酔っ払いと雛祭り

 

 

 どたばたとした足音とともに乱暴にドアが開かれる。

「あうーーっ!! 祐一、祐一祐一ーー!!」

「がっ?!!!!」

 足音の主は目標物を発見するやいなやフライングボディアタックを敢行し、その結果として鳩尾に激しい衝撃を受けた祐一は天国から一瞬にして地獄に突き落とされた。

「いきな…り、なに、げほっ、しやがるっ……」

 体を二つ折りにして苦悶の表情を浮かべているのに気がつかないのか、真琴ははしゃいだまま息つく間もなく下になった祐一に喋りかける。

「そんなことより下に降りてみてよぅ、すっごいんだから〜、きっと祐一なんか腰抜かしちゃうわよ〜! ……って、どうしたの?」

 そこで初めてきょとんとした表情を見せた真琴に、祐一は痛みも忘れて思わず怒鳴り返していた。

「どうしたのってお前がのせいだろうがっ!! 俺様の安眠を妨害するたあ、お前も偉くなったもんだな!!」

「あうぅ……とにかくすぐに下に降りてよぉ!」

「……聞いてないだろ、人の話」

 あまりの効果のなさに別の痛みを覚えたのか祐一がこめかみを押さえる。が、真琴はその手を掴んで強引に引っ張り始めた。

「いいから、いいから」

「ちょ、ちょっと、待て、まずは着替えてから……」

 思った以上の真琴の力に慌てて体勢を立て直そうとする祐一の体からかけていた毛布がずり落ちた。その瞬間、ベッドから引っぺがそうとする真琴の動きが止まる。

「え……きゃああああっ!!?」

 真琴の視線が注がれている物の正体に気づき、祐一は慌てて毛布を被った。

「馬鹿、だだの生理現象だっ!」

 

 

「……なんだ、雛人形じゃないか」

 リビングにでんと飾られたそれを目にするなり、祐一があくびを堪えながらそう言い放つと、期待する反応と違った言葉に真琴が不満げな声をあげた。

「ぶ〜、なんだとはなによぅ。この凄さが分からないなんて、祐一もたいしたことないわね〜」

 確かにそう言われてみれば、五人囃子まできっちり揃っているうえ年代物特有の落ち着いた雰囲気が出ている。しかし真琴に言われて気づくのはあまりにもしゃくなので黙っていたが、それを肯定と取ったのか真琴がにやにやとした笑みを浮かべ始めた。

「ふふん、ようやく分かったみたいね、これだから祐一はデリカシーがないとか言われるのよ」

「だからってお前が威張ることはないだろ」

 あきれたように祐一がつっこみを入れると、そこにいつもの微笑みを浮かべて秋子が顔を出した。

「祐一さん、おはようございます」

「おはようございます」

 軽く頭を下げると秋子が二人の見ている雛人形にちらっと視線を投げかける。

「今日はひな祭りですから、せっかくですので飾ってみました」

「真琴も手伝ったんだよ〜」

「へえ、ひな壇なんてあったんですね」

「ふふ、これはですね、名雪が生まれた時に姉から譲ってもらったものなんですよ、うちは男の子だから必要ないって」

「ま、確かに」

 秋子はソファーを横切ってひな壇に近づくと、一番上に置かれたお雛さまを手に取った。そして、祐一たちに背中を見せて首の付け根辺りを指差す。

「見てください、お雛さまのここに小さな傷があるでしょう?」

「あ、ほんとですね」

「これはですね、私たちがまだ幼いころ、姉さんとお雛さまの取り合いをした時にできたんですよ……どっちがお雛さまになるかで揉めましてね」

「秋子さんも喧嘩するんですね、想像つかないや」

「うふふ……その後、母親に来年から飾らないとこっぴどく叱られて、二人で泣きながら謝ったのを覚えています」

 秋子は元の通りに戻し人形に慈しむような視線を一瞬向けると向き直った。

「さあ、朝食にしましょうね」

 

 

 部活があると言う名雪と別れ祐一が学校から帰宅すると、ちょうど秋子が買い物かごを手にして玄関から出てくるところだった。

「ちょっとこれから買い物に出かけますので、留守番お願いしますね」

「あ、買い物なら俺が行きますよ」

「いえ、祐一さんは真琴の面倒を見てあげてください。あの子ったら一日中お雛さまの前から動こうとしないんですよ、よっぽど気にいったんですね」

「はあ、分かりました」 

 一旦自室に戻り着替えてからリビングに行くと、秋子の言う通りひな壇の前にペタンと座りこんだまま動かない真琴が目に入る。手元に置かれた雛あられはおそらく秋子のお手製なのだろう。

「えへへへへ〜〜」

 それと、甘酒がなみなみと注がれた湯のみを手にしてご満悦といた表情を浮かべているようだ。

「ご機嫌だな」

「おかえり〜」

 祐一に気づいて振りかえったその顔はすでに赤く染まっていた。

「できあがってやがる……」

 なんだかこのまま放っておきたい気もしたが秋子に頼まれた以上そうもいかない、とりあえずひな壇を置くために位置を変えたソファーに座ってテレビでも見ようかとリモコンを目だけで探す。

 が、真琴にはそれがお気に召さないらしい。急に不機嫌そうに唇を尖らせると自分の隣りの空間を指差した。

「祐一はこっちに座りなさいよ」

「はい?」

「いいから祐一はここ!」

 ばんばんと床を叩きながら叫ぶ酔っ払いに逆らうのも馬鹿らしい。

「分かったよ……」

 秋子さんは真琴を甘やかし過ぎだよなと、祐一はそっとため息をついた。しぶしぶと腰を下ろすとすぐに真琴が寄りかかってくる。

「こらっ、あんまりひっつくな」

 普段なら喜ばしい行動なのだろうが、さすがに甘いものが苦手な祐一には勘弁して欲しいほどの甘ったるい匂いがした。

「いいじゃないのよう、今日は女の子のための日なんだから、男の祐一は真琴の言うことに従わなきゃいけないのよ!」

 ずずずっとコップの中身を飲み干しながら絡んでくる真琴の目はすっかり据わっている。思わず目を逸らしたい衝動に狩られたが真琴がそれを許さない。

「はぁ〜っ、飲み過ぎだぞお前」  

 さすがにまずいと思った祐一は真琴からコップを取り上げようとした。

「だめ〜っ!」

「こらっ、暴れるなっ!!」

「祐一が放せばいいのよぅっ!」

「馬鹿っ! このままじゃ……いでっ!」

 コップを放さずのしかかる真琴に気を取られた瞬間、二人はもつれるようにしてひな壇に倒れこんでいた。

「うわあああああああっ!!?」

 

 

 買い物を終えた秋子が帰って見たものは甘酒と雛あられと無残に散らばった人形にまみれた二人の姿だった。

「……あなたたち」

「あうぅ……」

「えーと……」

 ひな壇の下敷きになりながら揃ってぎこちない笑みを浮かべる二人に、秋子は意識が軽く飛んでいくのを自覚していた。

 

 

 その日商店街の真ん中で、お内裏さまとお雛さまの格好をして一晩中正座をさせられる二人の姿があったという。

 

 

 

戻る