを 三宝教団の禅会の紹介のHPで

初めて知りました

これを見て 日本国内をみても 三宝教団はかなりの 勢力を持っていると

言える


〇 自分で 三宝教団について調べる方は 下記のリンク先を ご利用ください

        ☆ 三宝教団

        ☆ 原田大雲祖岳老師ウィキペディア

        ☆ 安谷白雲老師のウィキペディア




☆ 居士坐禅会を述べた後の愚者の感想

臨済宗の流れの 『人間禅』と『釈迦牟尼会』 曹洞宗の流れの 『三宝教団』の三つの

居士坐禅会を 今まで見てきました

その他にも 無数の居士坐禅会が存在しています 一方 曹洞宗臨済宗のどちらでも

よろしいですが 日本にある禅宗の寺院で さて何パーセントの寺院が 檀家や近隣

居士のために 坐禅会を開催しているでしょうか

恐らくは 吃驚するほど 低い数字が出てくるでしょう  既にかなりの地域では 既に

寺院が開催している坐禅会よりも 広い意味での 居士坐禅会の方が 既に盛んに

なっているとも言えます

そして本山が開催する坐禅会ですが なんとなく 既に行き当たってしまっている という

感じを持ってしまいます

例えば臨済宗の場合 本山や専門道場での坐禅会の場合 制中は無理としてもせめて

制間の時には 何度かは 専門道場の禅堂で坐れる様にならないか いつも思っている

特に本山の専門僧堂禅堂の場合は 坐れない感がある

毎回不特定多数の 多くの方が集まって 一時間にも満たない坐禅 そして読経と

老師等の 提唱や法話が一時間 それにあるとすれば 茶話会や 経行 その程度

何度も書いてますが 参禅を実施しているところは ほとんどない

一方今回取り上げました 居士坐禅会は全て 入室参禅を実施しています

誰もが知っている 有名なお話で 夏目漱石が27歳の頃 神経衰弱を鎮めるため

鎌倉の円覚寺で参禅し 釈宗演老師から貰った公案が『父母未生以前本来の面目』

というものであり これがなかなか透過しなかったという  こんな話を知ると誰だって

一度は公案に興味が惹かれるのは 自然と思うがどうでしょう

更に 昔の時代は多くの居士が参加したと 聞いていますが 専門道場での老師提唱

も以前程 門戸は開放されていない印象を持っているが どうなんでしょう

単純に思うに 修行僧のための 提唱を一緒に多くの居士が 聴くとことは プラスが

あっても 何一つ マイナスはないと考えているが どうなんだろう

このままの状況が続けば ますます居士坐禅会の方が 活発となり 結果的に多くの

居士が 居士老師より印可を受け 新たな老師となって 活躍する様になるであろう

なぜなら 居士坐禅会と言えども やはり宗教法人であり 組織の大小は別としても

やはり 老師の印可があるとすれば 老師と言わざるをえない

それでも曹洞宗の 『老師』という使い方よりは 筋が通っていると思うがどうでしょうか

確かに言えば 居士坐禅会の主張している法脈図は 間違っているという意見も

あることは十分に承知しているが そんなことを言えば 達磨の存在や 六祖慧能の

存在だって 実際は解らない面が多い 言い出せばきりがない

そんな風に ならないためには もう少し 曹洞宗も 臨済宗も スピード感をもって

より良くなる方向に 改革されることを 念じてやまない






禅のあれこれメニューに戻る