No5 想いで深い 海清僧堂での 一人坐禅 その三

   臨済宗妙心寺派 巨鼇山海清寺 禅堂



 2020年(令和2年)、4月に臨済宗の専門道場である海清寺からコロナ過の中 一通の手紙が参りました。 

『昨年来 四体不調が続き 四月からは病気療養に専念する』という案内であった。

不覚にも知らなかったのです。蒼龍窟 加藤月叟老師が四体不調であった事実を・・・  実は月例の法話会に

ここ何か月か参加してはいなかったからです。不義理を悔む。 そしてそれから僅かにひと月で 次の手紙が

僧堂から来ました。


『 海清寺二十五世 圓福寺二十一世 加藤月叟老大師  儀

かねてより入院加療中でございましたが 去る四月三十日早朝

世寿六十九歳で遷化いたしました。以下略・・・ 令和二年五月五日

      西宮 海清寺 八幡 圓福寺 遺弟 政道徳門 親族一同 』


ただ吃驚した。一ケ月で遷化とは。私より若く まだお若いのに・・・・ そんなこともあり 本当に驚いた。

しかも 密葬は新型コロナウィルス感染防止の観点から二日に法類縁者のみで勤め・・・ 本葬については

コロナウィルス感染症の収束状況を見極めてあらためて案内するとある。

下に 二通の葉書の通知を紹介します。

            〇 遷化の御通知           〇 四大不調の御通知

             2020年5月5日          2020年3月31日
          


そして 2021年(令和3年)、4月29日に蒼龍窟 加藤月叟老師の本葬兼一周忌法要が大雨の中

開催された。 ただただ 加藤月叟老師のご冥福を 心よりお祈りいたします。

下が 蒼龍窟 加藤月叟老師の本葬 並びに一周忌の法要の御通知




さて私は七年ばかり 第二土曜日の午前中に開催される『法話会』に参加させていただいた。一つは加藤老師

の法話を聴く目的。もう一つは 専門道場の坐禅堂で坐れる醍醐味 この二つの魅力があったからです。

正直なとこ 老師の法話は結構楽しく聴けるお話であった。 また花園大学名誉教授の沖本克己先生の勉強会

も午後にあり何度か参加させてもらった。

それにしても ここ海清僧堂の禅堂で 坐るのは 正直 私にとっては初めての経験でした。

正に専門道場の禅堂で一人で 坐禅が出来ることでした。専門道場の禅堂で二時間程一人坐禅出来るところは

私の知ってる範囲ではここだけでした。 いつも老師の法話が終了すると 私は抹茶を頂くことはなく またお斎は

食べないこととして 禅堂へまっすぐ行くのでした。 勿論数人の方も 坐りにもこられます。でも 半時間程すると

お斎の時間となり皆さんそちらに行かれ 禅堂は誰も居られなくなり 正に私一人で坐禅することとなるのです。

大体二時間程坐ってから 海清寺を後にします。

そんなことで 私にとって海清寺の禅堂は 『我が一人坐禅の舞台』の中では 最も印象深い 禅堂であります。

実は 海清寺との始まりは 西宮市のお祭り 「まちたび西宮」の 人気プログラムである 『海清寺での座禅』に

二度参加したのが 海清寺に行くこととなるキッカケだったのです。

禅堂での坐禅の後は 禅宗の作法に則った 昼のお斎(昼飯) そして老師の法話があり その後 茶礼。

参加者二十名程に対して 老師がなんと 一人づつお茶を点てられるのには 正直驚いた記憶が 残っている。

二回目に参加した時も 同じ様に参加者全員に 老師がお抹茶を点てられた。 私はそんなことで その年から

毎月第二土曜日の 老師の法話会に参加することとなった次第です。


参考 加藤月叟老師の略歴  加藤月叟 昭和27年〜令和3年(1952年〜2021年)

道号は月叟、法諱は義観。室号蒼龍窟。俗姓加藤。福手県越前市国中町出身。

25歳のとき東京練馬の廣徳寺福富雪底老師について得度。昭和54年圓福僧堂に掛搭。

西片擔雪老師に参じのち嗣法。平成10年5月圓福寺住職並びに僧堂師家に就任。平成18年8月

海清寺住職並びに僧堂師家を兼務する。令和3年4月30日没。



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