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No1 千日暁天一人坐禅業



『新 禅のあれこれ』は、その最初は 千日暁天一人坐禅業です。

座禅会の徒然日誌に 一人坐禅のことを 書き込んでいるので それを

古い方から幾つか嫡出し修正の上 一部書き下ろしを加えて 作成した

ものです。


○2020年4月21日

正直なお話一月以上家の中で暁天坐禅を続けたとは吃驚ですが 我家

で続けたのは 実は初めてです。  一人坐禅は 結構長いキャリアを

誇っているのですが 家と言うのは 色即是空の中の 色、俗世の真っ

ただ中で どうも気乗りがしませんでした。

そんなことで 五月の入制大接心ですが 今年はコロナ騒動中ですから

不参加として このまま仏間での一人暁天坐禅で ゴールデンウィークを

過ごす予定です。 ともあれ五月からは 爺さんが参加している坐禅会

はすべて中止となっています。 笑 暁天坐禅をあと一ケ月は続けます。

正直私は何をしていても 長くは続きませんから。 以前 清水寺に早朝

参拝を三度挑戦しましたが 最初が二月程 次が三ケ月 三度目は僅か

一ケ月・・・  一度も 半年と続きませんでしたから。笑


○2020年5月24日

坐禅で今日の朝も始まった。先日京都は緊急事態宣言解除となったが

まだ私は 自粛を続ける予定なので 半制大摂心も 不参加にしようと

思っている。

それにしても 最近では オンライン坐禅会が あっちこっちで開催され

ている。臨済宗青年僧の会のホームページでもzoomを利用する坐禅会

が 大々的に紹介されている。

居士による坐禅会では なんと 提唱も参禅も オンラインとなっている。

人それぞれであって いいんでしょうが ただこの傾向は 益々既存の

坐禅会の衰退を招く様な気がしますが・・・・・・。 どうでしょうか。

そして 私も二ケ月 仏間で四十分程度坐る様になると 再開されるで

あろう坐禅会に 参加する意欲が低下してないか結構心配な気分である。

馬鹿な私でも 一人でこれだけ長く 坐ったことがない。

次第に習慣になりつつあるのです。


2020年10月02日 10時46分

今年の3月下旬から連続している 暁天座禅は遂に 半年

続きました。そんなに 長くは坐ってはいません。線香一本

まぁ40分くらいです。ただ時折 土日祝の場合には 線香

二本時間坐ったりしますが・・・


2020年10月05日 13時20分

半年以上一人の暁天座禅を続けてると 正直あらためて 何度も

お寺の坐禅会に参加する 意義が失われてきたのを感じてしまう。

190日間続けたとして 190 x 35(線香一本 若干少なく見て

35分とする) = 6650分  110時間ちょっと。

まぁ居士としてみれば 十分坐っている。 はい。 実際は土日に

もう少し 座ることがあるので 120時間は越えていると思う。

それに 座禅会は 移動の時間がかかる。

そんなことで 冬の入制も 僧堂には 不参加を決め込みました。


2021年03月27日 08時12分

坐禅は毎日 早朝坐禅を続けていますが

しかし 坐禅会も今年になって 一度参加したのみです。 笑

考えると 私の場合は 自宅で一人で坐るのがあっているのかなぁ

雑念が少なくて 只管打坐とは いきませんが マインドフルネス的に

上手く坐せますね。 一年続けてきて 思いました。


2021年07月12日 13時27分

昨日は 座禅会に参加しました。日曜日は二週連続です。

しかし 何というか 以前と違い参加意欲が次第に失っています。

いやぁ 今や『一人早朝坐禅』の推進派になってしまいました。


2022年04月04日 09時43分

そう言えば 一人坐禅 連続で遂に丸二年を既に達成しました。

坐るだけなら これで修行僧と 勝負出来る自信がつきました。

一年しか僧堂にいなかった 僧侶等よりかは 多分 長く座れる

のではと・・ 内心思ってますが・・・増上慢でしょうかね。。。では


2022年05月03日 19時30分

コロナ前は いつも入制大接心に 一日から一週間参加していま

した。 でも二年前の コロナのパンデミックが始まってからは

参加してはいません。 残念ながら コロナ過が長く続いたこと

もあり もう年寄は このまま僧堂から 中退と言うことになる

のでしょうか。

考えれば 連続一人座禅を 二年以上続けてきましたからね。

禅堂での坐禅も 良いですが 一人坐禅も中々良いものですよ。

そうそう 今日は接心中ということもあったので 端午の節句の

『柏餅』を持って 僧堂に差入れしてきました。

昔と違って 修行僧が少ないですが みんな頑張っていますね。

坐禅会も いづれも恐る恐る 再開をしだしていますね。


2022年12月24日

千日暁天一人坐禅業満願達成記念 丸一日12時間一人坐禅

クリスマスイブの本日 丸一日の 一人坐禅に挑戦することとした。

何時もと違い 近くに 香を炊くこととした。 勿論 仏様への線香は

仏壇に焚く。

そして私の前には香道で使用する 「清澄で上品な香り」である沈香

の最高級 ベトナムの「伽羅」を焚く。そして近くには 柝(拍子木)と

リンを置く。 それとある老師の筆の木版『看却下』を 近くに建てる

こととした。

始まりは早朝四時 一日の座禅の開始。 今まで 一日 五、六時

間座禅をしたことはあるが 十時間以上したことはないので目指すは

丸半日の12時間以上である。 それも キリスト教の重大な日である

クリスマスイブ当日。そう言えば 中学高校と プロテスタントの学校に

通学していた。また 大学時代は カトリック教会系の 英会話学校に

通っていて 毎回『主の祈り』を英語で 唱えていた。 笑 中々当時は

新鮮な気持ちになれると思っていた。

さて最初の線香に火をつけてからの四十分は 本当にあっという間に

雑念に追われることもなく 抽解となった。 そして直ぐに 二しゅ目と

なり無事に五時半頃となり 粥坐の時間となった。外はまだまだ真っ暗

である。

「しんじんぱーしん びーる-しゃーのーふー えんもんほーしん・・・・・・」

から 食事五観文 三匙偈を唱え 軽い食事を頂く。

その後は 直ぐに坐禅に戻る。 今度は「ほのかに甘く 爽やかな香り」

と言われる 「白檀」を焚く

そして 何度か抽解をはさみ 一度だけ径行をした。と言っても狭い仏間

であるから ゆっくりと ゆっくりと 曹洞宗の径行の様な 小幅でゆっくり

と仏間五周するのであった。

因みに 叉手当胸はしましたが こちらは臨済宗に従った。笑

そして昼となり 斎坐となった。すでに 六時間以上は坐っていたので

それなりに 脚に痛みは感じるのであるが 予定の十二時間は 何となく

達成出来る 感じがするようになっていた。

斎坐後 二しゅ坐禅して 少し径行するのを三度繰り返すと 既に外は暗く

なっている。再び線香に 火を付ける時 時計をちらっと 見ると既に午後

五時を過ぎていた。予定した計算上では 午後七時半頃には 一日十二

時間の坐禅を達成出来ると 計算していた。

そして 六時半過ぎになり 最後の坐禅を開始する。

坐っていると 何故か色んなことが 頭に浮かんでくる。 昭和の時代に

一人坐禅を経験した 臨済宗建仁寺派 大本山の建仁寺 その本坊内の

小書院 我が人生の中で 小書院での朝六時過ぎからの坐禅は 今迄の

中で最高の一人坐禅の場所であったといえる。

その次が 臨済宗興聖寺派の 本山 興聖寺法堂での一人坐禅 これも

数年続けたが 我が人生一生の思い出である。

もう一つは 専門道場である 海清僧堂の禅堂内での一人坐禅 これは

これで いろいろ思い出がある。

それらと比較すれば 我が家の仏間など とてもとても比較にもならない。

終りに近づき 凡人の私は 情けないが無心になれず そんな雑念が いろ

いろと 思い巡らしていた。

そして 午後七時四十五分 柝二声で坐禅終了。 吾 感無量。 合掌。

これで 千日暁天一人坐禅業満願達成記念丸一日坐禅終える(#^^#)



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