花火

 

 

「はい、佐祐理はお留守番をしていますから、舞は佐祐理の分まで楽しんできてね」

 近くで花火が打ち揚げられるから一緒に観に行かないかと、先ほど祐一さんから誘いがありました。もちろんそれは佐祐理たちだけ、というわけではなく、知り合いの方はみんな誘っているみたいです。電話越しにも名雪さんたちの楽しげな声が聞こえてきてきました。普段ならきっと佐祐理も弾んだ声で返事をしていたでしょう。

「そう……」

「御夕飯はなに食べたい?」

 舞の表情を見なくても佐祐理を連れていきたがっているのは分かります。でも、どうしても今日は外へ出たくありませんでした。

「なんでもいい」

 だから佐祐理は祐一さんの誘いを丁重にお断わりしました。意外そうな祐一さんの声を残して電話を切る自分、あのあとに向こうで流れる空気を思うと、とても気まずいです。

「行ってきます……」 

 理由はもちろんあります、でもそれは他人には言えません。それだけに後味の悪さはいつまでも残ります。

 寂しげに部屋を出ていく舞を見送った後、佐祐理は大きくため息をついていました。

 

 

 佐祐理はあまり花火が好きではありません。でも、別に初めから嫌いなわけではないのです。

「……あ」

 今、窓から小学生くらいの女の子が、幼い子供の手を引いている光景を見てしまいました。とてもいたたまれない気持ちになってきてしまいます。それは佐祐理に作ることができなかった思い出だからでしょうか。

 そして思い出してしまう、あの日のこと。

「いや……」

 佐祐理は弱々しく首を振りました。でも、却って光景がはっきりしてしまって、無駄だと分かっていても、きつく目をつぶります。

『……お姉ちゃん』

『どうして気を取られているの、成績が下がったらお父さんに怒られるでしょう』

『だけど……』

『もう、しょうがないわね、これが終わったら見にいっていいよ』

『うんっ』

 花火の音に興味を持つ一弥に勉強を強いてしまったあの日のこと。

 どうして思い出してしまうのでしょう? 

『こんなかんたんな問題、どうして分からないの?』

『ごめんなさい……』

『ときかたならこの前教えたでしょう?』

 ひとりでいるのがいけないのでしょうか?

『終わっちゃったね……』

『なによっ、お姉ちゃんのせいだって言うの? また来年見にいけばいいでしょ』

 ああ、悔やんでも悔やみきれない1日、どうして佐祐理は手を引いて花火を観にいくことができなかったのでしょうか。それからの佐祐理は花火を見るたび、一瞬の輝きの後に訪れる静寂で、どうしてもあの子のがっかりした表情を思い出してしまうんです。

 こんなことをみんなに言えるはずもありません。気を使わせてしまい、きっと楽しいはずの空気を壊してしまうのでしょう。

 またひとつため息。お墓参りを済ませてきたばかりのせいでしょうか、いつもよりもやけに鮮明に一弥の顔が浮かんできてしまいます。花を奉げている佐祐理の姿を、一弥はどんな目で見ていたのですか。

「……始まったみたいですね」

 いつしか、窓の外には夜の帳が落ちてきていました。

「終わるまで……寝ていようかな」

 空気を震わせる振動に心まで揺さぶられそうになって、佐祐理は慌ててリボンをほどくと布団を被りました。

 

 

 それからしばらくして、うとうとしていた佐祐理は、玄関の開く音で目が覚めました。望んでいた通り、眠っている間に花火は終わったみたいです。かすかにだるさの残る体をのろのろと起こすと、寝乱れて髪がおかしくなってないか、鏡に映して軽くチェックをしました。

「いけない、ご飯を炊くのを忘れちゃった……」

 自分の迂闊さに唇を噛みながら、それでも舞には笑顔を見せようと表情を作ります。どんなにつらくても笑顔の仮面を被るのには慣れていますから。

 いつか仮面がはがれなくなりそうで怖い、佐祐理だって、本当の笑顔を見せたいです。フローリングを踏む足がやけに重たくて、まるで鎖をつけているみたい。

「うわあ……」

「ただいま」

 そんな足を引きずって玄関に向かうと、そこには舞が手に持ちきれないほどの食べ物を手にしている姿がありました。ヤキソバ、わたあめ、りんご飴、お好み焼き……。

「佐祐理といっしょに食べようと思ったから」

 そして、珍しいほど明るい笑顔。こんな表情、初めて見るような気がしたほどです。きっと楽しい時間を過ごしていたのでしょうね。滅入る気持ちをこらえて笑顔を見せようとすると、舞の後ろから顔を覗かせたのは……。

「舞に言われて遊びに来たぞ」

「ゆ、祐一さんっ?!」

 驚きのあまり、声が喉に引っかかってしまいました。それでも自分がおかしな格好でなかったことにほっと胸を撫で下ろします。

「みんないるから」

 聞き返す間もなく、見知った顔がまるで佐祐理を勇気付けてくれるかのように、次々と登場しました。

「真琴がせっかく遊びに来てあげたんだから歓迎しなさいよね」

「真琴、あんまり失礼なことを言わないように」

「あの〜、本当によかったんでしょうか」

「あたしに聞かないでよ……あ、お邪魔します」

「わあ、素敵なお部屋ですね」

「大勢で押し掛けてしまって申し訳ありません」

 真琴さん、美汐さん、栞さん、香里さん、名雪さん、それに秋子さんまで。目を丸くする佐祐理に、舞がかすかに微笑みかけてきます。

「みんな……佐祐理に会いたがっていたから」

 打算なんてひとかけらもない好意。そうです、今の佐祐理は、舞のおかげでこんな素敵な人たちと出会うことができたんです。複雑な表情を浮かべているだろう自分の顔を向けると、舞がひとりで背負うのはやめたほうがいいって言っている気がしました。

「元気ないって聞いていたから心配になってな」

「賑やかなのは楽しいから」

 ひとりの時とはまったく違う雰囲気に浸っていると、外から真琴さんのじれたような声が聞こえてきました。

「ちょっと〜、早く中にいれなさいよー」

「あっ、ごめんなさい」

「真琴っ」

 たしなめているのは美汐さんでしょうか、微笑ましい光景です。

 それにしても、先ほど考えていたことはこの方たちには失礼なことだったのかもしれません、だから佐祐理はできる限りの笑顔をみせて言いました。

「いらっしゃいませ!」

 

 

 

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