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No94 一人坐禅で コロナに勝つ その二 堀川通り 興聖寺 (織部寺) さて一人坐禅をしてきた経験ですが 今回は 堀川通りに面して位置して いる 臨済宗興聖寺派の本山興聖寺についてである。 これは 宇治にある曹洞宗の興聖寺とは 全く関係がない。もっとも 道元 所縁の興聖寺は 創建当初は宇治ではなく 深草であったが・・・ フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば 臨済宗興聖寺は は次の様な 説明となっている。 『 所在地 京都府京都市上京区堀川通寺之内上ル二丁目上天神町』 『 山号 円通山 宗旨 臨済宗 宗派 臨済宗興聖寺派 寺格 本山 本尊 釈迦如来 創建年 慶長8年(1603年) 開基 虚応円耳(開山) 1953年(昭和28年)までは相国寺派に属した。』 詳しくは ウィキペディアでお調べください。 また興聖寺のホームページ もご参考ください。 右をクリックすれば見れます。 興聖寺へ 私が通っていた頃の 臨済宗興聖寺の住職は長門玄晃住職でした。 そして 臨済宗興聖寺派管長であり 茶道の織部流家元である。 私は もともと興聖寺の長門老師を 知っていた訳ではない。 当時私が仕事に悩んでいた頃 仕事中の手の空いた時間に 昼間一人で 坐禅出来るところはないか それも 出来れば 当時は禅堂の様な建物で 座りたかった。知り合いのお寺のところで 禅堂があるとこは なかった。 それで いろいろと調べたのが 始まりであった。 しかし そんなもん簡単にはあらへん。 あたりまえのお話でした。 見ず知らずの赤の他人に 誰が一人で坐禅なんかさせてくれるかいな 誰だって そんな願いは心配で 却下するわなぁ たとえ よく知ってる人の場合でも 結構考えるもんなぁ。 そして なんとか念願かなって ここ興聖寺の長門老師に 相見出来 坐禅会を実施されている 本堂の単で 一人坐禅出来ないか 断られる ことを覚悟しつつ お願いすることとなった。 「興聖寺では 坐禅会をしているから その時に来なさい」 「いやぁ それがそんな坐禅が 早朝の時間には 無理ですので」 「それでは 夜は ・・・ 」 「いやぁまだ 仕事が忙しくてとても駄目ですわ。 それに 希望としては 好きな時間に 一人坐禅で只管打坐で 坐りたいのです やっぱり無理 ですかね 老師 昼間ここの本堂の単で 何とか坐禅することは 出来 ませんか」 と懇願した。 そして 暫し考えられていた老師が 「よし ええやろ 許可しよ」 と 大変ありがたいお返事。 感謝です。 「ありがとう ございます」 そしてそれから 興聖寺での一人坐禅が始まり ほぼ二年ほど続くことと なった。 それにしても 私の様な 見ず知らずで 得体の知れない者の願望を 良くも 老師さまは 受け入れて下さったものだと 感心至極であった。 いやぁ 老師様の器の大きさを 本当の意味で その時 感じました。 本当 感謝感激でありました。 今でも感謝しております。 堀川通りから入っていって 中をくぐりぬけ 坐禅をする本堂に達する には結構歩かなければ ならなかった。 あぁぁ しんどい。 当時 興聖寺では 住込みの徒弟の方が 結構数おられたので その 道中に 時々会うこととなる。 そして 本堂と言っても 造りは禅宗様式の法堂のような 感じであり 本尊として釈迦如来があって 仏殿のようにも見えるし ・・・・・・・ また考えれば 側面は禅堂の様な 単となっていて 座蒲が敷かれて いて 坐禅が出来る様になっている。 (注意 当時のお話です) 私は その単に上がって一人坐禅をするのだ。 それも 広い広ーーい 法堂の中で 只管打座を貫く。 大体来れば 二時間以上は坐ることと していた。因みに 当時は結跏趺坐でしか 坐らなかった。 ここでの坐禅は 坐っている時は 殆ど公案等に関して 粘提したことは 一度もなかった。言えば 子供両親を含む家族のことと 仕事のことしか 考えることはなかった。 とにかく当時 生活には余裕が全く無かった。 そして本堂の中は いつも薄暗く物静かであった。 観光寺院ではない ために 観光客は当時は殆ど来なかった。 それでも 時折であったが 当時本堂の前に 賽銭箱があったので そこにお金が 落ちる音を 坐禅しつつ 眠さでうとうとしている私が 何度か聞いた記憶がある。 興聖寺は本当に 坐禅三昧の叶えられる 空間だと心より思いました。 そして坐禅している頃は 盆と暮れだけは 老師に会いに御礼の挨拶 には 必ずお伺いさせていただいた。 ありがとうございました。 長門住職は 長く龍安寺の塔頭 大珠院の 盛永宗興老師に 仕えて おられた方である。 私も花園大学学長をされていた 盛永宗興老師 には 大珠院直心会で 何度かお話を拝聴したことがある。 そう言えば ここ大珠院も 禅堂があるんだ。ただ場所が 市中からは 遠いのである。 因みに 当時興聖寺にあった 居士坐禅会は 『 堀川会 』と 言った。 実は 最初の頃は参加しなかったのであるが 二度だけですが何とか 都合をつけて 坐禅会にも参加したことがある。 確かその時は 参加者が十名もおられず 確か六、七人だったと思う。 そもそもが 初めての参加だったので その坐禅会の流れも 全く 知らなかった。座禅中突然 近くで坐禅をしていた女性が 単から 降りて 又手で起立をしたのである。 そして ずーーっとしてから 経行の合図である。 ななんと その女性はこの経行に備えるため 起立していたらしい。 その後 再び座を組んだのであるが 何故か誰も 警策をお願いする 居士がいない。 何故だろうと 思いつつ 合掌して 老師の警策を 受けることとした。 バシッ イタタタタタタタタタタタァァァァァ 痛かった この瞬間 誰もが 警策をお願いしない理由が はっきり解った。笑 これは過去に受けたのと比べ 経験した事のない 痛さであった。 そしてこの時の痛み 消えるのに 本当に一週間はかかりました。 坐禅終了後は 別室で茶礼となったのである。 ここ興聖寺での 一人坐禅は 私がずっと坐禅を 自分自身のライフ ワークとしていく 基礎をつくってくれたものと 心より感謝している。 今 コロナとの戦いで 巣籠りで 仏間一人坐禅が 毎日 続けられる のは 興聖寺での 修練がもとになっているといえる。 |
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