禅のあれこれ No.99   その三

    天龍寺塔頭慈濟院 小林承鐵和尚 突然の遷化



○ 2018年 3月 23日 心田老師三十三回忌大法要 開山忌

今日は朝の十一時までに 天龍寺の塔頭である 慈済院に行くことにしていた。

入り口のところで 天龍寺派管長の 佐々木容道老師とばったりとあった。

修行僧二三人がお供していた

そして 玄関で知り合いのおじさんがいたので 靴の番号札を貰って 本尊様が祀られている

本堂に入って行った。僧侶の数が多いからというので 居士方は 枯山水の庭に設営された

椅子に座ると聞いていたが 何の事はない 本堂の下座半分が居士の席となっていた。

一番前が空いていたので そこに腰をかけた。

それから 暫くして 太鼓の音があって僧侶の入場があった。本堂前のところには 三つの

椅子が容易されていた。誰が坐られるのか見ていましたが 老師三人が着席されたのである。

一人は 相国寺派の管長 有馬管長猊下。 次の一人は 国泰寺派管長の 澤大道管長。

最後の一人は 向嶽寺派管長の 宮本大峰管長。

その後 慈済院の和尚 小林住職と 副住職のお二人が私の前に立礼された。

見ると 小林住職は まだお身体がお悪いのか 杖をつきながら 何とか立っておられる。

態々そこにあった椅子は 何故か片付けさせられてしまっていた。そして 僧侶の方々が

沢山入場されてきた。

何人の僧侶が入場したのであろうか 数えてはいないが 多分五十人はいただろうか。

読経は 大悲呪が三度唱和され 般若心経そして 白隠禅師の坐禅和讃と続いた。

佐々木天龍寺派管長の導師のもと 老師が何度か三拝され その後 行道で使用される

首楞厳経が唱えられはじめた。

終りに 各僧侶が自分の坐で それぞれ三拝をおこなって その後 焼香を済ませて一人づつ

退席していった。


そして私は 最後の小林和尚のご挨拶には 正直なところ吃驚した。 これぞ禅宗と言うのか

それとも 司会の方が挨拶されたので 重複する挨拶は いらない思われたのかもしれない。

そう思いながらも ぼんやりとした 不安を感じた。



○ 2018年 4月 22日 坐禅会 副住職が

開始の時刻になって 何故か副住職が来られた そして 冒頭に説明があった。

「 住職が先月の開山忌直後 再び身体が悪くなり一度入院されまして 数日前に退院された

という状況なので 私が本日坐禅を座らせていただきます 」

そうして 一時間の坐禅が開始した。そして 座禅が終了して 暫くして再び副住職が登場して

読経 いつもの般若心経と白隠禅師坐禅和算。引き続き 副住職のお話と続いた。

「 私は法話等は 未熟なもので 全然出来ないのですが 住職である 小林和尚のお話なら

なんぼでも出来ますので 今日はそのお話をさせていただきます。

私は 北陸高岡の出身でして 高校まではそこにいたのですが その後 縁があって慈濟院に

住み込みながら 花園大学に通学して卒業したのです。住職はその時 来られた頃であって

暫くして 病気療養中の前住職の稲葉心田老師が 遷化されたのでした。そばで見ていますと

住職は 稲葉老師がなされなかった慈濟院の老朽化の補修等に 多くの時間を費やされました。

ここの庭園の整備や 中の道の整備 さらには貴重な書や宝物を 収納するための 保管所の

建設など 慈濟院の維持管理に明け暮れてこられた次第です 」

こうして まとまったお話を 副住職から聞くのは 初めてのことであった。

確かに 小林和尚は 言われれば慈濟院の維持整備に 力を注がれたと思う。 そして薫堅会

での勉強会で 見られる様に 絶海語録等々を通じて よく古典の研究もされていたと思う。



○ 2019年 4月 21日 坐禅会 花見の宴会

本日の勉強会の 終わりには 溜息に関して 語られたが 興味深いので 記録した。

「 出て行こうとする溜息を 無理にのみ込んでしまう人が多いが 私は 大いに溜息をつくことを

皆に奨励している。 なぜかと言えば 溜息は悪い体内の気を 吐き出すためで 次には新しい

空気を吸うことになって 深く溜息を吐けば気持ちが爽快になる」 と語られ その後 参加者

全員で 「 はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ 」 「 はぁぁぁぁぁ 」 「はぁぁ 」 と 大きな動作で

みんなで 大きな溜息をつくことになった。

これって 何か参加者全員で していると 何となくその光景は 滑稽なものにみえたのではと

思えてならない。


そして いつもの様に 桜は完全に散り終った 桜のない花見の宴会が はじまった。

今日は 和尚にプリントを一枚持参して来た。 そして和尚にお酌しつつ お話をした。

「 実はこれは ネットに掲載されている和尚の父上の記事です。もしかすると知ってられるかも

しれませんが 医者の玉田太郎氏が 雲道人(小林和尚の父)のことを書かれた『 夢自在 』

という題目です。」 と言いつつ 和尚に手渡した。

そして しばらく 大変に興味深くご覧になりだした。

大まかな内容はこうだ。 雲道人の夫人が 脊髄カリエスの病気となり 医者の玉田先生が手当を

されたので そのお礼として 「夢自在」と書かれた書を差し上げた。その後長い年月が経ってから

雲道人の長男である 和尚の兄の陶芸家 小林東吾氏と 玉田先生が 会うまでのお話である。

このプリントは 私が生前和尚に 手渡した 最後のものとなりました。


そして 来た時に持って来られた 分厚い仏教冊子を 和尚に返還しようと 和尚を探しに行くと

なんと 和尚に自分の居室まで案内してもらいました。

そんなには 大きくないけど 綺麗な部屋でした。大きなテレビもある。 ただその部屋は二階に

あるというのだけが 不思議だった。 しばらく滞在したあと 足腰が衰えられた 和尚が大変では

と思ったので 坪庭のある一階のところで 和尚とお話をすることとした。

そして 本当に私にとっては 本日は 吃驚する様なお話を 聞くこととなった。

因みに住職の 父上 雲道人が それなりの大人物であったという知識は 既に持ち合わせては

いたんですがね・・・・・


住職からの おはなし

『 私はね 親が芸術家なんですが その親がね

出家して 坊主になったんですが 続かなくって 還俗したんですよね 金閣寺の村上慈海

とは 特に交流が深くて終生 続いたんですよ。

そんな父が 最初に結婚したのが 哲学者である 西田幾多郎の娘なんですよね。

それをとりもったのが 鈴木大拙なんですよ。 ところが 相手がそんな有名な方の お嬢さん

育ちだったので家庭のことが 何も出来ないんですよ 掃除とかが。 それで 離婚しちゃったん

ですよ』

吃驚した 西田幾多郎 鈴木大拙と言えば ビッグネームのお二人。 そして 私が調べたところ

どうやら 西田幾多郎の 四女である友子 (五女の愛子との双子) と結婚。 しかし直ぐに離婚。

その後 お気の毒にも 西田友子さんは精神病を患って 早くに亡くなられたのである。

『そんなあと 後妻をもらって 私たち三人が生まれたのですよ 兄貴は 親父の持つ芸術家の

それを継いで 私はもう一つの僧侶の道へ。 どっちにしても 私は何か殺されるんじゃないかって

思ったり 最近はしますね 』

何となく 目に見えない恐怖心と今でも住職は戦い続けてられる。  正直 大丈夫だろうかと・・・

また ぼんやりとした 不安を感じる。



 小林和尚の父である 雲道人であるが 和尚の兄 陶芸家 小林東五氏が著書『 游艸 』

の中で 父・雲道人について 多くのことを書かれているので その一つを紹介する。

『 十九、 お誘い

  父が 身罷る (みまかる) 一ケ月ほど前のこと。 帰省した私は久しぶりに 父と晩酌を

  楽しんでいた。 すると突然、こんな話を始めた。

  「俺も八十年間、飯を食い便所に通ったら、そろそろ飽きてきたわい。 世の中の老人は、

  何で長生きがしたいかよくわからぬ。俺は近いうちに死ぬつもりだが、この面白くもない娑婆

  のこと、お前も同伴しないか」 との誘いであった。

  その時、私はこう答えたことを覚えている。

  「これから空前の大ドラマが見られるかもしれない時です。どうかお先に」と言うと、父は

  ウンと頷いた。

  父は大ドラマとは、と聞き返さなかった  ・・・  以下 省略 』      

                            以上  小林東五著 『 游艸 』 より引用



小林承鐵和尚の父 雲道人 小林全鼎の略歴

雲道人(うんどうにん 生没 1893 〜 1972) 小林全鼎は東京都大東区浅草にて出生。十六才で

禅門に入り 浅草の海禅寺にて得度。 その後 天龍寺に掛塔。 しかし当時の叢林の荒亡に落胆

して還俗。 そして独学で油彩画を始め 帝展第五回に入選。 また水墨画を描き 友 人の岸田劉生

に宋元画を目覚めさせたといわれる。 各界の有識者と交友を広めた。第二次世界大戦終末期には

山口県に疎 開 その後 ついの住居となったのが山口市大内町小鯖の雲庵(うんあん)である。

常々「人は元気な内に死ぬのがよい」と語っていたが、果然と隣村にでも行く如く飄乎として身籠る。

享年七十八才であった。


そして 最後に 小林承鐵和尚の 津送の様子を下に 表示する。

○ 2020年 1月 25日 午後9時27分 75歳をもって遷化。

○ 2020年 1月 30日 津送  午前11時〜正午   ○ 場所  天龍寺 塔頭 慈濟院





○ 小林承鐵和尚編 出版本

   『 前聞紀 付通玄寺志 』  編著 小林承鐵   発行 慈濟院   制作 春秋社

   私の付記  慈濟院の開山 仏慈禅師・無極志玄禅師の650年遠諱の記念として

        刊行されたものである。 また校閲は花園大学教授の衣川賢治氏がされた。



   『 合本 支桑禅刹  (支桑禅刹・倭漢禅刹・扶桑五山記前聞紀) 』

      編著者 小林承鐵

      校訂者 山家浩樹 (東京大学史料編纂所教授)

            田中博美 (東京大学史料編纂所準教授)

      発行所 株主会社春秋社

    なお 両本共に 装丁に関しては 小林承鐵和尚の兄 小林東五も関われている。



    小林承鐵和尚さま  お世話になりました

            六道輪廻のない世界で またお会いしましょう

                           小林承鐵和尚 安らかに お眠り下さい  合掌