No2 禅居庵閑栖の遷化 


 臨済宗建仁寺派の塔頭 禅居庵の閑栖 上松正明氏が令和五年二月二十六日午後七時

遷化された。七十五歳であった。

禅居庵の上松正明閑栖には いろいろとお世話になった。ただただご冥福をお祈りするだけ

である。

一昨年の令和二年 臨済宗天龍寺派本山天龍寺塔頭である 慈濟院住職の小林承鐵和尚

が突然に遷化され驚き 通夜葬儀と両日参加。 そして 令和二年五月には 交遊のあった

西宮゜にある 臨済宗妙心寺派の専門道場 海清寺の住職 加藤月叟老師が 私より大分

若いのに 遷化された。

それにしても 親しくしていた 良き和尚様方が 僅かな間に 三人も亡くなられ寂しい限りで

ある。

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禅居庵から電話があったのが 確か三月一日。 正直なところ驚いた。 昨年の秋頃だったか

病気後のリハビリをされておられので お見舞いを兼ねて 知り合いと二人で 禅居庵に出向き

お会いした。 その時は 思っていた以上に お元気そうで この調子でリハビリに励まれたら

半年もすれば 元気になられると 思っていた。

その後も 遅ればせながら ご子息の 上松正宗副住職が 住職になられ 上松正明住職が

閑栖になられたこと 同時に 閑栖が叙勲されたことも知っていたので この二つの 御祝に

細やかなお祝いを 手渡しに行った。 その時 ご子息の住職にはお会いしたが 上松正明閑栖

には お会いできなかった。


禅居庵 上松正明閑栖との関係で 忘れられない 思い出

〇 平成19年だったか オーストラリアの高校生一人を 我が家で ホームステイさせていた時

思い出作りに 禅居庵さんに頼んで 坐禅体験を個人的にさせて頂いた。

その高校生が 感激していたことが思いだす。

その思い出の写真を 下に掲載した。


  坐禅前に説明をする禅居庵和尚            坐禅中の和尚



  坐禅中に 警策を持ち 検単する和尚




〇 禅居庵さんが 宗務総長の時代には 思い出深い 建仁寺『一泊禅寺体験・大衆接心』が

三年連続して開催されました。当時宗務総長だった 禅居庵さんが いろいろと 尽力された

おかげで 大変意義ある また楽しい禅寺体験を三度経験をすることが出来 感謝しています。

 下に 当時の「大衆接心日程」を 掲載しておきます。 因みに この企画は平成14年から

平成16年(2002年から2004年)まで 三年連続されたものであり 下の書類は平成15年

に開催されたものの 案内であります。





〇 布薩会に参加させて頂いた。 本当のところ どこのお寺でもある 開山忌等は あまり

参加したく思わないのであるが 以前より 建仁寺の布薩会には 興味を持っていたところ

禅居庵さんの計らいで 参加出来ることとなり 建仁寺独自の法要を初めて 見ることが出来

ました。

「布薩会」の説明

 毎年 七月三十日に行なわれる法要。開山栄西禅師が伝来した独自の様式を持つ。

もとは半月ごとに戒律の経典を聴いて罪を懺悔し、戒律を保つようにする懺悔受戒の儀式で

現在は年一度開かれている。





〇 掛け軸 『 廓然無聖 』

 生前 和尚から頂いた半切を 知り合いの表具屋で軸装して 仕上がった掛け軸。

亡くなられたこともあり 仏間に掲げている。箱書してもらったのは まだお元気な頃でした。

               


以下は参考  「京都新聞記載記事」(2023年3月2日夕刊)より転載

上松正明 (臨済宗建仁寺派元宗務総長、建仁寺塔頭禅居庵前住職)

2月26日午後7時、京都市内の病院で死去。75歳。

ーーー 途中略 ーーー

建仁寺派の教学部長や財務部長などを経て2001年1月から4年間、宗務総長と大本山建仁寺

の執事長を務めた。開創800年記念事業として、同寺法堂に天井画「双龍図」を完成させ、臨済

宗の開祖で茶の湯を伝えた栄西の足跡をたどって僧侶団が訪中した。



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                                          以上