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NO71 相国寺大通院僧堂 七朝帝師遺誡 臨済禅師1150年 白隠禅師250年報恩坐禅会 平成27年4月5日に開催 雨のなか 京阪電車の出町柳駅から歩いて同志社前 そして相国寺へ 傘をさしてはいたが 相当な雨で 結構濡れてしまったが なんとか大通院の 入り口に辿り着いた 今思えば 相国寺の大通僧堂で 坐禅をするのは 平成7年1月に遷化された 今は亡き 止止庵 梶谷宗忍老師が管長の時であるから 相当に 昔の時代と なってしまった 相国寺の大通院にある 大通僧堂(相国僧堂)は 原則非公開寺院ですので 通常は 見学することは出来ません そうしたなか 以前より 相国僧堂は 本格的な居士坐禅会 『 智勝会 』が あり 禅堂での月二回の例会 接心参加 更には一部には 老師への 参禅も 認めている 数少ない 臨済宗本山の僧堂であります 詳しく知りたい方は 次の 相国寺のホームページをご覧ください 相国寺ホームページの 坐禅会 智勝会を見る まずは 受付けで名札を受け取った そうするとなんと直ぐに 帰りの土産を 頂くこととなった そしてその中を見ると いつもの経本と 臨済録のプリントが同封されていた それと 本日のスケジュール表も入っていた 直ぐに 本坊方丈で 韜光室 小林玄徳老師を迎えて 般若心経の読経 読経中に 僧堂老大師の三拝 そして 老大師の退場後に その方丈での当日の予定の説明 当日の日程表は 下の通りです 因みに 日程の中では 『 一 20分で3 経行有 』とか書かれているが この『 』という漢字は 環境依存文字であるため ウェブの世界で表示するのは 問題があるので 「 」 は「回」という言葉を使用して これからは書くこととします ![]() そして愈々 全員で方丈から 禅堂への移動 スリッパを履いて 下の渡り通路を歩いた ![]() 上の渡り廊下です これが結構長い 歩いて一分程度です 因みに 私が携帯で撮ったのではありません 基本的に私は 坐禅会には スマホは邪魔になるので 市内の坐禅会では 滅多に持って行きません 大体 写真を撮るつもりで参加すると どうしても 坐禅に集中出来ないですから 只管打坐にとっては 写真撮影はマイナスだけあって プラスはないと思います 今日の様な 大雨の日は助かりました この渡り廊下には 屋根が付いて いるからであり あまり濡れることはないからです そして事前に大通僧堂の禅堂について 次の様な説明があった 相国寺の禅堂は 他の禅堂と違って 次の特徴がありますと 1 歴史が古い 1820年 有名な 誠拙周樗禅師により 正式な開単となっている 2 珍しく 四方単である 3 大きい 4 文殊菩薩の聖像ではなく 摩訶迦葉尊者が祀ってある 下の写真は 摩訶迦葉がある 僧堂の中である ![]() 因みに これも私が携帯で撮ったのではなくて ネット上にあった写真であります それと私は 基本的に 滅多に禅堂の中の写真は 禁止かと思うので撮らない ですね。 始めて来た方には この四方単の禅堂で坐禅するだけで十分に値打ちがある と 間違いなく 思いますね いよいよ 禅堂へ 直日に着いて行って 坐禅堂に入り 私は一番目に行ったから 何としたことか 隅である 一番端に座ることとなってしまった 座った瞬間拙いと思った なぜなら 四方単の隅は 警策が 極めて受けにくい いや 違うな 直日からみて 警策がいれにくい場所であったから 警策を一度お願いしようと 最初に警策の受け方を確認していた すぐ前にいる 修行僧に対して直日がするのを見ていると 警策の入れ方は 右そして左 そして 切替動作を必要とする型式であった しかも修行僧は 絡子を懐に入れてから警策を受けていた ただ 以前のNHKの放送録画を見直したとき 絡子を膝に置いていた僧も 見受けました まぁ普通は気にしないですから これは読み流してください 何故かと言うと 私は専門道場の禅堂の場合は なるべく絡子を つけていくこととしているからである そして二回目終了後 経行となった 何人かの方が 二便往来で経行から外れるが 一回限りの 坐禅会では 自分の前後の人を良く記憶しておかないと 東司から戻って来た時に その経行の何処から入れば良いのか 判らなくなることがある そして本日も そんな方がおられた そして ここの経行は 結構長く続けられた 大通院の禅堂は大きいから この禅堂の一周は 結構あり 経行の時には それを実感する そしてこの時 東司に関して 次のような説明があった 一 スリッパを履きかえる 二 用を足す 三 手洗いは 柄杓で水を一杯掬い まず左手を半分の水で濯ぎ 続いて 柄杓を持ち替え 右手を後の半分で漱ぐ そんな事をしているうちに 斎座の時間となった 全員で 禅堂から書院に移動し いよいよ斎座である そして 一人一人に 饂飩ののった 膳が配布される 般若心経や 十仏名などは唱えず 五観の偈だけ唱和し すぐに飲食 食べ終わると 私は出汁も飲み干した その前に 一応聞きました 「この出汁は 飲み干すんでしょうか」 「別に 無理に飲まなくて 宜しいです」 飲み乾さなくて 構わないと聞いて安心したので 逆に飲みほせました 更に 今回珍しく 次の様な一応説明があった 実は他の 報恩坐禅会ではなかったと思う 意外と居士坐禅会では あまり煩く言わないところが多いのだが 「箸は 皆さんが食事が終了するまで こうやって手に持っています」 そして洗鉢して終了 最後に 斎後の読経を言って終了 斎坐ではないが 丁度その饂飩が登場している 良いものを見つけた 何かと言うと それは 相国寺僧堂の うどん供養の動画である 結構 参考となるので 「 うどん供養 」の作法も 一度見て見ましょう これはNHKの放送で 私が録画しているものと違って アーカイブの所で 大変ショートに 短い判ですが 動画で みられます しかも最初には 禅堂内部の様子もちょっと ご覧になれます NHKの公式のチャンネルですから 大丈夫です うどん供養 〜京都 相国寺 そして その後 再び僧堂へ ここで 直日の方に 昔来た時は 記憶違いかもしれませんが確か 坐禅のときは結び手 白隠流だったと思っていたんで 次のように 尋ねた 「皆さん法界定印ですが これは禅堂の修行僧の皆さんが そうなんですか 今では 多くの臨済宗の専門道場が 手は 結手 又手だと思いますが」 「そうですよね」 と直日さん 「疲れないですか 法界定印は」 「確かにそうですね 多分前の老師から そうなったんではないでしょうか」 「そう言えば 南禅僧堂は 法界定印のようですね すると法界定印なのは 前の拈華室 田中芳州老師が 長く南禅寺僧堂で修業されていましたから その影響なんでしょうか でも疲れませんか」 「確かにそうですが まあ 郷に従えですから」 「なるほど」 そして坐禅一回して 愈々 提唱である 大悲呪のプリントが 急いで配られる 老師の入場 大悲呪が開始 それに伴って 老師は三拝 ゆっくりとした速度 そして次の読経が 七朝帝師遺誡(開山国師夢窓国師遺誡) 『我に三等の弟子あり』と 夢窓国師遺誡を唱和するのは 実に 久し振りであった 折角なので 下に 七朝帝師遺誡(開山国師夢窓国師遺誡)の 全文を掲げる
それから 提唱が始まった と、ともに いつもの様に 老師様の声が 母親の子守唄の様に聞こえた そして やはりというか 眠くなってしまいました 懺悔 しっかし 意外と早く時間がたった 思っている以上に早く時間が 経ってしまった感じがする もしかして 寝ていたのであろうか 最後には 四弘誓願文を唱和して終了 で 提唱の中のお話は次の通りである 結構私にとっては 実は難解なところでありました 臨済録の『 四科揀 』の ところです 臨済録の原文と言うか 当日の 提唱の範囲を下に掲げておきます 解釈などは 各自自力本願で 仏道に励んでください
最後に 禅堂に戻って もう一回坐した その後 書院に戻って 記念撮影となり実践は終了 今回記念に頂いた 韜光室 小林玄徳老師の色紙は次のものです ![]() そして終りの頃には なんと雨が 一層の土砂降りとなっていた 法堂などの見学コースは辞退して 帰ることにした と言うよりは 相国寺は何度も見ているので 土砂降りの雨の中 見学は 正直なところ 気が進まなかったからです 懺悔 懺悔 それにしても 今回久し振りに 大通院僧堂で坐禅することが出来 冥途への良い思い出と 楽しい時間を過ごす事が 出来ました そのうえ 老師の墨蹟色紙を頂き 土砂降りの雨の中を往復したのも 今となっては 良かった事ばかり 思い出します 相国僧堂に 感謝 合掌 |