毛利家文書405  毛利元就自筆書状



       隆元         右馬
       元春 進之候     元就
       隆景


  尚々忘候事候者、重而可申候、又此状字なと落候て、てにはちかひ候事も
  あるへく候、御推量にめさるへく候ーー、

 三人心持之事、今度弥可然被申談候、誠千秋万歳大慶此事候ーー、

一 幾度申候而、毛利と申名字之儀、涯分末代まてもすたり候はぬやうに、
  御心かけ御心遣肝心まてにて候ーー、

一 元春隆景之事、他名之家を被続事候、雖然是者誠のとうさ(当座)の物にてこ
  そ候へ、毛利之二字、あたおろかにも思食、御忘却候ては、一円無曲事
  候、中ーー申もおろかにて候ーー、

一 雖申事旧候、弥以申候、三人之半、少にてもかけこへたても候はゝ、たゝ
  ーー三人御滅亡と可被思召候ーー、余之者には取分可替候、我等子孫
  と申候はん事は、別而諸人之にくまれを可蒙候間、あとさきにてこそ
  候へ、一人も人はもらし候ましく候ーー、縱又かゝはり候ても、名をう
  しない候て、一人二人かゝはり候ては、何之用にすへく候哉、不能申候、

一 隆元之事者隆景元春をちからにして、内外様共に可被申付候、於然者、
  何之子細あるへく候や、又隆景元春事者、当家たに堅固に候はゝ、以
  其力、家中ーー者如存分可被申付候ーー、唯今いかにーー我ーーか家
  中ーー如存分申付候と被存候共、当家よはく成行候者、人の心持可相
  替候条、両人におゐても此御心もち肝要候ーー、

一 此間も如申候、元春隆景ちか(違)ひの事候共、隆元ひとへにーー以親気毎
  度かんにんあるへく候ーー、又、隆元ちかひの事候共、両人之御事者、御
  したかい候はて不可叶順儀候ーー、両人之御事は、爰元に御入候者、まことに
  福原桂なとうへしたにて、何と成とも、隆元下知に御したかひ候は
  て叶間しく候間、唯今如此候とても、たゝーー内心には、此御ひつそく
  たるへく候ーー、

一 孫之代まても、此しめしこそあらまほしく候、さ候者、三家数代を可被
  保候之条、かやうにこそあり度候へとも、末世之事候間、其段まては
  及なく候、さりとては、三人一代つゝの事は、はたと此御心持候はては、
  名利之二を可被失候ーー、

一 妙玖ゑのみなーーの御とふら(弔)いも、御届も、是にしくましく候ーー、

一 五竜之事、是又五もし所之儀、我々ふひんに存候条、三人共にひとへにーー
  此御心持にて、一代之間者、三人同前之御存分ならては、於元就無曲恨
  み可申候ーー、

一 唯今虫けらのやうなる子とも候、かやうの者、もしーー此内かしらま
  たく成人候するは、心もちなとかたのことくにも候するをは、れんみん
  候て、何方之遠境なとにも可被置候、又ひやうろく無力之者たるへき
  は治定之事候間、さ様之者をは何とやうに被申付候共、はからひにて
  候ーー、何共不存候ーー、今日まての心持、速に此分候、三人と五竜之事
  は、少もわるく御入候者、我々にたいし候ての御不孝迄候ーー、更無別
  候ーー、

一 我等事存知之外、人をうしない候之条、此因果候はて叶ましく候と、
  内々せうし(笑止)にて候、然間、かたーーの御事、此段御つゝしみ肝要候ーー、
  元就一世之内に報候へは不及申候ーー、

一 元就事、廿之年、興元にはなれ申候、至当年之于今迄、四十余可年候、其内大
  浪小浪、洞他家之弓矢いかはかりの伝(転)変に候哉、然処、元就一人すへり
  ぬけ候て、如此之儀不思議不能申候、身なから、我等事けなけ(健気)者、とう
  ほね者にても、知恵才覚人に越候者にても、又正直正路者にて、人にす
  くれ神仏之御まほりあるへき者にても、何之条にてもなく候処に、かや
  うにすへりぬけ候事、何之故にて候共、更身なから不及推量候ーー、然
  間、はやーー心安、ちと今生之らくをも仕、心静に後生之ねかひをも仕
  度候へ共、其段も先ならす候て、不及申候ーー、

一 我等十一之年、土居に候つるに、井上古河内守所へ客僧一人来候て、念仏
  之大事を受候とて催候、然間、大方殿御出候而御保候、我等も同前に、十
  一歳にて伝授候而、是も当年之今に至候て、毎朝多分呪候、此儀者、朝日
  をおかみ申候て、念仏十篇つゝとなへ候者、後生之儀者不及申、今生之
  祈祷此事たるへきよし受候つる、又我々故実に、今生のねかひをも御
  日へ申候、もしーーかやうの事、一身之守と成候やと、あまりの事に思
  ひ候、左候間、御三人之事も、毎朝是を御行候へかしと存候ーー、日月い
  つれも同前たるへく候哉ーー、

一 我等事、不思議に厳嶋を大切に存心底候て、年月信仰申候、さ候間、
  初度に折敷はたにて合戦之時も既はや合戦に及候時、自厳嶋、石田六
  郎左衞門尉御久米巻数を棒ヶ来候条、さては神変と存知、合戦弥すゝ
  め候て勝利候、其後厳嶋要害為普請、我等罷渡候処、存知之外なる敵舟
  三艘、与風来候て及合戦、数多討捕頸、要害之麓にならへおき候、其時我
  等存当候、さては於当嶋弥可得大利寄(奇)瑞にて候哉、元就罷渡候時、如此
  之仕合共候間、大明神御加護も候と心中安堵候つ、然間、厳嶋を皆々
  御信仰肝要本望たるへく候ーー、

一 連々申度、今度之次に申にて候ーー、是より外に、我々腹中、何にても候
  へ候はす候、たゝ是まて候ーー、次なから申候て、本望只此事候ーー、目
  出度々々恐々謹言


      霜月廿五日       元就(花押)

  隆元
  隆景  進之候
  元春


かの有名な、「三子教訓状」である。5KBくらい、と考えただけで、十分にその長さというかくどさが 感じられるであろう。小説などでは感動的なシーンをしているものもあったような気がするが、身近にいたらかなり鬱陶しいぞ(笑)