No95 一人坐禅で コロナに勝つ  その三

       建仁寺本坊  小書院



一人坐禅したお寺に 臨済宗建仁寺派の 大本山である 建仁寺があります。

これも二十世紀の時代ですから 相当 昔のお話ですから念のため。

どのくらいの期間であったかと言えば 二年半くらいは続けていたのではないか。

確か毎週の水曜日の朝 当時住んでいた家を五時過ぎに出て阪急電車の始発

電車に乗り 河原町終点で下車して午前六時過ぎには建仁寺本坊に入りました。

誰もいない表玄関から上がって 中庭を眺めることが出来る『小書院』まではまっ

しぐらで進みます。

当時の小書院は今とは随分と違いまして何もないのです。本当に 何も置いて

なかったのです。

まずは 部屋に入ると 夏は勿論のこと 寒い冬であっても襖や外の戸も全て開け

っ放しにして 座蒲の上に坐を組みます。 実は私のために 部屋の中に 座蒲を

一つだけ 用意準備してもらっていました。

現在では 有名な庭師である 中根晋作氏が作庭した○△□乃庭が 小書院から

見えるのですが 当時はまだ無い時代です。 むかし昔です。はい。

大体 この小書院にほぼ一時間半程度は 抽解なしで 坐を組んでいました。

しかし その頃は 今よりももっと 未熟な私でしたから 雑念妄念妄想の連続で

ありました。僧堂や坐禅会などでは 他に座っている人も居るので 頑張れますが

一人坐禅となると 自分の気持ちが切れてしまわないか 心配でなりません。笑

自分一人で座っているのですから 直日の様に注意する指導者もなく 警策を受け

ることも出来ません。 よく言うと 座ることに集中出来るのですがね・・・・・・・

そうは言っても 坐禅する水曜日が月の一日と十五日の場合は 祝聖(しゅくしん)

と言って禅宗寺院では必ず朝には 今上天皇の聖寿無窮を祝祈する法要を行い

今上天皇の健康を祈り その時代が平和かつ永遠に続くように願う儀式である。

この時に一人坐禅の日が 重なると 建仁寺の老師以下 境内の塔頭寺院の

和尚方と僧堂の修行僧達が 本坊の玄関にやって来て お経を読経する。

私は 坐禅をしつつ この読経を夢心地に拝聴出来 懺悔感謝夢想の心地となる。

また 建仁寺本坊では 当時はよく大書院で催し物が開催されたため 二三ヶ月に

一度は その催し物の設営をするための人達が 七時頃には建仁寺本坊に 入って

来られ 小書院の襖は開けっ放しのため 一人坐禅をしている私を見て瞬間驚かれ

暫し立ち止られ凝視し その後大書院に向かって行かれるのを 度々見かけた。

建仁寺本坊の 一人坐禅ついては 他の雑誌等で書いているので 以下に それを

引用いたします。



『 建仁寺で坐す 大本山建仁寺

 坐っている。朝早く小書院で、私は一人でただひたすら坐っている。小書院といって

も我が家の敷地程度は十分にある。そんな中で私は今日も無心になって坐している。

「心の時代」と呼ばれて久しいが、正に私にとってこれ以上のものは無いと言えよう。

蒙華客船の船旅、ロールスロイスの車なんかと 比較出来ない程の贅沢である。

強いて言うなら、一人で高山に登頂してその山を独り占めした時の気分に似ている。

 ここは臨済宗建仁寺派の大本山、建仁寺。山号を東山(とうざん)といい、鎌倉時代

の建仁二年(1202年)の建立で 年号を賜って寺号とした。 開山は「喫茶養生記」

や「輿禅護国論」で有名な栄西禅師、開基は源頼家。創建当時は天台・密教・禅三学

兼学であったが、第十一世大覚禅師の時から純粋の宋風禅の道場となった。「学問

づら」といわれる室町時代の最盛期には 多くの学僧が輩出し、塔頭寺院は六十余

を数えた。 建造物は応仁・文明の兵火で荒れ、天文二十一年(1552年)の大火で

殆ど焼失した。現在の大部分の建物は江戸時代以後に復興されたもので、山内に

寺院十四ケ寺あり寺域は二二、二七八坪である。禅寺独特な勅使門、三門、法堂、

本坊、方丈の縦一直線の並びである。但し、なぜだか僧堂の霊洞院はかなり東に

離れた所に位置している。

私がいつも坐す 小書院の廊下伝いにある大方丈は 国の重要文化財に指定され

ており、銅板葺単層入母屋造。慶長四年(1599年)安芸の安国寺から移建したもの

である。



坐禅会に参加して

 大本山建仁寺では千光会(栄西禅師は別名千光国師という)といって、毎月第二

日曜日の午前中に坐禅会を開催しております。 一応会会員制ですが会員以外の

臨時参加(無料)も自由ですので、皆様方も京都に仕事、旅行等でお立ち寄りの節

は一度ご参加されては如何でしょうか。

会員として私も毎月一回、方丈で坐禅しておりますが、これとは別に教学部長に

お願い致しまして、毎週ある曜日の早朝わたくしー人だけで坐禅させていただいて

おります。そして平成八年の十月で早いものでまる一年が経ちました。

 私が本格的に坐禅するきっかけとなったのは、三年前に腰痛と眼精疲労が団塊

の世代である私の身体を襲ったからです。それまでも坐禅会には時折参加していた

のですが、それ以来ほぼ週に一度の割合で坐り始めました。そんなわけで幾つか

の寺院に御世話になっていたのですが、昨年の夏、突然カラスの鳴き声で悟った

…ではなくて、仕事前の早朝に坐禅したい衝動に突然駆られたのです。

坐禅というのは、坐禅会等に参加して勿論多くの人と一緒に坐るのもそれなりに

他人に負けたくないという気持ちの張りや刺激があっていいものですが、私の様な

凡人となりますと、なんとなくではございますが、例えば前に坐っている女性参加者

の脚が気になる、前を通って巡警する直日の足に眼がいく、さらには鳴らし物の音

が耳から離れない、直日によって警策の叩き方が微妙に違う事が気になったり

(僧堂によって若干異なる)・・・無心になりきるにはそんな事から解放されなけれ

ばと、一人坐禅を願望する次第となったのです。

 建仁寺は祇園のまん中にあります。近くには有名なお茶屋「一力」があり、歓楽街

のすぐ近くにあるといえます。週末には直ぐ近くにある競馬の場外馬券売場では、

多くの人々でごった返します。しかし、都心にはあるがそこは境内の広さで、小書院

や方丈にいても、全くといってよいほど人の気配というものを感じません。



一人で只管打坐

十二月の冬至近くの頃それはまだ其っ暗な時に家を出たのであり、鴨川に架かる

うっすらと白い雪化粧をした四条大橋を渡って、年末恒例の歌舞伎の顔見せを催し

ている「南座」にさしかかった時、ワイワイ騒ぎながら歩いている忘年会の夜明かし

組が花見小路辺りには二組三組と見かけることが出来る。交番の近くでは飲み屋

のお姉さん方が「お疲れさま」 「お休みなさい」といったこちらもかなり酔った風な声

が聞こえてくる。しかし京言葉はどうしたことか殆ど耳にしない。時計は未だ朝の六

時過ぎ。この時日本は本当に平和な国なんだと実感する。

 建仁寺の境内に入っても、まだまだ夜明け前なのでか人っ子一人いない。 春にな

ると、犬を散歩に連れてくる人や早朝の散歩をする老人をよく見かけるのであるが、

さすが年末となると誰もいない。歩いているのは私一人。私自身の足音を聞きながら

本坊に向かうのであった。夏には時折家から紺の作務衣を着て参禅するが、京の冬

の底冷えはきつく、まして早朝となると厚めの防寒具は手放せない。本坊に入り、

本尊様の方角に三拝してから当胸叉手をして廊下を進み小書院に入る。私の真っ先

の作務は襖を開けること。これは夏も冬も全く同じである。

襖の外には 一応部分的にガラス戸がしてあるが 冬となると冷たい北風が開けっ

ぱなしの所からビュンビュンやってくる。その反対に夏はこのガラス戸が閉まっている

から、大変蒸し暑い訳である。しかし、どうしてであろうか、人が坐禅するというのは

不思議なもので寒くても、襖を開けてやらないとじーんとくるものを感じないのである。

昔の修行僧は冬でも、僧堂の外に出て夜中夜坐をしたというのであるから驚く限り

である。僧堂でないから聖僧様がいらっしゃらないので、老師が描かれた達磨絵の

掛け軸に深く合掌一礼して座布団の上で坐す。

「坐禅儀」に「坐禅せんと欲するとき、閑静処において、厚く坐物をしき、ゆるく衣帯を

かけ、威儀をして斉整ならしめ」とあるように、その時ネクタイ時計等はすべて外し、

調身・調息・調心に心がけて禅定に入る。 と申しましても、凡人の私にはなかなか

一時間持続して無の境地にいることは、針の穴にうどんを通すよりも難しいことで

あります。いくら老師が指導なさる「数息観」で一二三…十と、心の中で数を読んでも

次々に雑念が湧いてまいります。 そんな時は、余り無理して無になろうとせず、

自然体で自分が抱えているいろんな問題を如何に解決すればよいか考える様に

しております。

そして「己がこれからどうする」という間こそが、達磨大師より私が頂いている「公案」

ではないかと考えております。

 さて、これから建仁寺坐禅はいつまで続けることが出来るであろうか。今までの

人生を振り返る為に、そしてこれからの人生の生き方を 決めるためにも、自分の

身体が続く限り二年三年…と続けていきたいと今日も小書院の達磨大師に語り

かけております。 』





注意 この原稿は 初発1997年7月発行の 某小誌に掲載して発行されたもの

です。なおこのお話は 昔の時代のものであり 現在の様な 観光都市京都に

なってからは 大変な賑わいでごった返し 到底考えられないお話です。

くれぐれも 古き良き二十世紀の時代としてのお話であるとして 皆様もご理解

くださる様にお願い致します。




禅のあれこれメニューに戻る