No4 西宮・海清僧堂と加藤月叟老師 その二

     月一の『法話会』に参加し 禅堂で一人坐禅 

平成29年3月11日

 海清僧堂に着く 南向きの本堂の玄関が入口となっている。入って行くと右側に受付があり修行僧が一人おられた。
そして 受付ではやはりであるが 毛筆で自分の名前を書くのである。 そして昼はどうされますかと 聞かれるので
「要らないです」と返事しつつ 無料では申し訳ないので お供えとして千円を支払う事とした。その後受付の修行僧
に幾つか質問した。

「老師の法話を聞いた後 坐禅堂で坐禅をしたいのですが 宜しいですか」
「いいですよ 勝手に禅堂へ行って下されば結構です」
「はい 指導僧はいないのですか」
「人が少ないので おりません」
「そうですか 斎坐は何時頃終了しますか 11時半には終りますか」
「いやぁ 12時くらいになりますね」
「私は食べないですが 一時頃に坐禅を終えて帰る予定です」
そんな問答をして 以前入った事のある 書院に行くと既に八人程度の方が座っておられた。初めてのこともあって
下座に席をとった。そして待つこと数分で 老師が登場。何の話をされるか 少々興味があった。

もらったプリントを見ると 法句経と 道元の正法眼蔵であった。この加藤老師 お話は結構面白いのであるが 少し
言えば気難しい老師様かもしれない。法話は一時間で終わらず 十時を既に大きく廻っていた。話の中で海清寺に関し
私が知らなかったことが 解った。それは 海清僧堂の建設に関してであった。 どうやら最初の 春見文勝老師が
円福僧堂の禅堂を見習って建てられたということである。 しっかし そんなに似てるかな・・ 私にはそう思えた。

法話終了後 私はそくそくと 本堂を通って 御本尊に一拝して 階段を登って三階にある禅堂に到着した。入ると
誰一人として居ない禅堂であった。そして文殊菩薩に低頭して 合掌のまま直日側の単を進んだ。 初めての参加
なので やや下座の所で座すこととした。そしてとりあえず 一時間ほど坐ろうと思った。
西宮祭りでの参加の時は 参加者が結構多かったので 詳しくは数えなかったが 今回禅堂を見て見ると直日単と
単頭単と どちらも十五枚の畳があり 最大両方で三十人が坐れるようになっている。そして 実際には 畳一枚を
飛ばして 蒲団が置かれている。
私が一人で坐っていると ずっとしてから 一人の男性が私の隣に坐った。その後暫らくして 向かい側にも 夫婦
連れらしき二人がやって来て坐した。そして11時に10分程前であろうか お斎(食事)の時間となったので 三人
全員が禅堂を退出されていった。 私は念願の 臨済宗専門道場の坐禅堂での 一人坐禅を その後一時間半程
出来 念願が叶い単純に嬉しかった。


平成29年7月8日

書院に入っていった みると先人が三人おられ 私は四番目であった。 その後数人来られ 男五人女四人計九人
であった。何しろ何人かの方は なんと春見文勝老師の頃から来られているという 何と昭和の時代からである。
見た感じでまぁ七十代であろうか。そして老師の法話が開始した

今日は何故か次の様な お話があった
「講座をしてもらっている 沖本先生から もうそろそろ年なので 誰かと替わってほしいと言われたので 佐々木閑
先生にお願いしようと思っています。 ただ お忙しいので 土日は無理なので 不定期になるかと思います」
私は佐々木先生の講演は 何度も聴講したことがあるんですが 今は大変忙しい 有名教授ですから 日程を結構
工面されるんだろうと思うと 心配になります。
そして本日は 入口で本を二冊も頂いた。一冊が その佐々木閑先生の 別冊NHK100分で名著 集中講義
『大乗仏教』という本。もう一冊は 沖本先生と角田恵理子著の禅語に関する 文庫書『禅語の茶掛を読む辞典』で
ある。参考になる書籍を頂き 大変有り難かった。どちらも 読みました。

そして上の坐禅堂に向かった。吃驚したことに 坐禅堂の中に なんと扇風機が何台も置いてあった。正直なところ
初めての経験で吃驚した。幾つかの専門道場の坐禅堂で 時々見掛ける光景は 蚊が多い場合の 蚊取り線香を
焚いているのは 確かに見かけることだが・・・  扇風機を見たのは初めてであった。ただ確かに暑い。 今日は
都合で一時間しか坐れないので じっと座ることとした。 暫く一人で坐っていると 何人かが坐禅に来た。その後
一人また一人と斎坐のため禅堂を出られた。結局私一人に。 そして 私が外に出たのは十一時半頃であった。


平成29年9月9日

受付で千円を払って 名前を書いて「食事は要りません」と言いつつ部屋へ入って行くと 下座の方に人がいっぱい。
結局は 一番の下座に坐った。そして老師が入ってきて 法話がスタート。珍しく途中から 経済のお話となった。
そして老師の法話が終了したのが 十時二十分ころ。老師の出るのを見て 荷物を持って部屋を出て まずは
ネームプレートを修行僧に返して それから本堂を通って 階段を登り 三階の禅堂へ。最近では 坐る場所を
大体直日単から二番目のところに坐る様にしてきた。

今日も私以外誰もいないのであるが 何となく今日は坐っても落ち着かない。一人って言うのは すっと坐れる時は
気持ちが頗る良いが 時には坐るのが 何となくぎこちなくなることもある。今日は 最初の二十分ほどはずっと
そんな感じであった。そして しばらくして経行しようと立つと 右足が痛い。 と言うよりは まともには歩け
ない状態に近かった。 ビッコしながら 最初は歩き出し 暫くしてやっとこさ 何とか普通に歩ける様になった。
そんなことで 経行を五分程度した。それから 再び坐ることとなった。
何と今回は 食事までには 誰も禅堂には来られなかった。これは海清僧堂に来て 初めてのことであった。
十二時頃には ゆったりとした 坐禅に入っていた。 ほぼ寝ていた いわゆる坐睡の情態であったかもと思う。

十二時半頃になると 直日単に二人 単頭単に同じく二人の計四人 私を含めて坐禅する者は五人となった。しかし
帰られるのも早い 一時までには 二人が帰られ それから十分ほどして一人 そして一時半頃には最後の一人も
帰られ またまた私一人の 座禅堂となった。いと嬉し。結局三時間程 座禅堂で坐禅をしていたことになる。
他の方がおられたのは ほぼ一時間程で 長く私は一人で坐禅をしていたことになる。感激

海清僧堂という 有名な専門道場の禅堂で 一人で坐禅が出来るなんて 本当に有難い事ではないかと思う。
やはり こうやって禅堂でゆっくりと 坐れるだけでも ここの老師の法話会に来る価値があるといえるだろう。
今日 そう言えば二十何年前の 座禅会に参加していた方が 久し振りにこの法話会に参加されていた。そう昔は
春見文勝老師の時 居士座禅会があったという。 そして今日の法話会に その頃からのメンバー二人が来られて
いた。


平成29年12月9日

今年最後の神戸行きとなった。海清僧堂そのものは阪急西宮北口から 歩いて20分ほどであろうか 最初は間違う
こともあったが 最近は最短コースを歩いて来るようになった。
そして受付へ いつもの修行僧が受付におられ 会費として千円を出しで差し出す。受付で見ていると 海清僧堂
の檀家の方々も おられるのであろうか お布施として持参されている方が 何人かおられた。
毎月お世話になっているので 本日は南禅寺で買った 羊羹をお歳暮として持参していた。初めての手土産である。
そして書院では いつもの席に座った。本日の参加者も いつものメンバーであって 十名ほどである。

そして老師が登場されて 法話が始まる。そして終わって 次の様に話された。
「来月は接心ですので 法話会はありません 次回は二月となります。接心は来月の十五日から二十一日までの間
接心ですが 興味のある方は 参加してください」
そこで一日でも参加出来るか尋ねたが 老師の回答が 何となく消極的なので 大接心参加は諦めることとした。
それに今年は寒い 三時間以上も寒い禅堂で 坐るのも正直なとこ不安だ。

そして法話が終わったので 一直線で三階の禅堂へ。何度来ても こうやって本格的な専門道場で一人で 坐らして
いただけるのは この海清僧堂の本当に有難い点だ。本当にありがたいです。 老師様。
そして今日も一人で ほぼ二時間坐禅をする事が出来た。今日は特に寒いためか坐禅への参加者は誰もいなかった。
確かに寒くて寒くて 一応窓は開いていないのであるが(因みに臨済宗の専門道場の坐禅堂では 窓が開いている方
が多い。)
坐禅して こんなに身体が冷えてしまったのは 久し振りである。一人坐禅を終えて 玄関のところに行くと 食事
が終わったのであろうか 参加者が二つのグループに分かれた形で お寺を後にされるところであった。


平成30年5月12日

海清寺に着き受付へ そして千円を支払って尋ねた。
「今年は 何人の新到が入ったんですか」
「一人です」
「あなたは もう古いんですか」
「いやぁまだ二年です 今年で三年目です」
「そうですか 沖本先生の講義はまだ続くのですか 前に老師が佐々木先生にお願いするとか 言ってられましたが
どうなんですか」
「いやぁ 沖本先生が続けられると思います」
「私は食事要りません 法話がすんだら 禅堂で二時間くらい坐ってそれから 帰ります」
そう言って書院にむかった。 入って吃驚である 何に驚いたかと言うと 人数の多いのに。まぁ 多いと言っても
14人であるが・ ただいつもは 十人以下であるから 珍しく多く思った。そして私の坐る場所は他の人によって
座られていたので いつもとは違う向かい側に坐ることとした。今日は珍しく 老師の作成された資料がなかった。
その代わりと 受付のところで 佐々木閑先生の 相当に分厚いレジメを頂いていた。
最近思うのであるが 加藤老師の法話は考えると 眠くならないから結構それなりに面白いのである。これは事実だ。
佐々木閑先生は ここ海清僧堂にも不定期に月一で来られているという。それは修行僧のみを対象としているという。
そして 今日の受付の資料であるが それは円福寺僧堂で 佐々木閑先生が使われた 講座資料である。
日付を見ると 11月19日となっている。 話によれば 修行僧相手に 毎月一度開催されているという。
加藤月叟老師は 佐々木閑さんのファンらしい。 それとお歳も 近いことがあるのかも。

そして 本日老師が話したなかで一番面白かったことは 次のお話だった。

『私は死んだら 無間地獄に落ちたいのだ。何故かというと 無間地獄に落ちれば ずーーーーっと苦しいのだから
それを普通に思えて 苦しくならないから 是非そうしたい。
しかし 無間地獄に落ちるには 五逆罪を犯す必要がある。 ところが私には 父はもういない 母ももういない。
仏身を傷つけて血を流すにも お釈迦様は 涅槃に入られている。そしてサンガを破壊する罪と言っても 日本には
サンガは存在しない。
そして 最後の阿羅漢をなくすことだけど  日本の老師って 本当に阿羅漢なんか おそらく悟っていないから 
そんなことをしても 無間地獄にはいけない と結論している』

今日の話は正直大変面白かった。終ると 私だけはすぐに 坐禅堂を目指した。
そして いつも坐する所に座した もちろん誰一人いないので 本当に気持ちが良い。一人坐禅頗る爽やかな気分。
暫くすると 女性の方が修行僧に連れられて 禅堂の中に入って来られた。何やら簡単な説明を受けて その女性も
暫く坐ってられたが なんと十分程で出て行かれた。 その後 暫く一人で坐っていると男性一人女性一人がやって
来られて単頭単の方に坐られた。しかし その方々も二十分程で 出堂された。 その後一時間程坐って 正午ごろ
二人の女性が禅堂に入って来られたので 私はそろそろ帰ることとした。


平成30年6月9日

今日は老師の法話が やや短く終了した。何人かはこの後 老師のお茶席に参加された。そして今日も十時過ぎには
僧堂に行って坐禅をすることとした。 いつものように入堂ると 誰もいない僧堂であった。本当は今日半制大接心
だったそうであるが たまたま法話会があるため こうして一人で専門道場の坐禅堂に坐ることが出来るのである。
本当に有難いと思う。 老師様、専門道場の坐禅堂で 一人坐禅が出来るのは ほんとうに 嬉しい限りである。
そしてほぼ一時間程坐った頃 単から立ち上がって経行を開始する。誰も他にいない禅堂であるが 又手をしながら
  およそ五分ばかり 禅堂の中を歩くこととした。
それにしても 加藤月叟老師は 心が大きい。何度か 老師が言われた次の言葉が 私には有り難かった。 老師曰く
『 好きな時に来て 禅堂に坐って下さって結構ですよ 』
本当かと思いつつ疑っていたが その通りであった。それにしても 何かと夢を抱かせる 老師様でそして僧堂である。




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