真夏の昼の悲劇
いきなり俺は途方に暮れていた。
「……どうですか?」
呆然と見上げた先には剣の突き刺さったエアコンがある。先程まで断末魔の悲鳴のように震わせていた動きを止め、今はただ弱々しく煙を吐き出すばかり。
なんともシュールな光景だ。
「修理には一週間近くかかるみたいですね」
受話器を下ろした佐祐理さんも困ったように首を傾げた。
が、肝心の原因を作った人物はというと、
「慌てても仕方ない」
……とまあ、ひとりだけ麦茶を飲んでくつろいでいやがる。
「こらっ、剣は捨てたんじゃないのか!!」
……あ、叫んだら気温が上がった。
「祐一が頼りないから……それにいわばこの剣は私そのもの、自分を捨てるなんてこと、私にはできない」
「そういう意味じゃなくてだなあ、なんで俺のたわいない冗談に剣が出て来るんだよ……」
「手元にあったから」
「あったからで投げるなっ! おかげでエアコンが壊れただろうがっ!!」
「祐一が避けるのが悪い」
「避けなかったら死んでたわっ!!」
「祐一なら大丈夫」
「嘘だっ!!」
時速140キロで飛んできた剣に貫かれて生きていられるほど人間やめてない。
「祐一さん、怒鳴っても涼しくはなりませんよ」
俺達の不毛なやりとりにいいかげんうんざりしたのか佐祐理さんが口を挟んでくる。普段の彼女らしくない口調だ。いつも感じられる優しさのかけらもない。
「そうですね……」
俺は額から流れる汗を拭いながら気分を落ちつかせようと絨毯の上に腰を下ろした。その間に佐祐理さんはソファーに座っている舞の隣りにちょこんと腰かけ、テーブルに置かれた雑誌をぺらぺらとめくり始める。
そのさまのすべてが絵になる人だ。よくまあ、こんな美人ふたりと一緒に暮らしていられるんだろ、運命の神様には感謝しないといけないな、と自分を慰めておく。
「にしても……ちっとも暑そうに見えないんですけど」
エアコンの煙のせいで余計に温度が上がっているというのに、佐祐理さんも舞もまったく汗をかいていない。なんとなくひとりだけだらしないように思えて不快だ。室内温度は確実に35度を越えているだろうに。
「祐一は修行が足りない」
舞に断言された。
「あはは〜、そんなことないですよ〜、政治家の娘ですからこれくらいは……ただちょっと気が立っているから、思わず食事に毒を盛ってしまうかもしれないって程度です」
やはり佐祐理さんはお怒りモードだった。
「ごめんなさい、すいません」
そんな素敵な笑顔がとても怖いです。めくっている雑誌の載ったおかずがとてもおいしそうに見えるだけに。
てか、自分には関係ないって目をするな舞、あくまでも壊したのはお前だ。
「あはっ、ははは、扇風機くらい持ってくればよかったかな……」
これ以上佐祐理さんを刺激しないようにごまかしつつ、近くにあった薄っぺらい雑誌をうちわがわりにして扇ぐ俺。冷や汗が蒸発してくれるといいなぁ……。
「部屋のスペースの問題もありますし、当時は必要ないと思っていましたからね」
確かに3人の荷物が置かれていてはなかなか余分なものを置くスペースがないのは分かる。同居生活を始める時に実家の援助を可能な限り受けないって決めていたみたいだし。
このエアコンも3人のバイト代を出し合ってなんとか工面したというのに……。
「……まさかエアコンがなぁ?」
意味ありげに舞に視線を向けるがまったく動じない、かと思ったその時、
「仕方ない」
舞がいきなり立ちあがった。
「なんだよ?」
意外な反応に俺が怪訝な目で見ていると舞はおもむろにエアコンに突き刺さっていた剣を抜いた。空いた穴からひときわ大きな煙が立ち昇る。
「おい、これ以上……」
ドスッ。
「おおおおおすすすすすす??!!」
剣は俺の顔をかすめて壁に刺さっていた。
「涼しくなった?」
「なっ、なっ?!」
「舞〜、あんまりやりすぎると敷金が返ってこなくなるからやめてね」
「悪かった」
そこでようやく我に返る。
「こらっ! なんで佐祐理さんには謝って俺には謝らん!! それに人に剣を向けるなと言っているだろうがっ!!!」
ぷいっ。
「くうううっ、舞のくせに、舞のくせにっ!」
「私の方が年上」
「関係あるかあっ!!!」
……ぐあ、今度は血管が……。
「あ、いいこと思いつきました〜」
よろめいた俺と対照的にほんわかとした表情で佐祐理さんがポンと手を打った。
「な、なにかいい案が?」
なんとか体勢を立て直すと、俺はすがりきった視線を向ける。この暑さがしのげるならあゆにもすがりたい気持ちでいっぱいだ。
『うぐぅ、ひどいよ、祐一く〜ん』
……暑さのせいで幻聴が聞こえてきた。
「お風呂に水を張りましょうか、少しは暑さがしのげますよ」
「おおっ、佐祐理さんナイスアイデア!」
と、言うまでもなく建設的な意見だった。さっさと思いつけ俺。
「水風呂、嫌いじゃない」
舞も心なし嬉しそうである。
「水のなかでいちゃちゃ嫌いじゃない」
ごすっ!
「真似しないで……」
「……ふぇい」
いつもよりツッコミの威力が増しているぞ……なんだかんだ言ってお前も修行が足りないんじゃないのか……。
「そんなことはない」
……また叩かれた。
「で、なんで俺だけ……」
お風呂に水が溜まったのはいいが、なぜか俺は仲間はずれにされていた。期待の余りトランクス一枚になったあげく、今では寂しく扉を背にして体育座りをしている自分がちょっぴり愛しい。
お風呂掃除をしたのは俺なんだぞ〜、と心の中で呟く。
「あはは〜っ、ごめんなさいね〜、残念ながら祐一さんの入るスペースがないんですよ。それに佐祐理は別に構わないんですけどね、舞が照れちゃいますからね、あいたっ」
水音に紛れて舞のチョップの音、なんとも涼しげでガラス越しの向こうにいる彼女達が恨めしいぞ。
「うううううっ……麦茶でも飲もう」
しかし冷蔵庫を開けると欲しいものがなかった。
「あ、祐一さん、麦茶なら舞が飲んでいたのが最後ですよ、申し訳ないですけど沸かしておいてください」
「……はい」
流しに置いてあったやかんに水を入れて大人しく火をかける。そのままぼーっとやかんを見ていると、やがて湯気が上がってきた。
……熱い。
「たまにはこういうのもいいね〜」
「はちみつくまさん」
そして向こうは楽しそうだった。
「秋子さんの家にしばらく泊めてもらおうかなあ」
ぼんやりとしたなかそんな考えも頭をかすめてくる。案外いい考えかもしれない。このマンネリとした生活にスパイスを加える意味でもリフレッシュは必要かも? いや必要だろ? もちろん必要に決まってる。
三食昼寝つきで秋子さんの手料理、むざむざと手放したのは失敗だったのかもしれない。
「あはは〜、裏切りは許しませんよ〜っ」
……聞こえてたっ?! つーか喋ってたっ?!
「えぐえぐ、祐一が私たちを捨てた……」
……いや、そんなことは考えてませんっ。
「大丈夫だよ〜、祐一さんがそんなことをしたらどうなるか分かっているはずだから〜」
……ど、どうなるんですか?
「あ、あの、嘘ですよ、もちろん」
「分かってくれればいいんですよ〜」
ガラス戸の向こうが見えなくてよかったと、俺は初めて感謝した。
そして一週間後、紆余曲折はあったが部屋の壁に神々しく輝く存在がぴたりと納まった。都合がいいのか悪いのか分からないが今日も暑い。
「くうう〜、ようやくエアコンが復活したか〜」
見違えた姿になって帰ってきたエアコンにほお擦りしようとしたところを佐祐理さんに止められた、それくらい嬉しかったわけだ。
「はしゃぎすぎ」
だが舞は俺の溢れんばかりの感動をよそに醒めた目をし、さらに俺が感動に浸っている間にさっさとエアコンの設定をしてスイッチを入れてしまった。
「暑いからって理由で俺に触れようともしなかったくせに」
そう言ったら殴られた、しかもグーで。どうも一緒に暮らすようになってから凶暴になってきた気がする。
「祐一さんったら……」
「う、いやあはははははは」
おまけに佐祐理さんの目が痛かった。なんとかごまかさねばなるまい。
なんとか……ああ、え〜と……。
「ま、まあ、これでともかく暑いからといって秋子さんの家に寄ったりする必要もなくなったたわけだな……はっ??!」
何を口走ってるんだ俺はっ?!
慌てて口を塞ぐがもう遅い、一変した空気は俺の動きを完全に封じていた。
「祐一……裏切り者」
だから剣は捨ててくださいと何度もお願いしているはずなんですけど。
「はぇ〜、やっぱりそうだったんですね、ここしばらく帰りが遅いと思ったら……」
あう、凄く好戦的な笑みですね佐祐理さん、そんな目をしたあなたもとても魅力的だと思います。
「あ、べ、別に深い意味があるわけじゃないんですよ?」
「私たちはちゃんと部屋に帰ってきていたのに」
「離れないって約束だった」
「だからそんな大げさなものじゃ……」
「「祐一」さん?」
ひいいいいいっ?!!
……数分後、ベランダの向こうに追い出される俺の姿があった。
しかもクーラーの排熱を当ててくれる念のいれようだった。
当然30分持たずにギブアップした。
……夏はもうこりごりです。春が来てずっと春だったらいいのに。