☆76 徳源僧堂 報恩坐禅会

臨済禅師1150年 白隠禅師250年 報恩坐禅会

                        平成27年4月21日


妙心寺派管長猊下で江松軒 嶺興嶽老師が 僧堂師家でもある

名古屋の名刹徳源僧堂へ出掛けて 報恩坐禅会に参加して 本当に

大変重厚な坐禅堂の中で 坐禅が出来 良き想い出となりました


昨日は大雨であった

しかも昨晩は 友人の通夜もあって 結構大変であった

朝起きると くもり なんとか雨ではない

そして 草履を履いて 出発したのは午前六時四十分過ぎ

新幹線に乗って 一路京都から名古屋へ

名古屋駅から中央線に乗り換えて 大曾根駅で下車

頭で計算していた通りに 南出口から出ることに

そして 途中でスマホで場所を確認して あとは徳源寺までゆっくりと

歩いた

徳源寺の玄関に着くと 既に受付を済ませたと思える 相当数の人が

何処かへ行くのか すれ違った

受付で いつも通り一番上に自分の名前がある 出席者名簿を見つつ

名札を受け取って 集合場所の 本坊の方丈へ

ここは尾張名古屋 私は外様であるから 一番の末席に 座ることにした

出席者は 確か27名だったか 不確か そのうちの十人はどうやら

この徳源寺の坐禅会のメンバーなんであろう 前の方に座られていた

坐禅会は『 直心会 』と言い 参禅もある 大きな立派な坐禅会である

折角なので 徳源僧堂の座禅会 直心会の禅堂内での坐禅等の様子を

     徳源僧堂の坐禅会での 禅堂の様子

見られましたか 参禅あり しかも専門道場の禅堂で坐れます

当日は他にも お寺の檀家の方々が 相当数おられる感じがした

坐禅会の服装は 統一された服装であり 壮観な印象を持った

他の参加者は 若い方も数人はおられたが やはり相当年配の方が

多いと思った 当然に お寺の坐禅会の方と 檀家の方が多く

いつもそうだが 一般参加の方は 思っている以上に少なかった


そして導師がいないまま 読経がスタート

般若心経の読経

受付で貰ったスケジュール表では 消災呪も書かれていたが省略となった

経本に書かれていないからとの理由

そして その方丈での当日の予定の説明

下が当日配られた 予定表です



予定表の下のところに 「初めての方ばかりでございますので・・・」と

書いてありますが 実際は私が参加した報恩坐禅会の中で 最も

参加者意識が 高いものでありました


予定では 老師の提唱 そしてその後 写経であったのが

逆になることになった

続いて坐禅の時間となり 本堂から一旦外に出た

そこで履くのが 藁草履

特に私が履いたのがそうなのだが いかにも年季の入った様子の草履であった

そこから 歩いて少しばかりのところに 坐禅堂はあった

この禅堂は 文久2年(1862)円福僧堂の蘇山を請じて雲水修行の専門道場が開単

され 禅堂は開単当時の建物であり 第二次大戦からも免れ 徳源寺では最古の建物

である そして平成10年には解体修理されたという

それを知ると 確かに禅堂は頗る年代物で 重厚感が溢れている 禅堂と思えた

そして この禅堂から 巣立った修行僧は相当な数であるかと考えると 建物の重みを

更にぐっと 感じぜざるをえない

なお 坐禅会の直心会は 毎週土曜日午後六時より となっている またその他にも

徳源寺の歴史などに関しては  ここをクリックして 徳源寺のHP  で詳しいことを

ご確認ください

また下には 当日頂いた徳源寺の『妙心寺派 蓬莱山 徳源寺』というパンフレットの

沿革を そのまま載せておきます






禅堂の中は 人数的には 直日単と単頭単で 24名程か

正確には数えていないが そんなものであろう

そして 中単で16名程 坐れる程度で 合計で約40名程か

HPによれば 坐禅会では

一般居士は中単に坐ることとなっている

そして当日 私は残念ながら中単であった やはり日頃の行いが悪いのか 笑

どちらにしても 実際雲水の坐る禅堂で こうして坐禅が出来るのは 何といっても

いつもながら 居士にとっては 本当に大変ありがたい

そして それなりに長い坐禅の説明のあと 第一回目の坐禅

初めての僧堂なので 今回は 早速警策を受けることとした

因みに 普段行く坐禅会では 滅多に警策は受けることはない

ただ どうしても初めてのところは 一度だけは受けてみたくなる


抽解があって 二回目が始まる

何故かここの坐禅会は 警策をお願いする人が 珍しく意外と少ない

そして 坐禅が終了して 昼食の斉坐へ

前門から出堂して 食堂へ

一つの大きな入れ物一つに 四人が囲む形となって

とりあえず 般若心経を唱和

そうそう忘れていたが 最初に方丈で 箸と布巾と雲水鉢を

預っていた

そして 大きい順に 左から並べた そして一番小さい鉢に二番目の

鉢を上から重ねて二つとした

幾つもの種類の薬味があるから 大きな鉢に投入

ついで 添え物があるから 次鉢に入れる

そして 出汁が回ってくる これは辛いからほんの少し目

そして

五観の偈は何故かなくて 若干肩透かし そして

「いただきます」でスタート

つるっつるっつるっ

箸を出汁につけない様に いつも心掛けているが 意外と

それが むつかしいものである

私は 一度お替りしたが

相変わらず ゆっくりしている方がおられる

テンポの不揃いは 結構こう言う時は 気分を害する

そしてうどんの後 なんとまだ ごはんの給仕があった

それと 漬物の沢庵の給仕だ

そして食べた後 鉢を沢庵と湯で濯ぎ綺麗にした


昼休みのひと時 外へ散策に

ちょうど 玄関近くで 一人の修行僧の方がいたので

そこで 立ち話

「懐古館は 相撲の時に使われるのですか」  懐古館は先述HP参照

「そうです 名古屋場所では 千代の富士部屋がいつも使っています」

「懐古館の あの中で 土俵を作るんですね」

「そうです ここから見える あのグリーンビニールの所が土俵です」

「昔から 名古屋場所では何時もですか」

「昔は知りませんが 私が来た時からは そうです」

「あの懐古館って 葬式もするんですか」

「そうですよ そんなに多くないですが ほとんど檀家の方の葬式ですが」

「お寺の方ですることは ないんですか」

「ほとんどないですね」

「そうですか ところで あなたの役位は何ですか」

「私は 昨年から 老師が妙心寺の本山に行ってられるので

随伴で半年行ってました」

「ああ そうなんですか 管長の三応ですか」

「二人行かないといけないのです 管長のお付きとして ですから

そんなことで 現在僧堂に残っているのは 十人です」

「でもどこの僧堂も人が少ないね」別の本日の関東からの参加者が言った

「美濃地方も 僧堂が多いですね 瑞泉僧堂は多かったと聞きましたが

昔と比較すると 確かにどこも少なくなりましたね」 と私も言った

ここで 修行僧は呼ばれて 本堂の方へ行った

「私は向嶽僧堂で参禅しているんです 先日も向嶽僧堂の一泊坐禅会に

行きました 良かったですよ」と関東の方

「向嶽僧堂と言えば 宮本老師ですか」 と私

「そうです 今大変なことになっています 小島岱山老師が 新臨済宗を

立ち上げられて」

「そうなんですか」


そして最後の坐禅時間となったので

思い出に もう一度 警策をお願いすることとした

ここ徳源僧堂では つねに直日が 警策を持って巡警してくれた

とくに一度しか しないところの坐禅会もあったから 有難かった

そして二時からは 般若心経の写経


そして最後は 老師の法話

当初 提唱と書いてあったが 実際は法話であった

最初に 白隠禅師坐禅和讃で登場 そして 帰りは四弘誓願文だった

今までに二度 お話は聞いたことがあったのですが

正直 老師のお顔をこんなに近くで見るのは初めてであった

結構 お年の割には 血色の良いのに驚いてしまった

最後に書院に戻って ずっと管理していた 鉢を返すことに

予想通り 箸と布巾は土産となった

そして その他の土産の入った袋ももらった

老師の直筆の素晴らしい色紙が入っていた 来た甲斐があった 笑

下の墨蹟色紙が それである

老師の 得意の画 布袋さんにはいつもながら 感心します

私は 江松軒 嶺興嶽老師の色紙は 今回初めて手に入れることと

なったので 嬉しかったです




更に 老師の出版の本もあった

題名は『 心を癒す 禅の教え 』というもので 下の本である

帰りの新幹線の中で この本を読むことが出来 管長様の お人柄とか

お考えが ちょびっとだけは 解ったような 気がしました

老師様 ありがとうございました






上の本の中から ふたつの箇所を紹介いたします

一つは 最初はお坊さんになる気は全くなかった 江松軒老師が 師匠の瑞雲軒

松山萬密老師に初めて 祖父の葬式で 見かけられた時のお話

『・・・親戚のおじさんが 「あの人は十六年間、修行をした人だからね」といいます

あの人みたいになれるのなら、私も修行をしたいーーー私の修行への関心が

一気に高まった瞬間でした。』 と書かれています

やはり 出会いと言うのは 大切なんですね  本当にそう思いますね

そして その師匠の下に 師匠と同様 十七年間の修行生活をされたのですから

たいしたものです

もう一つは 関山慧玄の「関」の意味するところが 「雲門の関」という有名な公案で

大燈国師から 印可を与えられたことに 由来するお話に関連して

その大燈国師も 師匠である大応国師から 同じく「雲門の関」の公案を出され

三年間も考え続け ようやく自分なりの答を得た時 その心境を偈にしました

『 ・・・ 投機の偈と呼ばれるものです

一回雲関を透得しおわれば (一回透過雲関了)

南北東西、活路通ず     (南北東西活路通)

夕処朝遊、賓主なし      (夕処朝遊没賓主)

脚頭脚底 清風を起こす   (脚頭脚底起清風)

・・・ 意味訳省略 ・・・

関を乗り越えるまでは、つらく苦しいです。しかし、その先には、大燈国師が

讃美するように、素晴らしい世界が広がっているのです 』

                        以上 老師の単行本より


どうも 深い意味は いまだにピンとこない 教養の浅墓な私なのですが

皆様方は どうなんでしょうか


そして思い出の徳源寺を出発し 新幹線の車上の人となり 京都へ向かった





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