☆77 白隠慧鶴と その弟子たち


禅宗はご存知通り お釈迦様から系図を大変 重視しています

師から弟子への相承をいいます そんなこともあってか 釈迦からの西天二十八祖だけで

なくて   毘婆尸仏 → .尸棄仏 → 毘舎浮仏 → 倶留孫仏 → 倶那含牟尼仏 →

迦葉仏 → そして 釈迦まで 続くという 過去七仏の思想を生んでいるほどです

ですからその法系は 中国に渡った 第二十八祖である 達磨大師から 六祖慧能を経て

その後 虚堂智愚から 日本の応燈関と連なり 愚堂東寔 至道無難 道鏡慧端 そして

白隠慧鶴と繋がっているのです

法系図でみてみると 次の様になっている






菩提達磨の列から 馬祖道一の列 そして楊岐方会の列へ それから 中国の虚堂智愚へ

その後中国に渡った 南浦紹明(大応国師) → 大徳寺開山の 宗峰妙超(大燈国師) →

妙心寺開祖の関山慧玄(無相大師)と 法は伝わって 一文字づつを取り いわゆる応燈関

(赤文字)と言う様に 法系が連なっていることがわかる

そして上の 法系図の中で 白隠より約十年程先輩である 古月禅材(赤文字)も 応燈関の

流れで 白隠を輩出する 東陽英朝の法系ではなく 同じ四派のうち 特芳禅傑(霊雲派)

の流れであって 白隠が世に出た頃 既に大きな勢力を 九州中心に持っていたのである

また大変多くの 古月下の有力僧侶が 何故か白隠の門下に後年なったことは 有名である

ところが この古月禅材については なぜか ウィキペディアでは検索にかからない

どなたか 『古月禅材』の研究者の方が 書かれることを 私は望んでいます


一方 白隠慧鶴禅師より六十五年程前に生まれ 一世を風靡していた僧に 不生禅を唱える

盤珪永琢(赤文字)という 僧侶もいた

盤珪永琢は 白隠と同じ 東陽英朝の聖澤派の流れを汲みつつ 備前三友寺の 牧翁祖牛

の法嗣であるが 一方 松源崇岳の流れではなく 江戸になって 日本に黄檗禅を伝えた

破庵祖先の法系である 隠元禅師の兄弟弟子の 雪峰禅師の法嗣 道者超元の法系でも

あるという

そしてこの 道者超元は もし黄檗宗の開祖となる 隠元が来日しなかったら 道者超元は

中国に帰らなかったのではと 思われ その後の盤珪の歴史も 今とは違った 生き方に

なった可能性もあるかもしれない まぁ歴史のお話で 「もし・・・だったら」は 禁句ではあり

ますがね・・・・・

また盤珪永琢に関しては 次のウィキペディアでご確認を

○ 盤珪 永琢(ばんけい ようたく)

ほぼ同時代を生きた 古月禅材と 少し前に一世を 風靡した盤珪永琢の二人は 当然に

いろいろな意味において 白隠慧鶴にも 影響を与えたものではないかと思われる

特に前述した通り 白隠慧鶴の有力な弟子となったものに 古月禅材の法系のものが

大変多いことには 注意を要すると言わざるをえない

因みに 白隠慧鶴の弟子として ここでは一応 十人だけをあげていますが この他にも

まだおられます


さて 白隠慧鶴の思想 或いは 公案禅の体系化 或いは 『夜船閑話』で紹介している

独特の内観の法等などに関しては 出版されている本等で 勉強してください

そして 本ではなく ネットで勉強したい方は 次のホームページが 一番お勧めです

『 花園大学国際禅学研究所 白隠学研究室 』

つけ加えますと 花園大学国際禅学研究所が 2008年から 2017年の長きに亘って

全国各地で開催されました絵画展等の『白隠フォーラム』というのも 違った意味で

参考となります 上のホームページの中にあるんですが 一応下にそのアドレスも

表示しておきます

『 白隠フォーラム 花園大学国際禅学研究所 』

いま考えてみると 大変長い間 本当に全国各地で 白隠フォーラムが開催されたの

ですね 私などは 僅かに二つのみしか参加していません 笑

それで 未だに 白隠慧鶴禅師ののことが よくわからないままなのかもしれません


そして ウィキペディアで『白隠慧鶴』と検索すると 実際のところ 思っているほどは

詳しい説明が 残念ながらありません

そして何と 外部リンク先として 上の『 花園大学国際禅学研究所 白隠学研究室 』

が載せられています  研究室を覗くと なるほどと 誰もが直ぐに思ってしまいます

また蛇足ですが ウィキペディアで 白隠禅師の法系を上へ遡っても 正受老人の

道鏡慧端 そして師である 至道無難 更にその師である愚堂東寔の三人までは

ありますが 庸山景庸あたりからは 検索してもありません

ウィキペディアで 確認したい方は 下からどうぞ


○ 道鏡慧端(どうきょう えたん)

○ 至道無難(しどう むなん)

○ 愚堂東寔(ぐどうとうしょく)



そして 白隠の弟子となると ウィキの検索にかかるのは なぜか遂翁元盧の一人

しかありません 笑

なんと 白隠慧鶴の宗旨を 大成したとされる有名な 東嶺円慈がないのです

このことは 実は私も今回初めて 知ったのです  遂翁元盧は次の通り

○ 遂翁元盧(すいおう げんろ)

そして 上の図には 遂翁を含めて 次の十人だけを列記しました

快岩古徹 天倪慧謙 大休慧ム 提洲禅恕 遂翁元盧 峨山慈棹 東嶺円慈

斯経慧梁 霊源慧桃 良哉元明 の十名

臨済宗の現在日本の法系は すべて 白隠 → 峨山慈棹 の流れであります

いわゆる 卓州系と 隠山系といわれるが そのどちらもが 峨山慈棹禅師の

弟子であります

また斯経慧梁は 専門僧堂として 妙心寺派の円福僧堂を 開単した僧である

白隠慧鶴の 数多い弟子達に関して 勉強されたい方は 次の本を参考に

してください

『 白隠門下逸話選 −荊棘叢談全訳注 』

〇 公益財団法人 禅文化研究所

〇 能仁晃道 編

〇 定価 1800円(税別)

〇 発行日 2000年

『 荊棘叢談 』は 白隠禅師の弟子 三十数名の言行を 記録した資料


機会が ありましたら 何人かの白隠の弟子達を 『禅のあれこれ』でも 是非

取り上げたいですが 時間がありますかどうか・・・








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