☆86 海外布教その三 鈴木俊隆


海外布教の三番目は、曹洞宗の僧侶は鈴木俊隆(すずき しゅんりゅう 1905年5月18日 -

1971年12月4日)です。ヨーロッパで活躍した、弟子丸泰仙ではありません。

鈴木俊隆はアメリカ西海岸にて、禅の教えを広めることに心血を注ぎましました。曹洞宗では

海外布教の第一人者と言われています。アメリカに渡り、禅を伝えた鈴木俊驍ヘ欧米では、

鈴木大拙と並んで二人の鈴木と呼ばれている。

彼の著書であって、世界の24ヶ国語に翻訳されていると言われる『Zen mind, beginner'smind』

はスティーブ・ジョブズ(アップルの設立者1955-2011)を始め、多くのアメリカ人に衝撃を与え

ました。

鈴木俊隆は神奈川県平塚市の曹洞宗松岩寺に生まれ、12歳の時に静岡県の蔵雲院の玉潤

祖温の弟子となり、その後駒澤大学に入学した。そして鈴木俊隆は駒沢大学に在学中に既に

蔵雲院住職となる。

その後は1930年に駒沢大学を卒業して、永平寺で修行。そしてもう一つの大本山である總持寺

でも修行するのであった。そして1936年に静岡県焼津町の林叟院の住職となった。

その後、55歳までは日本で暮らしていたが、曹洞宗本部から命を受けて、1959年にアメリカの

サンフランシスコにある日系アメリカ人達が作った曹洞宗桑港寺の6代目住職として赴任した。

残念なことに、千崎如幻は前年の1958年に遷化しているので、同じ方面ではあったが会っては

いない。もし千崎が存命中であったならば、二人の素晴らしい出会いがあって、ひょっとする

と現在とは違った、米国禅の歴史が始まっていたかもしれない。

桑港寺はそれまでは主として日系人向けに教化活動をしていたが、英語が堪能な鈴木俊隆

の周りには、いつの間にかヒッピーを含む、アメリカ人の若い人達で禅に興味を持ち、修行を

したいという人たちが少しづつ集まり、鈴木俊隆と一緒に坐禅をしたり、また禅とは何かを学ぶ

勉強するグループが出来上がった。

その結果として、前からの日系人達との間で摩擦が生じる様になり、鈴木俊隆は若い米国人

達のために1962年、サンフランシスコ禅センターを設立したのである。そして更に1967年には

長期修行道場として、カリフォルニア州タサハラ温泉にタサハラ禅マウンテンセンターを設立

した。その後1969年には禅センターは桑港寺より独立し曹洞宗の禅普及に貢献した。

1971年12月に若くして遷化。亡くなる直前には、法嗣としてゼンテツ・リチャード・ベーカーを

認めている。

そして鈴木俊隆の招きで、1967年にアメリカにやって来て、タサハラ禅マウンテンセンターで

鈴木俊隆の補佐を務めていたのが、乙川弘文であった。この流れから、世間でよく語られる

ようになった、世界のアップルの創始者 スティーブ・ジョブズと禅のお話が出てくるのです。



本来ならば 鈴木俊隆の考え方とかを説明する必要があるのであろうが、便利な時代に

なっている。なぜならば、鈴木俊隆は年齢的に言うと、千崎如幻や佐々木指月と違って、

完全に一世代若い世代であった事もあって、数多くの生の姿が ユーチューブで拝見する

ことが出来る。それらを視聴して各自で理解する方が より良いと考えるので 以下に

幾つかの 紹介参考動画を紹介する。


その一 『Present! Talks of Shunryu Suzuki Roshi at Tassajara Zen Mountain Center』


その二 『Zen In America Full Documentary (Shunryu Suzuki Roshi)』


その三 『Zen Buddhism Suzuki Roshi - Part 1』

鈴木俊隆について 理解されたでしょうか 曹洞宗ではこの方が私の一押しです。




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