スイカ
確かに昨日はうだるような暑さだった、その気持ちはよく分かる、分かるつもりだ。そう無理やり納得して自分の気持ちを抑えつけようとする。
だけど、
「もう、うんざりよーーーっ!!!」
あたしは手にしていたそれを庭に向かって思いっきり投げつけていた。
しゃぐ、しゃぐ、しゃぐ。
真っ赤なスイカを頬張るたびに口一杯に甘いジュースが溢れ出してくる。あたしはそれを味わう間もなく飲みこむとすぐに次へと取りかかる。その際口の中に入った種は勢いよく皿に吐き出した。どうせ誰も見てなんかいやしないのだから気にする必要もない。最初は上品にスプーンを使って食べようかと思ったけど、皿に積み重なっていくスイカの皮の量に、いつしかそんな気もなくなっていた。
しゃぐ、しゃぐ、しゃぐ。
それもこれも考えなしの両親のせいだ。安いからと勧められるまま母がふたつ買ってきて、そして父が同じようにしてふたつ持ち帰ってきた……この似たもの夫婦が。
計四個。四人家族にスイカ四つ。計算するまでもなくノルマはひとりひとつ……それなのに。
しゃぐ、しゃぐ、しゃぐ。
朝から食べ続けたせいで半分以上はなくなったかもしれない。いいかげん身体の水分が全部スイカの汁に置き換わってしまったような気がする……妖怪スイカ人間の誕生だ。
「ふう……」
あきらかにお腹の中がたぷんたぷん揺れている。おかげで動くのも億劫で、だから目の前にあるスイカを食べることしかできない。そんなあたしを残して、この家唯一の男手である父親は仕事と言って逃げ、母は近所の会合だと言って逃げた。
見捨てられた哀れな娘。その境遇に涙する間もなく、迫りくるのは緑と黒のしましまの丸い物体。スイカという鎖に繋がれた囚われのお姫様は涙の代わりにスイカの汁を流す。
「……想像したら気分が悪くなってきた……」
しゃぐ、しゃぐ、しゃぐ。
「……しばらくは絶対に体重計に乗らないんだから」
固い決意をしながら食べ終わった皮を放り投げる。
「栞も栞よ、なにもこんな日に……」
あたしは恨めしげな目を二階に向けた……。
「お見舞いに来たぞ」
「わざわざご苦労様」
来客を知らせるベルの音に慌てて玄関に向かうと、右手にコンビニの袋を下げた相沢君が珍しく殊勝な顔を見せて立っていた。よほど栞が自分の現状を哀れっぽく訴えたに違いない。真実はアイスの食べ過ぎでお腹を壊したというだけなのに。
「く、くくくくくく」
「…………?」
なぜか急にあたしを見て笑い出した。
「な、なによ?」
正直気分のいいものではない。わけを問いただすような目を向けると、相沢君はしきりに自分の鼻の下辺りを指差し始める。
「あっ?!」
言われたところに触れてみると、いつのまにかスイカの種が貼りついていた、これじゃまるで……。
「いいっ、今のは内緒だからねっ!! 特に栞には言わないようにっ!!」
思わぬ失態に顔が熱くなる。妹の次に見られたくない人物に見られてしまった。これで妹に伝えられた日には、翌日には確実に町内に広まってしまうだろう、それだけは避けなればならない。
「はいはい」
きつく釘は刺しておくつもりだけど、へらへらとうなずいている様子ではとても信用できたものじゃない。やつあたりで向こう脛を蹴り飛ばしてやろうかしら、そう思いながら栞の部屋まで案内した。
しばらくすると、ほっとした感じで相沢君は下に降りてきた。どうやら不埒な行為に及んだわけではないようだ。さすがにあたしが下にいる状況では栞も無理だったらしい。
その前に帰ろうとする相沢君をなんとか引きとめないと。さっさと玄関へ行こうとする相沢君を手招きする。
「なんだよ?」
のこのこと近づいてきた相沢君にあたしは極上の笑顔を向けた。
「相沢君はスイカは好きかしら? もちろん大好きよね。大好きで大好きでひとつくらいじゃ足りないくらいよね、むしろスイカを食べないと死んでしまうのよね……食べていきなさい」
「強制っ?」
「うるさいっ」
切ってきたばかりのスイカを乗せたお盆に向かって指を突きつける。相沢君は積み重ねられた皮を見て、状況を理解したのか諦めたように腰を下ろした。
「これみんな香里が食べたのか」
「悪い?」
しまった、片付けるのを忘れていた……食べさせようとするのに気を取られていたことに唇を噛む。またしても失態を見せてしまった。
ため息を飲みこみながら、恨みをぶつけるようにスイカにかじりつく。ああ、この甘さが憎たらしい。
「まあ、スイカは嫌いじゃないけどな」
そう言うと相沢君も豪快にかぶりつく。その迫力はあたしのそれとはあきらかに違っていた。やはり相沢君も男の子なんだと妙なところで感心する。
「……なんだよ?」
「へっ? あ、なんでもない……わよ」
言われて見とれていた事に初めて気がついた、なんとなく気まずい。それにしてもさすがに早い。
……ここは畳みかけるべきね。
「もうひとり助っ人を呼ぼうかしらね」
あたしはためらいなく携帯の番号を押した。
「あのう、わたしは香里が一緒に勉強したいって言うから来たんだけど……」
テーブルに置いた問題集とスイカを見比べながら名雪が不安げにあたしを見上げてくる。
「いいから食べなさい、勉強の前にはビタミン……そう、ビタミンが必要なのよ」
「祐一〜」
「いや、俺に振るな」
相沢君がくわえたスイカと一緒に首を振る。
「あんたイチゴ好きなんでしょ! ほら見なさい!! 同じ赤だし、こんな風に種もついているじゃない!」
「……イチゴは果物だけど、スイカは野菜だよ。全然違うよ……」
「黙って食えーーっ!!」
「逆切れっ?!」
「……諦めろ、今の香里はお前のよく知っている香里とは違う」
「そうみたいだね……」
そう呟くと諦めたようにスイカを手に取る。しばらくの間この家にはスイカを口にする音だけが響いていた。
「ふう、ようやく片付いたか……」
「わたし今日はご飯いらない……」
「新しく切ってきたわよ♪」
「「嘘っ?!!」」
なんだかんだあったけど、相沢君たちのおかげでかなりの戦果をあげることができた、感謝を込めて今度はちゃんと勉強を教えてあげようと思う。
……なのに。
「どうして、またもらってくるのよ!!」
どうしても断りきれなくって、そう言って笑う母親に向かってあたしは思わず怒鳴りつけていた。しかも今度は三つ、やけになったあたしは庭でスイカ割りを行い、しかるのちに貪り食った。涙がこぼれてくるのも構わず食いまくった。
その夜、あたしはスイカをくり貫いた化け物に襲われる夢を見た。