☆89 居士坐禅会の昨今

以前に 今から22年前の1998年の京都新聞夕刊記載されている 坐禅会に関するお話を

いろいろと 禅のあれこれとして取り上げたと思います。

今回は 坐禅会の名前は伏せて それなりにその坐禅会が抱えている 悩みや問題点等を第三者的な

立場から 考察してみました。



☆0妙光寺の坐禅会

 最初にここ妙光寺の坐禅会。ここだけは 名前を出しておきますね。

いつも和尚様含めて三人だけの坐禅会となるのが 常態化しております。ちょっと 正直寂しいですね。

時々初めて来られる方が 今までも何人かおられましたが 残念ながら 最初の一度きりだけの参加

の方がほとんどです。何人かの方は数回来られて やっぱり疎遠となられています。これは和尚様の

せいではなく 私の発想の甘さが原因だったと考えています。和尚様に 懺悔懺悔です。

一番の問題は お寺へのアクセスの問題ですか。自分で車やバイクで来る方でないと やっぱり正直

ちょっと遠い つまり時間が掛かるのが最大の問題なんでしょうか。市バスとか京福電鉄では なん

というか 行くのが 億劫になるのかもしれません。

では どうして 私が参加するかと言いますと 私が和尚様に坐禅会をしましょうと提案した経緯が

確かに 大きな理由のひとつではあります。

しかし 実際には 和尚様と個人的に月に一度 ゆっくりと お寺関係等のお話が出来て 頗るいろいろ

な知識を得ることが出来 私にとっては それが大変魅力と言えますね。感謝感謝感謝です。

でも 正直なとこ 本当はもう二三人参加者があったらと 常々思っております。 笑。

そんなことで 私としては今年も是非 三名だけの坐禅会で 頑張ってみたいと考えています。



☆A坐禅会

 いわゆる大坐禅会で 常に百名二百名の坐禅参加者が集う。

良く解らないのですが やはり主催者から見れば 参加者が多いのは きっと単純に嬉しいものなの

でしょうね。野球でも入場者数が多い方がベターであるのは 言うまでもないですからね。

しかし 坐禅会の出席者の立場から考えると 必ずしも『参加者が多いのは 良いことである』という

論理は正しくないと言える。 A坐禅会も 昔は参加者が少なかったのです。参加者は十名から

三十名程度の幅で推移していました。

内容も坐禅とお経 そして少しのお話それも 正直簡単なお話だけ。でも それだけでしたが 結構

何故か満足出来ましたね。また 結構楽しかったです。提唱もないし 法話もなかったのですがね。

一番参加者が少ない時は 確か一桁の時がありました。それでも 何となく心暖かいものを感じました。

今は参加者はとっても多いですが 何だか正直 あまり内容のある坐禅会とは思えません。簡単に言えば

観光気分や 遊び半分で参加している参加者が多いのが 原因ではないかと思っています。 実際は

どうなんでしょうか

私個人は 圧倒的に 参加者が少なくても 昔の時代の坐禅会に戻って欲しいと願っている一人です。

こんなことを言うと 間違いなく叱られそうですが・・・



☆B坐禅会

 私の経験談。とってもうまく運営されている坐禅会がありました。私も正直運営している方を見て

感心していました。ところがある日 その方から次の様に言われたのです。『 私はこの坐禅会は疲れ

たのでやめるから 君 やってくれ 』と、突然言われました。 私も正直 たいした知識もなかったので

お断りしたのですが 執拗に依頼されたので 仕方なく引き受けることとなりました。

それなりに 結構時間を割いて 運営したのですが 一年ほどして副住職に言われたのです。

『 あんた 坐禅会の運営で自分の時間使って 大変や大変やと言ってるけど そんなんやったら 会

運営を辞めたらどうなん お寺の方も 一円も収入にならへんし 』と。 確かに お寺には直接的な収入

には ならんとは思ってはいたが・・・  しっかしである・・・ そんなにダイレクトに言われると・・・

こっちも 仕事の時間を割いて いろいろとしているのにと つい思ってしまった。後で解ったことだが

どうやら 新しく寺に戻ってきた 副住職との相性が悪いので 前会長は会の運営から降りて退会したという。

私は そんな気は短くないが 『 辞めたらいい 』という言葉には 馬鹿馬鹿しくなって その場で

直ぐに退会を決意した。そして直ぐに 他の方に引き継ぎをし自らも坐禅会を去った。僅か一年の会長

在任期間であった。笑。 因みに その会は会として 既に存続していない。

私としては そのお寺に対しては 何も後ろめたさはないが その会を結成され 運営された前会長には

今でも申し訳ない 気持ちで一杯である。当時の副住職は 私の大学の一世代後輩の青年であったから

残念であった。



☆C坐禅会

 ここはこじんまりとした坐禅会。多くても十名程度まで。

ここの坐禅会は 最近五年程前からの参加である。それなのに何故か 結構面白く楽しい坐禅会と

個人的に思っている。我が家からは近くはないので 続けるのは無理かもと思っていたが 何のことは

ない出席率 楽に八割を超えている。個人的な見解で言えば ここの坐禅会の参加者のレベルは相当に

高いのである。 私はそれを気に入っているのである。どこの坐禅会でもそうであるが 次の事を常に私は

気にして見ている。それはこうだ。着座して坐禅開始迄の時間 静座が保持されているか 煩くないか否か

これで 殆どどの程度の坐禅会か 判断出来る。 坐禅開始まで 静座が静かであるか この一点。

これを もっとも重視している。

そして老師の提唱もあって それなりに格調の高さもあって私のお気に入りである。

多分に ここのお寺の住職には多分に 金銭的時間的な無理をしてもらっているのが 良く解り 何か

手伝えないかと 参加する度に思っていたので 最近は初めての参加者の坐禅の仕方の説明と 提唱

の準備や片付を率先して手伝う事としている。



☆D坐禅会

 ここも私の好きな坐禅会である。参加者は やはり10名程度であろうか。結局坐禅会の 理想

人数は10名程度ではないかと 正直思っている。

ここの坐禅会は 坐禅 読経 講読勉強会 茶礼 と極めてありふれた手順であるが 格調の高い

坐禅会である。私個人も結構満足度の高い坐禅会である。しかし 問題は住職の健康にあった。

数年前から 住職が五体不調となられ 何度も坐禅会が休止される様になっていた。正直なところ

大丈夫かと 何度も思う様になっていた。

そしてその後 和尚は遂に遷化された。そんなことで これから坐禅会は どうなっていくんだろうと

思ってしまう。副住職が住職となり続くことを願っている。折角の座禅会であるから 願うばかりである。

住職の息子で副住職が 坐禅会を手伝っている場合を除けば どこの坐禅会も 主宰されている

老師や住職が遷化されると 必ず坐禅会は 一旦機能停止となってしまう

そして暫くは休会の運命を辿ることが 結構多いのは確かである。

さてここの坐禅会の将来がどうなるかは ただ仏のみが知っているのであろう。



☆E坐禅会

 参加者は十名から二十五名程度の間を推移している中規模な坐禅会。内容は坐禅とお経と法話

そして茶礼。老師は提唱ではなく 普通の法話である。茶礼は別室ですることとなっている

どこの坐禅会でもそうですが 結構高齢化が進み 参加者が減っている様に思っています。

ここの坐禅会も 高齢化が進み次第に会員が減少となり 会員を増加させるため 新会員の獲得を

試みられた。その結果 結構人数も増えて 一見上手くいっている様に思えました。

しっかし 実態は 理想とかけ離れていました。なぜか 以前から参加されていた方が 一人一人と

静かに フェードアウトされていきました。

そして 坐禅開始となる前の 静座の時間が ここは他に比べると 私語が多いのが 以前から気に

なっていたのですが 今はもう 老人クラブの会合で談話会が開催されているような 煩いこと 煩い事。

私が最も気にしている 静座時間の喧しいこと。 寂しい限りである。


さてここで問題であるが 一体誰が一番悪いのであろうか。

一 喧しく喋っている 本人が悪い

二 坐禅会を運営している お寺側が指導しないので悪い

三 私の様な 既存の参加者が注意しないから 悪い

四 参加者を連れて来た 参加者が最初に指導しなかったから 悪い


いえば 私も参加者として 注意しないから 悪いのかもしれないが 正直なお話 多勢に無勢で

とてもじゃないですが 注意など出来ない空気です。はい。 笑。

そんなことで 最近では 静座中 喧しく騒々しく煩いのも とうとう 無の境地になれました。 笑。

因みに 誰が一番悪いかと言えば 私は 参加者を連れて来た責任が重いと考えています。

何も説明もしなければ 一般の人は 解りませんからね。 鳴らし物があってから 静かにすれば

良しと考えている方がいるのも 仕方ありませんから。


でもね 私は今でも 実は参加しています。 何故かと言うと 直ぐ近くに父母が眠る 墓地があり

ここの坐禅会は 実は墓の月参りを兼ねているからです。坐禅が終れば 大体その後はパスして

仏花を買って 父母の待つ墓に直行する一日としています。 合掌






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