向かい風の先に

 

 

 

「寒くなってきましたね……」

 ぶるっと身体を震わせると、有紀寧は冷え切った手のひらに向けて息を吹きかけた。

 傾きかけた太陽は急速に地平線の向こうに姿を消そうとしている。立ち並ぶ住宅街の隙間を通り抜けていく風は、速度を増して小さな彼女の体を押し戻そうとするようにぶつかっていった。

 自宅に向けて足を進める有紀寧の隣には今日は誰もいない。いつもなら新学期が始まってすぐに出会った恋人と一緒に楽しい時間を過ごしているのだが、朋也は呼び出しを受けて学校に残っていた。有紀寧は待とうと思っていたが、長引くことが予想されたので朋也は有紀寧に先に帰らせた。すまなそうな顔をされては有紀寧としてもわがままを押し付けるわけにはいかない。後ろ髪を引かれるように彼女は校舎を後にした。

 夏休みが終わると学校は受験に向けて追い立てるように生徒たちを急かす。それは二年生である有紀寧たちにとっても例外ではない。この間も夏休みが終わってすぐに受けた模試の結果を眺めながら、担任が気難しそうな顔であれこれと口を酸っぱくしながら使い古された言葉を繰り返していた。

 それでもまだ一年という時間の猶予は、自分たちに免罪符を与えてくれている気がする。未来の不安を漠然と感じながらも、恋人との生活を楽しむとことができる。入学したてで環境に慣れるのに必死だった一年生、そしていよいよ受験という高い壁を目の前にした三年生。それに比べれば自分たちは一番充実した時間を過ごせるのかもしれない。

「朋也さんたちはどうするんでしょうね」

 それにしても、今気になるのは親しく付き合っている先輩のこと。特に勉強に励んでいる様子もなく、いつも通りの学校生活を送っているように見える。その中でもやはり焦りを感じているのか、時々浮かない顔をすることもあった。

「気になってしまいますね」

 有紀寧は苦笑した。

「わたしが焦っていても仕方がないことですけど」

 顔をうつむけて吐いた白い息が地面に広がっていく。

「もうすぐお別れなんですね……」

 その視線は既に移り変わった季節が見えているかのようだった。

「秋はなんだか寂しくなってしまいます」

 風に乗って流されていく落ち葉が目の前のすぐ側を横切って、また空に舞い上がっていった。わずかに色づいた葉は、彼女の見送る視線を受けて紺色の空に溶け込んでいく。

「せめてその日まで、朋也さんの気の休まるような温かいコーヒーを淹れてあげられたらよいのですが」

 頬がそっと赤く染まったのは夕暮れだけのせいではなかった。

 

 

 

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