美坂家のクリスマス
何事かと様子を見にきた父親は、声もかけられずどこかへ疎開していった。
「……邪魔しないでください」
「……それはこっちのセリフよ」
醜い姉妹喧嘩をとりなしにきた母親は、おたまを顔面に受けて昏倒した。
「どうしてお鍋にバニラエッセンスをかけるのかしら?」
「おねえちゃんが恥をかくかと思って」
「……ふうん」
互いの包丁とボウルが触れ合うたびに睨み合い険悪な空気をキッチンに撒き散らす。同じタイミングで目をそらすとそのあとでしばらく無言で作業を続けるふたり。その間いっさい視線を合わせようともせずに、オーバーなアクションで露骨に相手の作業を妨げようと試みる。
その結果、
「「あっ?!」」
ふたりはまったく同じタイミングで床に散らばった材料に視線を落とし、まったく同じタイミングで顔を上げた。
「ねえ栞、今何時なのか知ってる?」
こめかみをひくつかせて腕組みをする香里、そうでもしないと握られた拳がとんでもないことをしでかさないとも限らない。
「4時ですね」
香里の問いかけに栞がにこりともせずに答える。彼女もまた小麦粉をふるう手を止めずに、必死に懐に収められたものを取り出さないように自分を抑えていた。
「相沢君が来るまであと1時間しかないのよね」
「そうですね。祐一さんを招待したのは私ですからよく覚えていますよ」
ことさらに丁寧語を使って、文字通り姉を敬遠する。
「確かあたしが料理を作って、栞がケーキを作るってことになったのよね」
「ええ、じゃんけんに負けたのは残念ですけど、クリスマスにはケーキが定番ですから。これを私が作ったと知れば祐一さんの中で私のポイントがかなり高くなるのは間違いないです」
「まあ、そううまくいくとは限らないけど、ねえ。作り始めたのは3時だったわよね……どうしていまだに完成してないのかしら?」
「お姉ちゃんが足を引っ張っているからじゃないですか? 使えない姉を持つと苦労しますね」
気を取りなおして握った包丁が嫌な音をたてた。
「ふうん、すぐに泣いてあたしの後ろをくっついていた妹がずいぶんと言うようになったわね」
淡々とした声の中に潜む殺気がまな板のジャガイモに向けられる。常人には声すらかけられない迫力も妹には関係ないようだ。
「間違った方向に進んでいる姉を導くのも妹の務めですから……妹に先を越されて焦りたくなる気持ちは分かりますけど、よりによって妹の恋人を取ろうとするなんて最低としか言いようがありませんね」
「あら、まだ栞の恋人であると決まっているわけないじゃない。そんな妄想をするなんてどこかで頭をぶつけてきたんじゃないの?」
「いいえ、この胸に燃えあがる恋心ははっきりと祐一さんに繋がっています!」
ぐっと握られた小さな拳と自信ありげな瞳に対して冷静なつっこみがはいる。
「へえ、あんたの恋ってその胸みたいに薄っぺらく見えるからねえ……あたしの愛に比べると見劣りするんじゃないかしら?」
「なっ、お姉ちゃんの言う愛なんてその顔に塗りたくられた化粧のような誤魔化しにすぎないものでしかないでしょ!!」
「なんですっ……」
ヒステリックに怒鳴り返しそうになった香里は慌てて余裕を取り戻す。が、手の包丁の柄はすでに香里の手の型をくっきりと写していた。
「……ふん、自分を飾ることは決して罪ではないのよ、そりゃただ塗ればいいと考えているような連中は別だけど、上手に使えば自分の魅力を何倍も引き出してくれるわ。ま、人形がつけるような趣味の悪いエプロンを使っているお子様に理解できるとは思わないけど。はっきり言って逆効果に過ぎないわよ……イメクラ? まあ、だいたいあんたのセンスなんてねえ」
本来の目的から逸脱したフリルで過剰に飾られたエプロンに香里がせせら笑う。それにはいくら栞といえども黙っていられなかった。
「大きな御世話ですっ! お姉ちゃんこそ行き遅れが焦ったあげく後のない女郎蜘蛛みたいに見えますよーだ。生活感がにじみ出てお似合いです」
「なんてこと言うのよっ!」
言葉と共に包丁の柄をまな板に叩きつける。衝撃で皮をむかれたジャガイモが浮きあがった。
「その眉間のしわが命取りですよ♪」
「く、くくく……」
歯軋りしながらなんとかこらえると、香里は輪切りにしたニンジンをかたぬきで星やハートに変えていく作業を始めた。ともかく手を動かしておかないと料理が完成することはない。それは栞も同じはずだが姉にちょっかいをかけることを優先する。とりあえず材料を見てぷっと吹き出した。
「……可愛らしいところを見せたい気持ちは分かりますけど、お姉ちゃんがお星様にハートマーク? ドクロマークの方が似合うんじゃないですか?」
「あんたっ、いいかげんにしなさいよっ!!」
これ見よがしに摘み上げられ、あざ笑われ、ついに切れた香里が拳を振り上げ握りしめていたニンジンを投げつけた。至近距離ではあったが難なくかわした栞が余裕の笑みを浮かべる。が、はずれたニンジンがレンジのつまみにぶつかりガスがもれ始めことにふたりは気がついていなかった、というよりそれどころではなかった。
「今日という今日は腐った性根を叩き直してあげるわっ!!」
どこから取り出したのか、トレードマークであるメリケンサックを嵌めて血相をかえた香里が吠える。栞も注射器を取り出すと不気味に微笑んだ。そこには上目遣いで甘える可愛い妹の姿はどこにもない。
「力任せなんて野蛮人のすることですよ、文明人のスマートさを見習って欲しいですね」
注射針の先から得体の知れない液体が漏れる光景を見て、栞は喉の奥でくつくつと笑った。
「子供をしつけるのは単純なのが一番なのよっ!」
叫んですぐに香里が動く。右手が唸りをあげて栞に迫った。
「いつまでも子供扱いしてると足元をすくわれますよ」
メリケンサックと注射針が交差し、激しく火花が散る。
「「え?」」
次の瞬間、美坂家のキッチンが崩壊した。
「えう〜、せっかくのクリスマスが〜」
「こんな結末、あたしは認めないわよっ!」
その後、姉妹仲良く病院のベッドに横たわることになった。一番悲惨だったのは気絶したまま逃げ出すこともかなわず爆発に巻き込まれた母親であろう、さっさと逃げだしたことで薄情さを責められた父親との間で夫婦喧嘩が始まり、美坂家の絆は史上最大のピンチを迎える事となった。