どたばた

 

 

 

「なんだこりゃ?」

 すっかり様変わりしてしまった資料室。うっかり足を踏み入れてしまった俺は、思わず漏れる間抜けな声を抑えることができなかった。忘れられた本が雑然と押し込められた陰気くさい、いや落ちついた空間がいまや半分ほど笹に占領されていて、パンダの飼育でも始める気かと問いかけたいくらいだ。

 と、危ない、さっきの声を教師に聞かれでもしたら厄介なことになる。急いでドアを閉めると、俺はとりあえず、ここにいるであろう宮沢の姿を探し求めた。

「あれ? どこだ?」

 いないぞ。

「ここですよ」

 む、いつもの場所に座っていたようだが、笹の中に埋もれていて気がつかなかった。改めて宮沢を見てみるといつものように笑っている、この奇妙な光景にもまったく動じていないのは見かけによらず図太いのか、大雑把なのか。

「この惨状はどういうことだよ」

「あはは、実はお友達の方が今日は七夕だからって、たくさんの笹を差し入れに来てくれました」

 本当にうれしそうに言う宮沢、こうやって喜んでくるのだからあいつらが競って持ってこようとしたくなる気持ちは確かに分かる、分かるのだが。

「まあ、確かに今日は七夕だけどな。悪い、正直、あいつらと繋がらん」

「けんかを売っているなら買ってやんぞ?」

「うわっ?!」 

 いきなりの声に情けない声をあげてしまった。

「他に人がいたのかって、なにやってんだ……」

 言葉のあったほうに首を曲げると、痩せぎすな男がナイフを手に不気味に笑っている……ってナイフ? もう少し友達は選べよ、宮沢……。

「へへ、俺のナイフの切れ味は最高だんべ?」

 自慢げに見せびらかすのは、色とりどりの長い紙。ようするに短冊の紙を切っているわけだな。ははは、なんでふれんどりいなんだ、さすが宮沢のお友達だ。

「ゆきねぇ、こっちのほうは終わったぞ」

 体に鎖を巻きつけた大柄の男、この人もお友達っすか……その鎖には何か意味でもあるんですかと問いたい、小一時間問い詰めたい。

「お疲れさまです」

「で、あいつは笹に飾る輪っかを作っていたと」

 なんだか現実逃避したくなってくる光景だ。

 そして、そんなお友達を従えているのが、目の前にいる、いかにもはかなげな印象を漂わせている下級生なわけだ。

『全国の宮沢さんには申し訳ないですが、わたしが悪の大ボスの有紀寧です』

「にあわねえ……」

「はい、何か言いました?」

「なんでもないぞ」

 命は惜しい。くっ、この場に春原がいればあいつを生贄にして俺は高みの見物を決め込むことができるんだが……。やつは勇と一緒にどこか行きやがった。

「そうですか、せっかくですから、朋也さんも願い事を書いてみませんか?」

「願い事?」

「ええ、せっかくの七夕ですから」

 確かに宮沢の言葉で笹のあちこちに短冊が吊り下げられている。やっぱ、にあわねえぞ、こいつらには。まあ、そんなことは口が裂けても言えないが。

「朋也さぁん?!」

 そのとき、いきなりナイフな男が頭の天辺から出したような甲高い声をあげた。俺をじろりと見る目つきが非常に危ない。

「おい、聞いたかよ、ゆきねぇが名前で呼んでるぜぇ?」

「あはは」

 照れる宮沢。いや、なんか言ってくれないと、俺、このまま簀巻きにされかねない予感がひしひしと感じるんだがな。

「む、お前はあのときにいなかったのだな」

「ああ、野暮用があってよぉ」

 急にしんみりとする男ふたり。もしかして助かったんだろうか?

「その席でな、こいつはとんでもないことをしでかしやがった」

 輪っかを作り続けるその手が、微妙に震えているのは気のせいなんだろうか。うん、気のせいだ、気のせい。

「あぁん?」

 こええ……。

「ふっ、まあいいだろう、こいつの勇気に免じておくぞ。さて、俺はこれから用があるから帰らせてもらうとするか」

「へへっ、殴りこみか? なんなら俺も手を貸すぜぇ?」

 ここで、物騒な会話はやめてくれ……。

「喧嘩はいけませんよ?」

「ちげぇよー、話し合いだよ、話し合いっ」

「それならいいですけど」

「じゃあ、またなー」

「…………」

 騙されてるぞ宮沢……まあ、おとなしく帰ってくれるならちょうどいい。窓を軽々と乗り越えて消えていく男たちを見て、俺はふうっと息を吐いた。命拾いした気分だ。

 ともかくようやくふたりっきりになる俺たち。それを意識し始めるとなんだか、こう間が持たないというか。

 どれ、あいつらがどんな願い事を書いたのか、手近なところを手にとってみる。

『マッハキックだもの   くにを』

 俺は無言で叩きつけた。

「ああっ、なんてことするんですかっ」

 そして宮沢に怒られた。

「だーもう、せっかくふたりっきりになったじゃないか! なんでこうおバカなノリに」

 くそっ、くにをめ……。

 宮沢に言われて仕方なく結びなおす。すると、いつの間に用意してくれたのか分からないが、魔法のようにコーヒーが出現していた。

「どうぞ」

「ありがとう」

 やっぱり笹が邪魔だぞ、と思いながらコーヒーをすする。よくもまあ、こんなに持ってきたもんだとなかば感心しながら辺りを見回す。視点が立っているときよりも低くなっていたせいか、余計に笹のジャングルに埋もれている気分がしてくる。

「あの……」

 笹の香りに包まれてしばらくまったりしていると、宮沢が上目遣いでこっちの様子を窺ってきた。言いたいことは分かる、俺は椅子を引いて、宮沢が眠りやすいようにした。

 こんな静かな時間がすごく好きになってしまったみたいだ。しかも最近は、膝枕のあとはお礼ということで……いかん、自然と顔がにやける。

「風子参上」

「…………」

「七夕の飾り付けに使うヒトデも持ってまいりまし……あーっ! 岡崎さんがえっちなことしようとしています! ぷち犯罪者です」

「ちげーよ!」

「風子はもう大人ですから、邪魔するなんて野暮なことはしません、さあ、好きなだけ楽しんでください」

 そう言っておいて、どうしてヒトデで叩かれなければならないのか分からん。

「風子はもう帰ります」

「じゃあな」

 結局何しにきたんだ。俺は額に刺さった木彫りのヒトデを抜きながら嘆息した。

 まあいい、気を取り直してだな。

「宮沢」

「朋也さん……」

 ようやく、目を閉じてこの静かな時間を。

「おい、あんまりうるさいと生徒会の……」

 今度は智代かよ……。

「ごほん」

 うわっ、すっげえわざとらしくて、いたたまれない……。

「まあ、あまり羽目をはずし過ぎないようにな」

 と、心なし肩を落として去っていった。

「ふうっ、静かだなあっ」

 なんか必死でしょう、最近の自分。

 ぎょぎょぎょぎょいんぎょいんぎょぎょぎょいん!

「今日は七夕だぞ、なんでこう邪魔が入るんだ……」

 俺がいそいそとドアを開けると、そこにはヴァイオリンの手にしたことみが立っていたんだ。

「うほっ、いい音」

「演らないかなの」

「演らない」

「朋也くんが冷たいの……」

 こうしてことみはぎょいんぎょいん鳴らしながら去っていった。取り締まるんなら真っ先にことみのほうだろう、生徒会長……。

 さて、こんどこそっ!

「おっすゆきねぇ」

「遊びに来たぜー」

「ってーな! 今わざと蹴りやがっただろ!」

「は? 勘違いすんなよ」

「おら、あとがつかえているんだ、さっさと入れ!」

 あはははは、まったくどいつもこいつも……。

 

 

 

「あ〜あ、結局もう帰る時間か……」

 バカ騒ぎというか、騒ぎバカというか、あいつらに無遠慮な目で見られて気分はなんとなく動物園のパンダのごとく肩身の狭い思いをした。でも、そんななかで宮沢は本当に楽しそうに笑っていた。俺に向けるそれとはなんとなく違っていた……。

「で、結局宮沢は何をお願いしたんだ」

 嫉妬か、これは? 認めたくないようなもやもやっとする心。俺は確かにあいつらよりも宮沢と付き合っている時間は短い。

「あ、すっかり忘れてしまっていました」

 あははと、照れ笑いの宮沢。

「意外とうっかりなんだな」

 ええと、と前置きをしながら、あの膝枕を頼むときのような目で言うのだった。

「わたしの願い事は、きっと朋也さんが叶えてくださるでしょうから」

 それですべて吹き飛んだ。

 

 

 

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