補足・今日のベルサイユとポーランド分割



 マリー・アントワネットがフランスに嫁いで、デュバリー夫人とケンカしていた頃、母のマリア・テレジア女帝は、ポーランド分割問題で頭を痛めてました。

 当時、テレジアの夫のフランツ・シュテファンは世を去っており、神聖ローマ皇帝は息子のヨーゼフ2世の代です。ヨーゼフは、母マリア・テレジアの不倶戴天の敵である、プロイセンのフリードリヒ2世、そしてロシアのエカテリーナ女帝と組んで、政治的に混乱していたポーランドを分割して、領土を増やそうとします。フリードリヒは、女帝の即位に異議を唱え、どさくさに紛れてシュレジエン地方を奪っていったという経緯があります。
 マリア・テレジアは、縁もゆかりもないポーランドの分割には反対し、なかなかサインをしようとしなかったそうです。

 アントワネットがフランスのブルボン王家に嫁いだのは、宿敵のプロイセンに打ち勝つために、オーストリアとフランスが同盟するためなんですね。これまでは、ずっと仲が悪かったのですが、プロイセンをはさんでいわば敵の敵は友達だ、と(笑)

 ポーランドを分割することによって、同盟国のフランスが気を悪くしたら困ることになるのですが、そんな折りに、アントワネットはルイ15世の愛妾と揉め事を起こしてました。ルイじーさまとしては、機嫌が悪い(^^;)

 結局、すったもんだした揚げ句、1772年の新年拝賀式でアントワネットはデュバリー夫人ジャンヌに話しかけ(ルイじーさまの機嫌が直った?)、それでポーランドは分割される運命になった・・というのが、シュテファン・ツヴァイクというマリー・アントワネットの伝記を書いた方のご意見らしいです(笑)
(第一次分割は1772年)

 真相はどうなのでしょう?(悩)



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