まこまこナース

 

 

 それは衣替えを済ませ、身も心も軽くなってきた頃だった。

「祐一が死んじゃうーっ!」

 さっきから真琴が俺にとりすがるようにして泣きじゃくっている。過去の体験のせいなのか、やけに熱に対して過剰反応を見せる真琴らしい行動ではあるのだが。

 正直重い。普段ならどうってことないんだろうが、ベッドに横たわらざるをえない今の状態ではさすがの俺も辛い……というか風邪を引いた原因は、俺が寝ている間にエアコンをフル稼動させやがった真琴のせいじゃないのか。

「だから〜、ただの風邪だっての……それくらいで死ぬかよ」

 それだけを喋るのも億劫だ。げほげほ言っていると言葉にも説得力がないけどな。

「ほ、ほんと?」

「あ、ああ、分かったならあんまり近づかないでくれ、お前まで風邪引くぞ」

 まあ、なんにせよ本気で心配してくれるってことが分かるからうれしいのは事実だ。なんだかごまかされているような気分だが……ともかく、そうやってのしかかってくるのはやめて欲しいわけで。

 ……ほんの少しはうれしいのかもしれん。

「そうですよ。はい、ここに洗面器とタオルを置いておきますから」

 いつのまに部屋に入ってきたのか分からなかったが、秋子さんが助け舟を出してくれた。しぶしぶといった様子で真琴が俺の上からどくと、入れ替わるように秋子さんが散らかった机の上を整頓して持ってきた洗面器を空いたスペースに置く。そしてタオルをぎゅっと絞るとそれを俺の額に乗せてくれた。冷たいタオルの感触が火照った頭に気持ちいい。

「ありがとうございます」

 心配そうな表情でかいがいしく世話をされていると、なんだか子供のころに戻ったように思えてくる。あのころは俺が風邪を引くたびに大騒ぎを……。

『いいから、学校へは行きなさい。ひどくなったら保健室で寝てればいいでしょ。たかが熱が出たくらいで大げさなんだから』

 ……俺って望まれない子供だったのかな……?

「どうしたんですか? 急に遠い目をして……」

「い、いえ、なんでもありません」

 母さん、俺は秋子さんの子供になります……とか言うと、『あっそう』の一言で済まされそうだ。

「私はこれで出かけますけど……大丈夫かしら」

 遠くの空にいる母の心無い仕打ちに、さめざめと涙を流しながら秋子さんを見上げる。頬に手を当てて見下ろす姿はまるで聖母マリアのようだった。本当に血が繋がっているのか疑わしい気分になる。

「ははは、心配いりませんってば、一日寝ていれば元通りです」

 インフルエンザが流行っているというニュースは聞いていないし、まあ、大丈夫だろう。これくらいのことで駄目になっているようでは真琴達とつきあうことはできない、と思う。

「そうですか……昼食におかゆを用意しておきましたから、お腹が空いたら温めてちゃんと食べてくださいね」

「なにからなにまで、お世話になります」

「ふふっ、祐一さんは大事な家族ですから当然のことですよ……あら?」

 突然秋子さんがあらまあといった感じの表情を見せる。つられるように視線を向けるとなぜか知らないが、真琴が落ちこんでいた。

「……役に立ってないよぅ」 

「は?」

「そりゃ、秋子さんには敵わないけど……」

 俺からはよく聞こえなかったが、なにやらぶつぶつ言っている真琴の言葉を理解したのようで秋子さんがうなずいた。そしてぽんぽんと励ますように真琴の頭に手を置く。はっと見上げる真琴に向かって秋子さんはやさしく微笑みかけた。

「名雪が帰ってくるまでは真琴に任せますから、しっかりね」

 ……えっ、それはかなり心配なんですけど? 秋子さんの言葉に、真琴とは対照的に俺の表情が曇っていく。

「任せてよっ」

 任せたくないと思うぞ。しかし名雪は学校を休めず、秋子さんが出かけるとあっては、この家の中にいるのは俺と真琴のふたりだけ。もはや選択肢など残されていないのだ。

「はあ……」

 微笑みを浮かべる秋子さんと自信たっぷりな真琴の笑顔にものすごく嫌な予感を抱いてしまう。それが間違いではないことを知るのに時間はかからなかった。

 

 

「真琴がしっかりと祐一の世話をしてあげるからね、早くよくなりなさいよ」

「……あのな」

「ん? タオル変える? それとも汗かいたから拭いて欲しいの?」

「そんなに見つめられると眠れないからさ、悪いけど出てってくれないか」

「え〜、祐一のけち〜っ! 真琴のどこが不満なのよ〜。大人しく真琴に看病されなさいよっ!」

「それは違うだろ……」 

 

 

「祐一〜っ、これで文句ないでしょ」

「……は? ぶふっ?! なんだ、その格好はっ?!!」

「なにってナース服に決まってるじゃない、秋子さんの部屋にあったのを拝借したのよ」

「はあっ? 秋子さんはいったい何を考えて……」

「ふふふ、祐一はもうセクシーな真琴にメロメロよね」

「あ〜、風邪が治ったら好きなだけ披露してくれ、そんときは飽きるほど見てやるから」

「はあっ、男って本当にスケベよね」

「お前が勝手に着たんだろうが……まあ、一言だけ言わせてもらうとだな」

「なによ?」

「秋子さんのを借りただけあって色々と余ってるよな」

「うるさいっ!」

 

 

「祐一〜」

「なんだよ、風邪も引いてないのに顔を赤くさせやがって……ぶっ?!!」

「あのね、トイレに行きたくなったらすぐに教えてね」

「トイレくらいひとりでいけるわっ!! 尿瓶なんか必要ないわあっ!!!」

 

 

「は〜い、お昼のおかゆができたわよ」

「……秋子さんが用意してくれたのをお前は温めただけだろ……」

「細かいことは気にしないっ」

「分かった分かった、じゃあ、そこに置いといてくれ」

「え〜っ、つまんな〜い。真琴が食べさせてあげるから口開けなさいよぅ」

「なんでだよ……」 

「いいからっ! あ〜んして、あ〜ん! ……あれ、なんだか急に鼻がむずむず……はっ……はっ……はっ……」

「げっ?! おい、じょうだ「はくしょんっ!!!」」

「…………」

「……は? ……ゆ、祐一だいじょう……ぶ」

「……タオル、持ってきてくれるよな」

「ごめん……」

 

 

「お詫びに玉子酒作ってみたんだけど……」

「日本酒に生卵乗せたものなんて飲めるかっ!!」

「いいから飲んでみなさいよっ、おいしいかもしれないじゃない!」

「逆切れかよっ!!」

 

 

「祐一、祐一!!」

「なんだよ……うるさいな」

「そういえば、ねぎを首に巻くとよくなるって美汐が言ってたっ!」

「ぐえっ?!! なにをするっ? ぐ、ぐるちぃ……」

「あ、力入れすぎちゃった」

 

 

「……じゃなくて、ね、ねぎはお尻に……」

「いやああああっ?!! 助けて〜っ!! ねぎに犯される〜〜〜?!!!」

「ふふふ、祐一ちゃ〜ん、痛くしないからお姉さんにパンツ脱がさせてね〜……あう〜っ、なんだかいけない気分に目覚めそう……」

「い、いいかげんにしろっ!!!」

「あう〜〜〜っ!?」

 

 

 ……疲れた。本当ならなにもせずに寝ていなければならないはずなのに、何が悲しくて怒鳴ったりしないといけないんだ、しかも汗かいて下着を変えるはめになったり……いや、ねぎは関係ないぞ。

 しかも、原因を作りやがった真琴は現在俺の部屋の隅で膝を抱えていたりする。そこの空気がやけにどんよりとしているのは俺の気のせいじゃないよな……。

「真琴はいらない子〜、真琴は役立たず〜、真琴はなんにもできな〜い」

 …………。

「真琴はダメにんげ〜ん、なにをやってもどじばかり〜♪」

 ……結構余裕あるじゃないか……だがな。

「真琴は……」

「うっとうしいわ〜〜〜!!!!」

 もう我慢の限界だ、人が大人しくしてれば調子に乗りやがって。

「だ、だって〜……」

「落ちこんでるならそれらしく落ちこめっ!! しかも妙な歌歌って喜んでるんじゃないわっ!!!」

「よ、喜んでなんかいないわよっ!! 小さな胸が張り裂けんばかりの乙女の気持ちが分からないなんて失格なのよぅ!!」

「何に対して失格なのかよく分からんが……」

「って、あ〜〜っ!! 真琴のパンツ見たでしょっ!! 祐一の変態っ!!!」

「なっ、そんなことするかよっ!!!」

 見たんじゃない、見えていたんだ。そこ重要だからよく覚えておきやがれ。さらになにか言い返してやろうと思った時、がちゃりとドアが開いて秋子さんが顔を覗かせた。

「あらあら、なんの騒ぎかしら」

「あ、おかえりなさい」

「おかえりなさい」

「はい、ただいま」

 真琴とくだらない言い争いを続けている間に帰宅したんだろう、思ったより早いような気はするけど、これから夕食の準備をすると考えてみればおかしいことではないのか。

「秋子さん聞いてくださいよ」

 とと、秋子さんが帰ってきたなら好都合じゃないか、こうなったら秋子さんからビシッと言ってもらうしかない。ところが俺の声は秋子さんに聞こえていないようだった。

「まあ、どこで見つけてきたの?」

 どうやら秋子さんの目は真琴の着ているナース服にくぎづけらしい、それでいて少し頬を赤くさせている。珍しく照れているみたいだ。

「あう〜っ」

 勝手に持っていったことで叱られるんじゃないだろうか、真琴の表情はそう雄弁に物語っていた。

「かわいいじゃない、似合ってるわよ」

「ほ、ほんと?」

 お叱りの言葉でなくほっと胸を撫で下ろす真琴、まあよかったじゃないかと思いかけ、俺は本来の目的を思い出した、一緒になって喜んでどうするんだよ。

「いや、俺の話も……」

「あら、祐一さん、すっかり元気になったみたいね」

「……へ?」

 戸惑いで言葉を失う俺の額に秋子さんが手を当てる。

「うん、どうやら熱は下がっているみたいね」

「そ、そうですか?」

「ちゃんと祐一さんを見てくれたのね、偉いわ」

「えへへへへ……」

 秋子さんに誉められて照れる真琴を眺めながら、なんか釈然としない俺だった。

 

 

 

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