学園災

 

 

「へ? なにもやらないのか?」

 思わず机を運ぶ手を止めて、拍子抜けした声を出してしまう。そんな俺を香里が呆れたような目で、そして名雪が困ったような笑みを浮かべて見ていた。

「前にホームルームで言ってたでしょ、聞いてなかったの? 相沢君が前にいた学校がどうだったかは知らないけど、あたし達の学校は出し物をするのは1、2年生までで、3年生は自由参加よ、ようするに受験に専念しなさいってことね」

 香里がまるで子供に言い聞かせるように俺に説明してくる。納得はしたが、なんとなく面白くない。来年の春を楽しみにしてやがれ、と心の中で呟くに留めておくことにする。

「もちろん部活に入っている人はその限りではないけど。ま、この時期には既に大抵の人が引退しているわね。名雪もそうなんでしょ?」

 香里の持つ箒に追いたてられるように、机運びを再開させる。話を振られたことが意外だったのか、名雪は少し慌ててうなずいた。

「うん、たまに顔を出すことはあるけど……もう別の陸上部になっちゃったみたい。がんばってくれているのはうれしいんだけど、少し寂しかったなあ」

 黒板消しを手にしてなにやら感慨にふける名雪。ふむ、名雪にもそういう感情があったのか、と本人が聞いたら怒りそうなことを考えてみる。

「別に走るくらいならひとりでもできるだろ?」

「それはそうだけどね」

 気持ちの入りようが違うよと、名雪。所詮部活に入ってない俺には分からない感情だ。

「そうさ、どうせ俺は机しか友達のいない寂しい男さ」

「……なに、変なことを口走ってるのよ?」

 しまった、聞かれてた。

「まっ、まあそれはいいとして……去年は何か出し物をやったんだろ? なにやったか教えてくれないか?」

「ええとね、わたしたちのクラスはお化け屋敷だったんだよ」

 俺が聞くとうんうんとうなずいて、なにがうれしいのか知らないが、楽しそうに話しかけてくる。

「ありがちだな」

「……人の思い出に水差さないでよ」

「といっても名雪は陸上部の部長だったから、クラスの出し物にはあんまり参加できなかったのよね」

 香里までが少し目を細めて懐かしむ様子を見せた。話を振っておいてなんだが、なんとなくひとりだけ疎外されているようでつまらない。

「うん、去年は喫茶店の方で忙しかったから。今年はゆっくり見て回れるからうれしいよ」

「喫茶店? 陸上となんの関係があるんだ?」

「ユニフォームを着て接客したんだよ、ハチマキも締めてね」

 そんなものまであるのか。一度くらいは見てみるのも悪くなかったかな。名雪のユニフォーム姿を想像しながら自然とにやけてしまう。エプロンからはみ出した瑞々しい肢体……うむむ、残念だ。

「相沢君……」

「で、お化け屋敷はどうだったんだ?」

 香里にひどい言葉をかけられそうな気がしたので、慌てて会話を振る。

「あの子は本人の希望で猫娘だったと思ったけど……驚かせるというよりは、和ませてたわね」

「まあ、名雪らしいな……で、香里は?」

「わあって、緊張感の欠片もない声で驚かせようとしても無駄なのは分かっていたけどね。ふふっ、相沢君にも見せてあげたかったわよ」

 なんの気も無しに聞いたつもりが、露骨に俺の言葉を無視する。

「ふむふむ……で、香里は?」

「あ、そうそう、北川君は確か」

 これは気になる、いったい何をしでかしたんだ?

「北川はいいんだ、俺は香里が何をしたのかが」

「別にいいじゃない、そう、その……あれなのよ」

「名雪は知らないのか?」

「わたしがこっちにいたのは、ほんのちょっとの時間だから……」

 名雪から聞き出そうとした俺に鋭い視線を向けてくる。これはなんとしても聞き出さないと収まりがつかん。拒絶のオーラを発する香里の隙を見出そうと、俺は香里を凝視した。

 緊張感をはらんだ空気が俺と香里の間に立ちこめてくる。

「さっ、さあ、そんなくだらないことはいいから。掃除を終わらせないと帰れないわよ」

 そこにゴミ捨てを終わらせた北川が戻ってきた。妙ににやにやとしたしまりのない笑みを浮かべながら。

「それがさ〜、傑作だったよな〜」

「北川君っ!!!」

 こんな狼狽した香里の表情なんて見るのは初めてかもしれない。

「美坂のやつ女吸血鬼をやったんだけど、牙つけてマント羽織っただけなのにさ、見学に来た子供がマジ泣きしちゃってよ。あん時は大変だったぜ〜。普段の美坂じゃ考えないくらいおろおろしちゃってよ、相沢にも見せてやりたかったぜ」

 なるほど……香里に牙か……それは俺でも泣くな。

「突然現れて余計なことを口走らないでよっ!!」

「オ〜、ワタクシ日本語ワカリマセ〜ン」

 外人じゃなくてリアクション芸人だ、それは。

「……心配いらないわよ、北川君でも分かるように、万国共通の言葉で語ってあげるから」

 当然のことながら香里を怒らせた。俺は知らないぞ。

「ははは、いやだなー、美坂。拳を握り締めたりしちゃってなにをするつもりだい? 暴力はなにも生み出さないぜ」

 冷や汗を浮かべながら逃げようとする北川をじりじりと追い詰めていく。

「あたしのは暴力じゃなくて会話だから心配いらないわよ!」

 そして惨劇が始まった。

「ぐわっ! おいっ! あっ、見てないで助けてっ、ぐべっ」

 安らかに眠れ、北川。俺にできることはこうやって手を合わせることだけだ。

「このっ! 看板持って! 客引きしかしなかった! 鬼太郎のくせにっ!! 今からでも目玉の親父を引きずり出してあげるわっ!!」

「へるぷっ! へるぷみー!!」

 ……いやー、そこまで知られたくなかったとは。

 

 

「……というわけで、あたしはその日はゆっくり羽を伸ばすことにするわ。せっかくのお休みなんだから有効に使わないと」

 なにがというわけでなのかは知らないが、拳についたなにかを拭いながら香里がぴしゃりと宣言する。せっかく掃除したのに、と悲しげに呟く名雪を見ない振りで。

「うーん、俺はどうするかなあ」

 休みになるのに、わざわざ学校へ行くのもな。俺は床に転がる北川を視界に入れないようにして、その日のことを思案しようとした。

「祐一はわたしと一緒に見て回るんでしょ?」

 するまでもなかった。

「え? いつ決まったよ、そんなこと」

「えー、祐一と一緒がいいよー」

 頬を膨らませて、名雪が俺の制服の袖を引っ張る。

「ふふっ、あたしのショッピングに付き合うという選択肢もあるわよ」

 香里からのお誘いとは珍しい、珍しいが非常にまずい。

「香里っ! いくら香里でも言っていいことと悪いことがっ!」

 やはり反射的に名雪が噛みついた。どうも付き合うにつれて独占欲が強くなっているようで、男としてうれしい気もするが……ま、こうなったのは俺のせいだしな。

「相変わらず相沢君のことになると性格変わるわねえ……はいはい、人様の恋愛の邪魔はしませんよー、せいぜい相沢君といちゃついて、学校に不穏な空気でも撒き散らしてなさい」

「うん」

「いや、そこでうなずかれても……」

 香里が疲れた顔でぼやく、残念ながら名雪に皮肉は効かない。

「いや、だから俺は行くとは一言も……」

「え〜っ?!」

「あの……」

「だめ?」

「ええと」

「ね」

「う……分かったよ」

 押しきられた。ついでに言うと、香里は鞄を手にしてさっさと帰りやがった。北川はまだのびていた。

 

 

 そしてあっという間にその日がきて、

「わーい、イチゴのクレープだって〜」

 ……やはりこうなるわけだ。

「俺は甘いものはあんまり……」

 なんでこんなに喫茶店が多いんだよ、心のなかで愚痴をこぼす。全ての教室を制覇しかねない名雪に引きずられているうちに、砂糖の匂いだけで胸焼けを起こしそうな感じさえしてきた。

「隣のヤキソバがいいな……」

 どうして女ってのは甘い物が好きなんだろうな、辺りを見まわしても客はほとんど女生徒ばかり。一般の人にも開放されているらしく、私服姿の人間をあちこちで見かける。普段よりも多くの人間が積めこまれた校舎は、汗ばむほどの熱気をはらんでいた。

「次はどこ行こうか〜?」

 幸せいっぱいの笑顔でクレープを頬張りながら名雪が話しかけてくる。当然イチゴのソースがかかったそれも近づいて来るわけで、甘ったるい生クリームと生地の匂いが鳩尾辺りを鈍く刺激する。

「あんまりそれを近づけないでくれ……」

 今日何杯目か分からないコーヒーを腹に収めながら、俺は視線をそらした。するとその視界の中に、お喋りに花を咲かせる多数の女生徒の姿が収まる。

 ふうむ、改めて見ると、この学校にはかわいい子が多いんだな。ぼんやりと名雪の声を聞き流しながら教室のあちこちに視線をさ迷わせる。

「いてっ?!」

「もうっ、どこ見ているの?」

 いきなり頬をつねられた。遠くからくすくすと俺のことを笑う声がする。ものすごく恥ずかしかったが、名雪は仏頂面の俺はお構いなしのようだった。

「ここらで目先を変えて、あんみつへ行くのもいいと思わない?」

 と、なにもなかったように話しかけてくる。俺の頬に残るひりひりしたものはなんだろうと、釈然としないものを感じながらあいまいにうなずく。

「和風もいいよね」

 その時、なぜかおばさんくさい後輩の姿が思い浮かんだ。そいつは俺の想像の中で、俺の想像した姿について怒っていた。

「ん〜……あっ、そうだっ!」

 突然名雪が大声をあげたせいで、おばさんくさい後輩の姿が消える。

「あのね、次は陸上部へ行こうよ、今年も喫茶店をやるんだって」

「ま、まだ食べる気か?」

 改めて女性に対して恐れという感情を抱く。

「当然!」

 この時ほど、胃薬を用意してこなかったことを後悔したことはなかった。

 

 

「お母さんっ!!?」

「あらあら」

 教室に入ると、なぜかエプロンを着た秋子さんがいた。

「えっ?!」

「お母さんっ?」

「じゃあ、水瀬先輩じゃないんですか?」

「わわわ、どうしよう……」

 名雪の悲鳴に呼応するように、あちこちから驚きの声があがる。それは新たな騒動の始まりを予感させるには十分過ぎるほどだった。

「す、すみませんっ、人手が足りないから手伝ってもらおうっと思ったんですけど、まさか先輩の母親とは気づかず」

 おそらく新しく部長になった子なのだろう、慌てて飛んできた大柄の生徒が、顔を蒼くして名雪に謝ってくる。

「ふふふ、お母さん、名雪に間違われちゃったみたい」

 その側で秋子さんが状況を理解していないのんびりとした微笑みを浮かべている。

「なに、のんきに喜んでいるのっ! ……というかどうして制服を着ているのっ?!」

 名雪の指摘通り秋子さんはこの学校の制服を着ている。いったいどこから用意してきたんですかというつっこみは、今更過ぎるような気がしたので口にはしなかった。

「え? だって、学校へは制服着用って」

「それは在校生だけでしょっ!! もう、恥ずかしいよう」

 顔を真っ赤にさせて怒鳴る名雪に、秋子さんが不満そうな顔を見せる。並べてみてもそこから親子という答えは導けない。間違えた生徒に罪はない、と思った。

「ぶー、そんなに怒らなくてもいいじゃない」 

「子供みたいにすねないでよ……」

「あのー、私たちはどうしたら……?」

 部長の子が途方に暮れたような表情で話しかけてくる。気持ちはよく分かる。俺も途方に暮れているから。

「あ、いいから、みんなは気にしなくても……お母さん、とりあえずエプロンは脱いでね」

「楽しかったのに……」

 名雪の言葉にしぶしぶ脱ぐと、近くの子に手渡した。するとその子は恐々といった様子で受け取ると、ものすごいスピードで奥に引っ込んでいった。さすが陸上部なだけのことはあると、こんな時なのに妙な感心を覚える。

「それに来るなら、そう言ってくれてもいいじゃない?」

「だって、私がいると邪魔でしょ?」

「そんなこと考えなくてもいいよっ!」

「あらあら、恥ずかしがっちゃったりして、名雪はおませさんねー」

「からかうのはやめてよっ!」

 ……俺はいつまで続くか分からない親娘の会話に口を挟むことができず、周りからの同情の眼差しを、必死に気づかない振りをしていた。

 

 

 

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