あたしは昔からなんでも人並み以上にこなすことができた。勉強もスポーツもそして他人との距離の取りかたも。

 そしてひとつ下の妹は不幸にも病弱だった。そんな妹を両親は当然のごとく溺愛し、あたしにも人生を妹に奉げるよう強制した。

 もちろんあたしも妹は憎からず思っていたから、幼かったあたしは期待に応えられるよう、親に負担をかけまいと手のかからないように生きてきた。

 おかげで誉められることは多くても叱られることはなかった。

 愛情を確かめたくてわざと馬鹿なことをするほどひねくれていたわけでもない。

 でもどこかでそんな生活に疲れを感じていたんだろう。

 だから妹がいよいよ危なくなった時、今までの努力が無に帰そうとしていることにどうすることもできなくなったあたしは逃げるしかなかった。

 逃げたところでなにも解決するわけないのに。

 心の底でそんなあたしを叱って欲しかったのかもしれない。なんてわがままなのだろう と、あきれ返ってしまうほどに。

 だから……。

 

 

「だからあたしをおしおきして♪」

「……おねえちゃん、きしょい」

「ああんっ♪」

 

 

 告白

 

 

 私は病弱でした。

 お医者さんからも長くは生きられないだろうと言われ続け、そしてとうとう宣告されてしまいました。でも、あの人と出会ったおかげで生きる喜びを見出し奇跡的に……奇跡という言葉なんて使いたくはなかったのですけど、快癒しました。ベッドの中だけで想像していたあれこれを実際に見聞き、触れ、感じることができるようになったのです。

 しかし、私が健康を取り戻すのとひきかえにひとつの問題が持ちあがりました。私の尊敬する姉が、自慢の姉が変わってしまったのです。

 

 

「し〜お〜り〜」

「見てません見ないでくださいここは私の部屋ですなのに変な女の人の声が聞こえるんですどうにかしてください」

「あ〜た〜し〜を〜め〜ちゃ〜く〜ちゃ〜に〜し〜て〜」

「えう〜っ」

 

 

「祐一さん、何とかしてくださ〜い」

 と、栞が泣きついてきたのはもうすぐ新学期を迎えるというのに肌寒い風が吹き抜ける日のことだった。

 正直栞の言っていることが信用できない、というかそんな香里が想像できないでいた。だから軽く考えていた。しかし後から思えば俺が甘かったのだ。

「う〜む、これも一種の愛情表現だろうからなあ、何しろあいつは今までお前のことを突き放していたんだろ? 罪悪感もあって過剰にくっつこうとしてるんじゃないのか?」

「それならまだいいですけど……愛情表現って聞こえはいいですけれど一日中見つめられるんですよっ! 荒い息が聞こえるんですよっ!! 祐一さんは扉の隙間から覗かれても平気なんですかっ?! 寝ているとき、お風呂に入るとき……あまつさえ、ト……とっ、ともかくっ! もう私はうんざりですっ! ストーカー法で取り締まって欲しいですぅ。しかも人に罵られることに喜びを見出す変態に成り下がってしまいましたっ!! そんなお姉ちゃんなんて欲しくないですっ!!」

 穏やかにとりなそうとする俺の言葉に気色ばんで反論する栞がかなり怖い。

「それは大変だな……俺の知らない間にそんなことになっていようとは。新学期が始まったらクラスの連中どんな顔見せるかなぁ」

「メリケンサックを差し出されるのも時間の問題です……」

「そうなったら雪玉に石を詰めたものをぶつけたのちに、50メートルの雪だるまの中心に埋めこんでしまうしかないんじゃないか」

「犯罪者にはなりたくないですっ……しかもそれくらいでくたばるようなタマじゃありません。その生命力を少し分けて欲しかったです……はっ?!!」

 マシンガンのごとくまくしたてていた栞が不意に硬直する。何事かと好奇心をそそられた俺は栞の見ていたほうに視線を向けてみた。

「……ぬあっ?!!」

 電柱から体半分だけ覗かせて香里が笑っていた。唇を歪めるような笑みを見せていた。長い髪の隙間から覗く瞳が妖しく輝いていた。

 ……なんか無茶苦茶恐いんですけど。

「どうし……」

「えう〜、どうしましょ祐一さん。変に顔が上気しているし、なんか太股をしきりにこすり合わせています、恐いです〜」

 はっ、栞がこんなに恐がっていると言うのに俺が怯えていてどうする! ここは男としてしっかりとしなければいけない時だろうが。

「…………」

 いや、だから怖いものは怖いんだってば。

「春先に出没する変態みたいだな……とにかく目を合わせるのだけはやめた方がいいだろう。とりあえず俺の家に避難するか? 秋子さんに頼めばしばらく泊めてくれると思うし」

「はいっ! お願いします。何なら一生お世話になってもいいくらいですっ」

 いや、それはさすがに……。

 

 

「……なあ、つけられてないか?」

「その様子はなさそうですね」

 しきりに後ろを警戒しながら倍の時間をかけて到着する。意味もなく映画館に寄ってみたり、百花屋で注文するふりをしてダッシュしたり。ストリートミュージシャンのふりをして流しをしたら予想外の収入があったことはうれしい誤算というやつだった。

「ふ〜、とりあえずここまで来れば安心だろう……秋子さんはいないか」

 玄関をそっと開けて素早く鍵を掛ける。

「えう〜、入れてください〜」

 あ、栞を中に入れるのを忘れてた。

 

 

「あんまりです〜、祐一さんにまで裏切られたのかと思いました〜」

「いや、だから悪かったって」

「このまま玄関先で手首を切ることになるかもしれないって、自分の血で赤く染まった私は綺麗に見えるかなって」

「ごめんなさい。前に栞にせがまれたお姫さまだっこで部屋まで連れていくからやめてください」

「ほんとですかっ? 逞しい腕で抱き上げられながら部屋まで運ばれる……私の叶えたい夢だったんですよ。じゃあ遠慮なくお願いします」

 ……機嫌がよくなってよかった。しかしどこからカッターナイフなんか取りだし……考えるのをやめて抱き上げよう。

「……どうですか?」

「どうですかって?」

「あの……察してください」

「ああ、君はまるで極上の羽のようさ、ははは」

「……棒読みですね」

「うるさい、これ以上言うと下ろすぞ」

 なんでこんなセリフまで言わされないといけないのだ。それでも大人しく階段を昇って自分の部屋まで連れていく。栞を落とさないようにしてなんとかドアノブを開けて自分の部屋に踏み入れる。

 そして硬直。

「その不自然な布団の盛りあがりはなんだーーー?!!!」

 俺の叫び声に合わせて塊がもぞもぞと動き、ついにあのウェーブが顔を覗かせる……いつのまに入りこんでいたんだ。

「おかえり、栞ちゅあ〜ん」

 ……ちゅあ〜ん?

「私に姉なんていませんっ!! 勝手に人の恋人のベッドに入りこんでスケスケのネグリジェを着て誘惑する姉なんていませんっ!!」

 栞の言う通り、退廃的過ぎる格好で勝手に俺のベッドに潜りこんでいる、しかも紫。

「なあ香里、栞がこんなにも嫌がっているんだぜ、栞のことが本当に好きならやめてやるべきじゃないのか?」

 らしくもなく真面目な顔で説得してみる、なるべく香里の目は見ないようにして。

「なるほど……」

 おっ、効果あったか?

「栞は相沢くんの恋人! 栞はあたしのご主人様っ!! よって相沢くんもあたしのご主人様っ!!!」

「ど、どうしてそうなるっ?!」

 香里はすでに思考回路がまともじゃなくなっていた。妹も妹で思いこみが激しかったがやはり姉妹だな……もう俺には手におえない。

「えう〜っ、そんなことを考えるお姉ちゃんなんて嫌いですっ! ……えう、そのとろけきった笑みはなんですかっ?!」

「あふぅ……いいわ、いいわよぉ。もっとあたしをなじってぇ」

 ぐあぁ、強烈過ぎる……なんて言うかもだえるたびに揺れるその。

「祐一さんも反応しないでくださいっ!!」

「はっ?! いやこれは違うんだっ、下半身はべつものーみたいな?」

「ふふふ、いいのよ……相沢君もおとこのコなんだし、しかたないわよねえ」

「あああ脳髄に響く声が、ちろちろと動く赤い舌が、その毛布から覗くたゆんたゆんとしたふたつのかたまりが」

「祐一さんっ!!」

「はっ?!!! ……ふう、危なく虜にされるところだったぜ……」

「危なくじゃなくてすっかり虜になってましたよっ! えう〜っ、やっぱり胸ですか? 胸なんですかっ?!」

「お、落ちつけっ! 落ちついて俺の首を絞める手をなんとか……」

「どうせ、私の胸はぺったんこですよっ! お姉ちゃんと一緒に歩いていて娘に間違われたことがありますよっ!!」

 それは香里の方が屈辱だったんじゃないのかな〜? ……あ、そろそろ落ちそう。なんて考えていられる俺って結構余裕があるのかもしれない。

「責任も取らないうちに死ぬのはやめてくださいっ!!」

 ……ずいぶん勝手なことを言われているような気がする。でも反論しようにも声すら出せないんだよなー。

 そんなわけで俺はあっさりと落ちた。

 

 

「というわけなんです」

「あらあら」

 もうこうなったらしょうがないと俺達は秋子さんに助けを求めた。なんの根拠もないが秋子さんなら何とかしてくれるだろう、だって秋子さんだし。

 とりあえず香里は逃げられないように縛り上げておいた。まあ、抵抗することもなく勝手にプレイだと思いこんで身悶えているが。今はなるべく視界に入れないように袋を被せている。

「ジャムですね」

 秋子さんはなんだか凄くうれしそうだった。その表情になんだか嫌なものを感じながらも俺にはどうすることもできない。

「これでお姉ちゃんは元に戻るんですねっ」

 こうやって目を輝かしている栞を思うと下手なことは言えないよなあ。いや決して自分の身が可愛いってわけではない。

 不安げに見ている俺に気づいているかいないのか、秋子さんは戸棚の奥から山吹色の憎いやつを取り出してきた。

「ふふ、ちゃんと熟成しています」

 俺には違いが分からないが秋子さんがそう言うんならそうなんだろう。

「お願いしますっ」

「ええ、任せてください……ねっ!」

 秋子さんの右腕が閃光を描き、

「むぐぐっ?!」

 次の瞬間には口の中にスプーンが押しこまれていた。

 ……栞の。

「ふう、終わりましたよ」

「そっちかよっ!!!」

 俺の裏拳つっこみが華麗に秋子さんに決まった。

 

 

 そして、

「おい香里、アイス食いたくなったから買ってこい」

「はい♪」

「ちゃんと買ってこれたらご褒美に踏んでやるからよ」

「ありがとうございますぅ♪」

「グッバイ、マイスイート栞……」

 変貌してしまったかつての恋人を遠くに眺めながらはらはらと涙をこぼす俺の姿があったりなかったり。そしてそんな俺を見ている視線があることに気がついてはいなかったのだった。

 

 

「うふふふふ。お母さんのおかげで祐一を取り戻すことができそうだよ……あとはわたしから告白するだけだね♪」

 

 

 

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