女神転生・クロス



 いつ溜まったかも分からない程のよどんだ水溜りの水面を、靴底が踏み抜く。

「ちっ!」

 ヒザまで跳ねてきた汚水に舌打ち一つしながら、踏み抜いた人物は構わず走り出した。
 いつから住人が消えたかも分からないような廃ビルの地下棟をひた走るその人物は、チラリと後ろを確認する。
 その背後から、異様な音がその人物を追いかけていた。

「マテ…………」

 乾いた木をこすり合わせたり、ぶつけたりするような音に続いて、これも軋み音と聞き間違えそうな声が響く。
 それを確認すると、また走り出す。
 しかし、徐々にだが逃げる者の足音と、追う者の異様な音が近くなっていった。

「はあっ、はあっ」

 段々息が荒くなってきた時、不意に逃げる者の足音が止まる。
 そこには、行く手を阻むためだけに存在するかのような、薄汚れた壁があった。

「オイツイタ………」

 立ち止まった人物の背後で、追う者の音も止まる。
 そこで、ちょうど瓦解した天井の穴から上階の窓から差し込む満月の光が両者を照らした。
 もしその光景を見た第三者がいたら、間違いなく自分の目と正気を疑うであろう場面がそこにはあった。
 追われていたのは、まだ二十歳を過ぎたばかりのような青年だった。
 緑地のジャケットに白地のスラックスといった格好に身を包み、子供が持つ無邪気さの名残を持つ青年は、額に上げておいたサングラスを無言で下げて追っていた者と対峙した。
 その視線の先にいたのは、人ではなかった。
 そこには、恐ろしい程巨大なしゃれこうべがあった。
 上半身だけしかないにも関わらず、天井に頭がつかえそうになる程巨大なそのしゃれこうべは、何の支えもなくそこに存在していた。
 その骨だけの顎が、微かに動く。
 それに応じて、軋んだ笑い声がその場に響いた。

「ザンネンダッタナ………ソレデハ食ワセテモラウゾ………」

 しゃれこうべが笑い声を上げる、という自然の摂理を無視した現象を起こしながら、あちこちの歯が抜け落ちている顎が大きく開いた。
 普通の人間ならば卒倒してもおかしくない状況に、青年はなぜか笑みをこぼした。

「そいつはどうかな!?」

 青年は素早くジャケットの懐に手を入れると、そこから何かを取り出した。
 途端、轟音が周囲に響き渡る。

「ホウ………」

 しゃれこうべがどこか驚いたような声を上げた、
 青年の手には、一丁の拳銃が握られていた。
 H&K(ヘッケラー&コック)MK23ソーコムピストル、合衆国特殊部隊統合軍の正式採用にもなっている高性能拳銃から放たれた銃弾が、しゃれこうべの額や肩に突き刺さる。

「テッポウナゾ効クト思ッ…」

 嘲笑しようとしたしゃれこうべが、不意に言葉を詰まらせる。

「コ、コレハ!?」

 銃弾の命中した所を中心に、しゃれこうべの動きが目に見えて滞り始める。

「葛葉御用達神経弾、結構効くだろ?」
「クズノハ、ダト!?」

 青年の口から出た言葉に、しゃれこうべが驚愕する。
 それを悠然と見ながら青年はソーコムピストルを懐に戻すと、今度はそこから奇妙な物を取り出した。
 それは、一見すると銃によく似ていたが、弾丸を発射するマズル(銃口)がなく、スライドに当たる部分は薄く縦に伸びている。
 更には、グリップ下部から伸びたコードが青年の腰に付けられたポーチの中へと消えた。

「貴様、マサカ!?」
「そのまさか」

 いたずらめいた笑みを浮かべながら、青年がそれのトリガーを引いた。
 すると、その手にした物体の前部がスライドしつつ、左右へと開いていく。やがて完全に左右に分かれた部分がそのまま前へと旋回し、また戻った。
 そしてそれは、ルーン文字の書かれたキーボードと小型ディスプレイを持った奇怪な形のPCと化した。

「オレは、サマナーだ」

 青年の指が素早くキーボードをタイプし、ENTERキーを押した。
 途端にPCの小型ディスプレイに魔方陣が浮かび上がり、そこから光が画面外へと吹き出した。
 吹き出した光は粒子となり、そしてその粒子の塊が形を取りながら青年の傍らへと降り立つ。
 段々光が薄れていき、そこにはトカゲの尾を持つ獣が現れた。

「ゴ命令ヲ、召喚士殿」

 口から呼気に混じって炎を吐き出す獣の口から、明らかに人間の言葉が漏れる。

「焼き尽くせ、ケルベロス!」
「ハッ!」
20
 その獣、地獄の門の番犬を勤めるという魔獣 ケルベロスに青年が攻撃を指示する。

「ヒィ…」

 ケルベロスの口から放たれた業火が、悲鳴ごとしゃれこうべー野垂れ死にした人々の怨念が集まって生まれるとされる邪鬼 ガシャドクロを飲み込んだ。
 数秒間その場を荒れ狂った業火が消えると、そこには一つの炭化しかかった普通の人間サイズの頭蓋骨が落ちていた。

「こいつが核になってた奴か………」

 青年がその頭蓋骨に手を触れると、限界に来ていたのか頭蓋骨はあっさりと砕けて、そのままチリとなってその場に崩れ落ちた。

「……ま、とにかくこれで依頼終了っと。帰るぞ」
「ハイ」

 ケルベロスを伴った青年は、おもむろにその場を立ち去り、後はただ静寂だけがその場を包んでいた……………








PART1 CONNECT


件名 近況報告ac……幾つだったっけ?
FROM クラウド
TO ヒトミ

>よ、お久しぶり。元気してるか?
こっちは相変わらずだ。
毎日悪魔相手に斬ったり噛まれたり話し掛けたり魔法食らったり撃ち返したりしてる。
お陰でたまに親から危ない事してるんじゃないかなんて言われてちょっとドッキリ?
怪我は回復させてるのに、なんで気付かれるんだろうかな〜?(いや、この間家に帰った時に未使用弾丸落としたのトモコに見られたのまずかったかも………)
オマケにレイホウさんは相変わらずキツイ仕事ばっか回してくるし。
ま、しがない下っ端サマナーの悲しい所なんだろけどね…………
そう言えば、この間送ってもらった本なんだけど、一応ヒトミの名前はかろうじて分かったけど、あとは全然………
オレが英語赤点だったって覚えてないのか?
もし英語分かったとしても、オレの脳味噌じゃ考古学だの民俗学だのの学術書なんて全然分かんないだろうけど(笑)
とにかく、勉強頑張ってくれ。(オレの分まで?)
じゃ、元気で。

PS 最近ユーイチに年上の彼女が出来たって話、本当だと思うか?


「これでよし、と」

 出来上がったメールをスプキーズ用暗号ツールで暗号化、そして送信。
 最早クセとしかいいようのない手順でメールを打ち終えた青年、HNクラウドこと小岩 八雲は大きく伸びをした。
 彼がいる居住用に改造されたトレーラーコンテナの中には、山のようなジャンクパーツや銃火器や刀剣、防具などが納められた棚が所狭しと並び、その中に埋もれるようにして自作PCを操作していた八雲は、足元にある何日前に飲んだか忘れたコーラの空き缶を蹴飛ばしながらコンテナ奥になんとか確保されたテーブルに脚を運んだ。

「小岩召喚士殿、ご飯できましたよ」
「お、サンキュー」

 四年前のアルゴン・スキャンダルの頃から彼に従っている仲魔、英雄 ジャンヌ・ダルク(正確にはその魂をドリー・カドモンという人形に封じ込めて作り上げた人造悪魔)が、なぜか甲冑の上からエプロンをつけているという奇妙な格好で作った昼食の載ったトレイを、テーブルの上に置いたのを見ると、八雲は大分使いこまれた感のあるソファーに腰掛けてハシを手に取る。

「じゃ、いただきま…」

 皿の上に有ったから揚げにハシを伸ばそうとした所で、横から伸びてき舌がから揚げの半数を一回でさらっていった。

「ウン、ウマイ」
「………おい」

 先程までテーブルの脇で昼寝をしていたはずのケルベロスが、口の中のから揚げを上手そうに咀嚼するのを八雲はジト目で睨みつけた。

「それはオレのメシだ!」
「コノ間ノ分ノボーナス、モラッテナイ」
「ニワトリ一羽まるでやっただろ、それじゃ不足か?」
「アレハ危険手当、コレボーナス」
「どこでそんな言葉覚えた………」

 言い争う気すら失せたのか、八雲は肩を落として食事に戻ろうとした所で、ジャンヌ・ダルクが声をかけてきた。

「あの、召喚士殿、まだ残ってますから」
「うう、素直に言う事聞いてくれるのお前だけだよ………」

 嬉し涙を流しながら、八雲がまた食われまいと猛烈な勢いで食事をかきこんでいた時、ふと懐の携帯が鳴り始めた。

「ふぁい、こひらやふも」
『あら、食事中だった?』
「あ、ふぇいふぉうふぁん」
『……飲んでからにして』

 電話口から聞こえる女性の声に従い、八雲は口腔内に詰まった食物をよ〜く咀嚼してから一息に飲み込んだ。

「で、レイホウさん何か御用で?」
『ちょっと任せたい仕事が出来たの。来てもらえるかしら?』
「またですか!? 一昨日やっと帰ってきたばっかですよ!?」
『イヤならいいのよ、誰か別の人に』
「はい、すぐ向かいます」
『急いでね、マダムを待たせたらダメよ』

 コロコロ態度を変える相手に苦笑しながら、電話は切れた。

「また仕事ですか?」
「そ、売れっ子は忙しくて困るね」

 ため息をつきながら食事に戻ろうとした八雲は、僅かな間に残っていたから揚げが全部消えているのと、ケルベロスが満ち足りた表情で再度横になろうとしているのに気付いた。

「貴様―!!!」



 古来より、人は力を求めてきた。
 ある者は己の体を鍛え上げ、ある者は英知を追求した。
 弱者であるがゆえに強者となりえる可能性を秘めた人は、長い歴史の中で少しずつ自らの領土を広げていった。
 だが、人はけして最強ではなかった。
 人が自らの力を持って領土を広げても、決して踏み込めぬ領域が存在したからだ。
 その人が踏み込めぬ闇の領域には、闇の住人達がいた。
 人を遥かに上回る強靭さと、人とは違う体系の英知、そして人が過去の遺物として捨て去った魔力を自在に操るその闇の住人達を、人は《悪魔》と名付け、恐れた。
 人の世が進み、悪魔達の存在すら忘却のかなたに沈めようとしても、それは不可能だった。
 時に人に牙を向き、暴虐の限りを尽くす悪魔達に、人はいつも恐怖した。

 しかし、人は諦めなかった。

 人はその一番の武器である英知を持って悪魔に抗する術を研鑚した。
 時には世界の仕組みを解し、時には悪魔と契約してその英知を盗んだ。
 長い長い研鑚の末、人の中に悪魔に抗する術を持った者達が生まれた。
《魔術》という古代の英知から生み出された召喚術を用い、悪魔その者を味方として悪魔と闘う者達、その名を《デビルサマナー》と言う…………


 一台の大型トレーラーが、商店街の一角に止まった。
 コンテナ部分に《Spookies》と書かれたロゴと、幽霊をコミカライズしたペインティングが施されたトレーラーから降りた八雲は、車のキーを指先で回しながら、《バー クレティシャス》と書かれた看板の出ている扉を無造作に開けて店内へと入る。

「ども〜、小岩探偵事務所の者ですが、ご依頼の件でお伺いしました〜」
「あら、来たわね」

 カウンターでグラスを磨いていたバーテンダー姿をした栗色の髪をショートカットにした女性がにこやかに微笑んだ。

「レイホウさん、最近なんか妙に仕事多くありません?」
「仕方ないわよ、人手不足が深刻でね。それよりマダムがお待ちよ」
「はいはい………」

 口の中で何か呟きながら八雲はおとなしく奥へと通じる扉に向かう。
 扉を開けると、中には香が立ち込めた薄暗い部屋が広がっていた。

「おや、いらっしゃい………」
「お呼びでしょうか、マダム」

 部屋の中央に置かれたロングソファーに腰掛けてキセルを吸っていたチャイナドレス姿の妖艶な雰囲気を全身にまとった女性、日本有数のサマナー組織《葛葉》の統括役であるマダム銀子が八雲を向かいに座るよう促した。

「早速だけど、いいかしら」
「オレに出来る範囲の事なら」
(また服装変えたのか………)

 なんでか定期的に服装も雰囲気もガラリと変わるナゾの上司に微妙な疑問を持ちつつ、八雲はマダム銀子の説明に耳を傾けた。

「三日前の事よ。出雲大社の係累に当たる神社が何物かに襲撃され、神主は死亡、奉られていた神剣が強奪されたわ」
「そこまでなら警察の管轄じゃ?」
「神主が巨大な獣のような物に引き裂かれて死んでなければね」
「!」

 それの意味する事に気付いた八雲の全身が少し硬直する。

「あなたに依頼するのは二つ、一つは犯人の発見及び処理、もう一つは神剣の奪回よ。最悪、犯人の処理を優先させて。こんな芸当が出来るのは間違いなくサマナーに違いないから」
「分かりました」
「あ、あともう一つ」
「?」

 席を立とうとした八雲を引き止め、マダム銀子が手を叩く。

「はい」

 すると、カウンターへと通じる扉から、小さな声と共に一人の少女が入ってきた。

「この子を今日から一緒に仕事に連れてって欲しいの」
「え?」

 唐突なマダム銀子の言葉に、八雲が目を丸くして少女を見た。
 見ようによっては中学生にも見えるような小柄な体を黒地のジャケットに包み、それとは対照的なキレイな銀髪が背中の半ばまで伸びている。
 まるで小動物みたいなどこか怯えた感じのする薄い鳶色の瞳を持った限りなく白に近い顔をこちらに向けた少女が、じっと八雲を見ていた。

「ほら、自己紹介なさい」
「あ、あの、カチーヤ・音葉(おとは)です」

 おずおずと頭を下げた少女をポカンと見つめていた八雲が、ゆっくりとマダム銀子に向き直った。

「………あの」
「レイホウの弟子よ。見た目はそんなだけど、術者としては結構な腕を持ってるわよ」
「そうじゃなくて」
「あと、見た目がそんななのは父親にロシア系の血が入ってたらしくてね。戸籍の上ではれっきとした日本人だから、変に意識しないように」
「はあ………」

 何を言っても最早無駄らしい事に気付いた八雲が、諦めて右手をカチーヤに差し出した。

「小岩 八雲。よろしく」
「よ、よろしくお願いします………」

 何かに怯えるようにゆっくりと手を出したカチーヤが、そっと八雲の手を握って握手する。

「今回がその子の初仕事だからね。くれぐれも無茶させないように」
「………させる奴がいたら見てみたいですけど………」

 目を離すとどこかに消えそうなはかない印象を持つ少女の手を引きながら、八雲はその場を後にした。



同時刻 出雲 戸塚神社

「それもう、酷い有様でした」
「確かにそのようですね」

 崩壊どころか、半ば粉砕されている観音開きの扉を潜り、スーツ姿でカラーサングラスを掛けた若い刑事が社の中を見た。

「なにか気付いた事は?」

 几帳面なのか、一点の隙もなく整えられたスタイルを、その鋭い視線で完全に刑事の雰囲気にしている刑事が、扉に劣らぬ状態に壊されている社を観察しながら第一発見者の中年男性に問い掛けた。

「気付くも何も、こんな状況じゃただ腰抜かすしか出来ませんでしたわ。真夜中に破壊音みたいなのが聞こえて何事かと来て見たら、ちょうど刑事さんが立ってる辺りに神主さんが血まみれで倒れてまして………もう見れた姿じゃありませんでした」

 その時の事を思い出したのか、顔を青くしながら口に手を当てている男性の言う事をメモしながら、刑事は聴取を続ける。

「それで、犯人らしい人影は誰も見ていない、と」
「ええ、それもう大きな音でしたから、近所の人間は全員飛び起きて見に来ましたけんど、誰も妙な人は見なかった言ってます。まあ、あれが人の仕業とはとても思えませんけんど………」
「悪魔の仕業、か………」
「え?」
「いや、何でもありません」

 刑事の口から漏れた言葉に首を傾げる男性をそのままに、刑事はしばし黙考する。

「あ、そう言えば神主さんの姪御さんが誘拐されたって話、本当ですか?」
「え、ええ。僕はその誘拐事件の担当でしてね。関連が無いかと思って調べに来たんです」
「なんとまあ………神主さん殺すだけでなく、誘拐までやるなんて、どこの誰がそんなひどい事を…………」
「それを調べるのが警察の役目です。どんな些細な事や妙な事でもいいから、何か思い出したらここに連絡を下さい」
「あ、はい」

 手渡されたメモを男性は見た。そこには携帯電話の番号と、刑事の名前が記されていた。

 周防 克哉 TEL ×××―××××―××××

「それではよろしくお願いします」
「犯人、絶対に捕まえてくださいね」
「……検挙できれば、ですが………」
「は?」

 男性の疑問を背に、周防 克哉警部補はその場を後にした。



 一つの事件が全く違う立場の2人の『力ある者』を巡り合わせる事となる。
 その偶然がどのような事態を呼ぶのか、未だ誰にも想像しえなかった………



感想、その他あればお願いします。






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