かき氷
昼食が終わった後の気だるい午後、部屋を出てそっと階段を降りると、わたしはキッチンに向かった。
「これより作戦開始だよっ」
気合を入れて、わたしはそろりそろりと足を踏み出しながら冷蔵庫を目指す、あくまで慎重に。途中で一回背後に注意すると、できるだけ音をたてないように冷蔵庫を開ける。お母さんは先ほど出かけたばっかりだし、祐一たちは自分の部屋で寛いでいる、だから気づかれることはないはず。
「でも、急がないとね」
戸棚の奥を漁ってかき氷を作る機械を見つけると、さっと水洗いをして水を切り、そして素早く製氷皿の氷を中にあける。蓋を閉めて下にガラスのお皿をセットすれば、後は取っ手を回せば完成。
「イチゴ♪ イチゴ♪ ひんやりイチゴ♪」
削られた氷がお皿に積もっていくのを眺めるのは好き。雪とはまた違った感じの、水の見せる表情は、わたしの心を和ませてくれる。
わたしはぐるぐると取っ手を回しながら、がりがりと氷の削られていく感触を楽しんだ。それはもう、お皿の限界を越えて氷が溢れだしたのにも気がつかなかったくらい。
しかしそのわずかな時間のロスが命取り、わたしは警戒するということについてあまりにも無頓着だった。好きな物が目に入ると我を忘れてしまう性格をどうにかしたい、いつもそう思っているのに。
「……ずいぶんと楽しそうだな」
「うん、すごく楽しい……よ」
後ろからかかってきた声に反射的に返事をして、その場に凍りつく。振り返るまでもなくその声は祐一のものだった。
「いやはや、俺たちに声もかけずにひとり夏をお楽しみですか? ずいぶんとつれない話ですなあ」
「え、だって……」
かき氷のシロップは誰がどう見てもひとり分しか残されていない。
「だからと言って、お前はひとり占めしようというのか?」
祐一の追及が厳しい、もう少しわたしに優しくしてくれてもいいのに。
「わたしの分しか残ってなかったんだもん、しょうがないじゃない」
「お前のだといつ決まったんだ?」
「う〜、だってこれイチゴ味だよ」
「イチゴもイナゴもあるか。いいかよく聞け、夏にかき氷を食べたいのはお前だけじゃないんだぞ、みんなで食べて夏を分かち合う、それが家族の素晴らしさというものだろうが」
どうしてかき氷でここまで言われないといけないんだろう。妙に熱く語る祐一に目の前のかき氷のように心が冷えていく気がする。
「じゃあ、どうすればいいんだよ……」
「名雪には大人しく罰を受けてもらおうか」
祐一がろくでもないことを考えているのはあきらかだった。
「暑いよぉ……」
こんな日にか弱い女の子ひとりに買い物をさせる祐一の仕打ちに対して、毒づきながらわたしは近くのコンビニに向かった。容赦なく振り注ぐ太陽の光は、道行く人に例外なく試練を与える。きちんと背広を着ているサラリーマンの人は本当にすごいなあと思う、暑くないのかな?
やっとの思いでコンビニのドアをくぐると、わたしはほっと息をついた。まとわりついていた生温い空気が一気に飛ばされていく。代わりに涼しいと言うにはちょっと冷たすぎる風がエアコンから吹き付けてきた。
「と、涼みに来たんじゃなかったんだ」
祐一から渡されたメモを広げると、乱雑に書かれた文字が目に入ってきてつい眉をしかめてしまった。もう少し丁寧に書いて欲しいな、そう思いながら品物をひとつひとつ探していく。新しいシロップ、パックの牛乳、肉まん……肉まん?
「そんなのあるわけないじゃない」
どうしてあの子はそこまで肉まんにこだわるんだろう、自分のことは棚に上げながら商品棚に目を走らせていく。
「ジャムパンは、お母さんが作ってくれっるやつのほうがおいしいし……あ、イチゴヨーグルトだ。どうしよう、買っておこうかなあ」
夢中になっているうちに人とぶつかりそうになる。
「「あ」」
謝ろうとして、同時に声をあげていた。
「こんにちは……」
挨拶されたことに気づいたのはしばらく経ってからだった。
「あ、あの、こ、こんにちはっ」
ええと、この人はたしか、川澄先輩さんだったかなあ。祐一を通じて知り合った人だけに、何を話せばいいのかよく分からなくて困る。いつもなら一緒にいる倉田先輩が会話のフォローをしてくれるんだけど。
「うわあ……」
思わず正面から見てしまった、ブラウスを押し上げる豊かなふくらみに羨望のため息が漏れる。この季節、身体のラインがくっきりと出てしまうことが多いから、運動とか色々と気を付けてはいるんだけど。この前香里に羨ましがられてちょっぴり自信を持っていたけれど、さすがに川澄先輩には敵わない。
「上には上がいるんだね……」
例えばお母さんとか。
「な、なに?」
少し頬を赤らめて困ったような川澄先輩の顔が目に入り、わたしはやっと我に返った。
「あのう、倉田先輩は一緒じゃないんですか?」
「どこかに出かけた……」
「お買い物ですか?」
「そう」
か、会話が続かない……。
「え、ええと、お暇ですか?」
わけの分からないうちに誘いの言葉をかけていた。
「……遅かったじゃないか?」
「ねーねー肉まんはー?」
「あーもう、いっぺんに言わないでよ」
ビニール袋を奪わんばかりに縋りついてくる真琴をたしなめてから、わたしは入ってくれるよう玄関前で律儀に待っている後ろの川澄先輩を促した。
「……こんにちは」
川澄先輩の姿にさすがの祐一もびっくりしている。そのことにささやかな喜びを感じながら、素早く祐一の後ろに隠れてしまった真琴に袋を手渡した。よく分からないけど、真琴はこの人のことを苦手にしているみたい。
「珍しい取り合わせだな」
「コンビニでたまたま出会ったんだよ」
「ふうん……佐祐理さんは一緒じゃないのか?」
「…………」
「ん?」
わたしと同じことを聞かれたせいなのか少し不機嫌そうだった。
「私は佐祐理のおまけじゃないから」
一緒に暮らすようになってからどこか心境の変化でもあったんだろうか。前はもう少しべったりって感じだったと思うけど。まあ、あんまり顔をあわせないから気が付かなかっただけだろう。思い直して気が利かないふたりの代わりにスリッパを勧める。
「ちょうどよかったぞ、今からかき氷を食べようとしてたところなんだ。舞はかき氷は好きか?」
「嫌いじゃない……」
わたしを見る祐一の笑顔に、再び嫌な予感がした。
「固まっているんだけど……」
わたしは情けない思いで目の前のかき氷を見つめた。
「そりゃ、溶けないように冷凍庫に入れておいたからなあ。わざわざ目盛りも強に合わせておいてやったんだぞ」
「ひどいよっ」
かちこちに凍りついた氷の固まりをスプーンの先でがしがし削ろうとする。これじゃ、かき氷じゃなくて氷だよ……。
「冷たくておいしいっ」
「いや〜、みんなで一緒に食べるかき氷はおいしいなあ」
「嫌いじゃない」
みんな、わたしが買ってきたシロップをかけておいしそうに食べている。わたしが誘ったんだから、川澄先輩からなにか言ってくれてもいいのに……。
がしがしがし。
「あう〜っ、きーんときた〜」
「はっはっは」
「…………」
がしがしがし。