斬り捨てる
(そして、身近な友人へのお願い)
昨今、考えることを放棄する機会に恵まれてるよね
例えば、彼女が相談を持ちかけてきたとして
A子:「ねえ、ちょっと聞いてくれへん?」
B男:「何??」
A子:「実は今日こんなことがあってさぁ…云々。」
B男:「それって、お前が悪いんちゃうん?」
A子:「そうだけど…」
あら、話が終わっちゃった(^^;
みんなが皆、そうとは思わないけど
少なくともおいらにはよくある光景です
たしかにその通りな事が多いのですが
斬り捨ててしまえば、それまでで
それ以降、議論の発展は望めないわけで
それが積み重なると不信感すら招きかねないでしょう
けど、斬り捨てちゃうんですよね…^-^;
なんででしょうか?
実は答えは明白で
面倒なことに足を突っ込みたくないだけ
要するに、「めんどくさぁーい」のです
おいらとツレの間で言うところの「逃げ」です
しかし、「逃げ」はたしかに楽だし
そこで余った時間を最大限に使えるという副産物もあるのですが…
しかぁし
今日、おいらは思い立ちました
ていうか改心しました
聞き上手になることは考えれることになる人だ
と勝手な解釈にも至りました
そうです、上の例だと相談相手ともに一緒に考えることが大事なのよね
たしかに他者への思いやりも大事ですが
そんなことが言いたいわけではありません(でも、大事ですよ)
そこでの意見の交換をすることが考えることに繋がる
とおいらは思うのです
じゃあ、彼等にも仕切りなおしてもらいましょう
A子:「ねえ、ちょっと聞いてくれへん?」
B男:「何??」
A子:「実は今日こんなことがあってさぁ …云々。」
B男:「そうか、でも俺はおまえが悪いと思うねん、けどA子はどう思うの?」
A子:「うちはなぁ …っておもうんよ、これってやっぱりあかんのかな?」
B男:「たしかにそれにも一理あるな、けどさこう考えてみるのはどう?」
うーん、こういう文章はやっぱり書いてて文才のなさに恥ずかしくなりますが
話は切れずにどんどん続いていきそうな感じを汲んでくれれば、幸いです
何気ない会話の中にも『考えること』って一杯あります
そして、『考えたくない』瞬間も一杯あります
大人になるための防衛手段が斬り捨てることなのかもしれません
しかし、斬り捨てることは自分に刃を向けているのかもしれません
時には斬り捨てることが愛情である時もあるでしょう
しかし、斬り捨てらた時に切ない思いをするのはおいらです
おいらも人間です365日間愛情には溢れていません
喜怒哀楽も当然付きまといますが
一言でも斬り捨てる言葉を減らしていきたいもんです
ところで、あなたはどうですか?
PS:リアルえっぐを知っててこの文章を読んだ人は、これに反したら戒めてくださいね
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