美汐とクリスマス
「ひどいじゃないですかっ!!」
冬休みに入って名雪を起こす必要のなくなった俺は、毎日この時間はベッドの中で極楽気分を味わうことにしている。しかし、天国の舞台はいきなり部屋に現れた天野によって地獄へと早変わりした。乱暴にドアが開けられる音にぎょっとする間もなく、文字通りの意味で叩き起こされる。
「真琴から聞きましたよ!! どうして私を呼んでくれなかったですか?!」
わけが分からないまま激しく痛む腹を押さえ、のたうちまわる俺から布団を剥ぎ取ると、天野は凄い形相で俺の首を締めてきた。食い込む指が容赦なく気道を塞ぎ、頚動脈を絞めあげる。普段大人しいやつが切れると怖いなあ、じゃなくてこのままでは本当の天国へ旅立ってしまう。
「あの……何のこ」
なんとか俺が理由を聞き出そうとすると、なぜかそれが気に食わなかったのか一段と首を締める力が強くなった。
「しらばっくれないでください! 『ご馳走いっぱいで楽しいわよう、ところで美汐はどうしてこなかったの〜』って言われた時の私の気持ちが分かりますかっ?! 水瀬さんの家庭内でのパーティなら諦めもしますが、美坂さんたちまで呼んでいたみたいじゃないですかっ!! どうして、どうして私に声をかけてくれなかったんです?!! 相沢さん、聞いてますかっ?!!!」
「き、聞いてるけど……そろそろ意識が……」
俺はさっきから高速タップを繰り返していたが天野は気づいていない。それどころか何度も後頭部をベッドに叩きつけられているせいで次第に意識が薄れていく。
「相沢さんとの素敵な夜を過ごそうとわざわざサンタ服まで用意していた私の気持ちはどうなるんですか! その後自分にリボンを巻いてよい子にプレゼントですよを言えなかったこともっ! この落とし前はどうつけてくれるんですかっ?!」
怒鳴っているはずの天野の声が遠い。
「……い、いや、天野なら『メリケンのお祭りなどに浮かれてしまって日本人の心はどこへいってしまったのですか』くらいは思ってそうだかぐほおっ?!!」
「相沢さんっ!!」
一瞬意識を失った俺を再び叩き戻すと、眉間にしわを寄せた顔をアップにして俺に迫る。正直めちゃくちゃ恐かった。
「……こ、このところたくましくなっていないか? 以前の天野……さんは決して暴力を振るわれるようなお方ではなかった筈ですが?」
思わず敬語を使ってみる俺。
「相沢さんの影響です」
「もしかして、これが天野の地?」
「相沢さんの影響です」
「天野にも漢の血が流れて」
「相沢さんの影響です」
「……そういうことにしておきます」
そういうことにして置かないと俺の命が危なかった。しかしいつのまに七瀬と知り合っていたのだろう。最近親しくなったクラスメートの事を思う。あいつは今ごろキムチラーメンでも食べているのだろうか。
あれ、キムチラーメンなんてどこから出てきたんだ?
「相沢さんっ!!」
「はいっ、聞いてます聞いてます。で、私はどうすればよいのでしょう?」
いささか卑屈過ぎな気もするがこれ以上機嫌を損ねるわけにはいかない。選択肢ひとつ間違えただけで人生のバッドエンド直行だ。
「パーティです」
「はい?」
突拍子もない言葉に思わず間抜けな声を漏らしてしまう、パーティってなんだ?
「ふたりっきりのパーティをやりなおすんです、相沢さんにはそうしなければならない義務があります」
「あ〜、ずるいずるい、真琴だってふたりっきりの方がよかったに決まって」
「ふんっ!!」
「あう〜〜〜っ?!!」
脈絡もなく俺の部屋に入りこんで文句を並べ立てようとした真琴は、一撃で天野に吹っ飛ばされて廊下の壁に叩きつけられた。鉄拳制裁、つーか、お前ら親友じゃなかったのか。
「あううううっ〜……」
哀れな犠牲者その2が弱々しくうめきながらずるずると崩れ落ちる。その1はもちろん俺。
「いつの世の中でも……戦いとは空しいものです」
「戦いっていうより、一方的なぎゃ……」
「恋とは人の心を何倍も強くするものですね」
「いや、心じゃなくて破壊りょ……」
ぎろっと睨まれるたび俺の言葉が途切れる。
「では、行きますよ」
「へ?」
「察しが悪いですね、私の家にです。もちろん両親は言いくるめて外出させておりますから遠慮する必要はありません」
「……遠慮って」
「私の家に来る、ふたりだけのパーティをする、盛りあがるふたりは結ばれる……めでたしめでたしです」
「どこがめでたいんだっ!!」
やばい、本気でなんとかしないと俺の一生がここで決まってしまう。
「そんな、私の家が気にいらないというなら夜の学校でもいいですよ」
……夜の学校だと? それはつまりこういうことか? 『約束守れなくてごめんな』 『約束って結果じゃなくて、守ろうとしたかどうかが大切なんだと思いますよ』 でこうなって、『もし今誰かがこの教室を覗いたら、二人でクリスマスを過ごしてるって思ってくれますか?』 『う〜ん、多分思わないんじゃないか』となるわけか……。
いやむしろ、こうか? 『私に罰を与えてください』……。
「思いっきりパクリじゃねーかっ!!!」
「きゃっ?!」
叫んだ拍子に、天野を押し倒すような格好になってしまう。
「相沢さんもせっかちですね……パーティの前に私の味見ですか?」
「違う違う、頼むから顔を赤くするなくねくねするな唇を突き出すな服を脱ぎ出すな」
「あう〜っ、なんてことするのよ〜!」
お、真琴復活。さすが妖孤は回復力が半端じゃないな。だけどな……。
「いくら美汐だってやっていいことと……」
「しつこいっ!!」
「あうううう〜〜〜っ?!!!」
べしゃっ。
「……狐も鳴かずば撃たれまいに」
俺は哀れな犠牲者その2にそっと手を合わせた。
「相沢さんとパーティ♪ 相沢さんとパーティ♪」
「ふっ、まずは市中ひきまわしか……その次は磔かな……」
今の俺は縄でぐるぐる巻きにされ天野に引きずられている。ご近所の方々がまたかと言う目で見ているのが非常に気になるが、俺と目が合うたびに速攻でそっぽを向くのだけはやめて欲しい。つーか、誰か助けろよ。
「……そろそろ背中がこすれて我慢できないくらい痛くなってるんだけどな〜」
「相沢さんをパーティ♪ 相沢さんをパーティ♪」
「……頼むから俺の話を聞いてください」
「相沢さんでパーティ♪ 相沢さんでパーティ♪」
もう水瀬家には戻れなくなりそうだな……あ〜、なんだか腹が減ってきた、そういえば朝食もまだだったしなあ……それとガンガン頭をぶつけるからスキップは止めてくれないかなあ。
「ふえっ? きゃあっ?!」
俺が空を見上げながらなんとなく無常感にひたっていると、急に天野が悲鳴をあげて、次に軽い衝撃音が響いた。不自由な身体をずらして顔をそっちに向けると、電信柱からロープが伸ばされているのが見える。ようするに天野はそれに引っかかったらしい。
「祐一、大丈夫?」
いつのまに回りこんだのか真琴が駆け寄ってきた。
「おっ、真琴か……」
「腐れ畜生の分際で……」
その時、美汐がゆらりと体を起こす。思いもよらない失態、というか真琴にやられたのがよほど悔しかったらしい。その表情はさすがの俺でも見たことがないほどの怒りのオーラがみちみちている。
「いくら美汐でもやっていいことと悪いことがあるんだからっ!」
威勢良く真琴が叫ぶが、天野は全然聞いていない。それどころかひとりでなにかしらぶつぶつ呟いている始末。
「ふふふっ、そうです。大体勝手に人間になって愛情ふりまいて消えるから私がこうなってしまったんですよね。責任を取るくらいのことはして欲しいですよ、親切なんて中途半端にするからいけないんです、どうせなら最後まできちんと責任をとらないと」
……意味がよく分からないのは気のせいか?
「というわけで、逃げようよっ!」
それについては思いっきり同意だ。
が、しかし、
「うふふふふ、覚悟はいいですね、真琴」
思いっきり甘かった。腰が引けた真琴の元に、残像を残して天野が一瞬にして距離を詰める。
「あううううううっっっ……!!!!」
……二度あることは三度ある、か。空に吸いこまれていく真琴を見上げて、俺はそっと心の中で手を……合わせるのはさっきやったから十字を切った。
「あーめん」
「ふふふふふふっ……」
普段は落ちついた佇まいを見せているはずの天野家は、今や極彩色に彩られて不気味な雰囲気を漂わせている。少なくとも俺にはそう思えた。
玄関を抜け、抵抗することすらできずに天野の部屋に連れこまれる。部屋は和風テイストから、クリスマス用の飾りつけで恐るべき変貌を遂げていた。
「なあ?」
相変わらず引きずられたまま、とりあえず天野に声をかける。
「はい?」
「なんで門松に靴下がぶら下がっているんだ?」
「ええっ?!」
「いや、どうしてそこで不思議そうな顔をする?」
「間違っていましたか?」
頷いてやると、天野はひどく動揺したようだった。
「で、では……クリスマスとは、三択老師が枕元に現れて問題を出し、正解した者だけがプレゼントをもらえる、そういうイベントではなかったのですか?」
「ソレチガウ、マッタクチガウ」
「えええっ?!」
さらにショックを受けたのか表情が強ばる。俺も同じくらいのショックを受けた。まさか、現代日本にそんな勘違いをする人間がいるなんて。
「つうか誰から聞いたそんなこと」
「それは……」
天野の顔がつらそうに歪む。
「……あの子から」
「思いっきり騙されてるぞ、お前」
「あのやろう……」
ぼそっと呟く天野が一瞬夜叉に見えた。ま、狐だしなあ……さらに妖孤ともなれば一段とグレードアップされているだろうし。
「と、ともかく気を取りなおして……」
そう言うと、天野は仏壇用のローソクを用意していたケーキに豪快に突き立てる。言いたいことは色々あったが、へたれ街道まっしぐらな俺には言葉をかけることはできなかった。
「みしおーーーっ!!」
「……しつこいですね」
さらに華麗な復活を遂げた真琴が部屋に乱入。どの辺りが華麗かというと、スカートが一部破れてスリットになっているところ。本人が気づいていないようだから、俺からはなにも言わない。
「そもそも、他人の家に断わりもなく入りこむなんて、礼儀がなっていませんよ」
その前に犯罪だと思う。
「自分の家に断わりもなく、他人を引きずりこむのはどうなんだ?」
「愛があるので問題ありません」
目を向けることもなく即答。
「い、言いきりやがった」
「というわけで、真琴はこの愛の巣からでていきない、しっ、しっ」
ううむ、さすがにおばさんくさい行動を取らせたら右に出るものはいないな。払いのける仕草、そしてわざわざ口にだすあたり非凡なものを持ち合わせている。
と、のんきに解説している場合じゃない。どう考えてもここで真琴が俺を助ける確率は0に近い。俺がなんとかしなければ。
「うう〜っ」
やはりというか、すっかり狸に睨まれた狐……あ、いやいや、蛇に睨まれた蛙だ。なにか、なにか無いか、手段を探す俺の目がある物を捕らえた。
あるものと言っても、ときおりちらちらと覗くピンク色のことではない。
「そ、そうだ! 赤鼻と呼ばれるトナカイの話は知っているか?」
「え? ええ、それくらいは」
急に話しかけられた天野が目を丸くして頷く。ついでに拍子抜けの真琴もいるが、とりあえず無視。
「実はな、サンタのソリを引くことになった日から、そのトナカイは年を取ることもなく死ぬこともなくなったんだよ」
「はあ」
俺の必死の作り話に、天野があいまいに頷く。
「つまり赤鼻のトナカイは不老不死を手にいれたんだ」
「相沢さんの話は分かりましたが、それが今の私たちにどう関係するのがまったく分かりません」
小首を傾げながらもっともなことを聞いてくる。心配するな、俺もだ。
「ふふん……若さには興味はないか?」
「なんですか?」
どうやらその言葉でだいぶ天野の興味を引いたらしい。真琴へ向かっていた注意が、かなり俺のほうに向いている。
「クリスマスの日に、そのトナカイの鼻に触れた者は永遠の若さを手に入れることができるそうだ」
「ああ、確かあの子から聞いたことがあるような」
あるんかい……もし出会っていれば、そいつとはいい親友になれたかもしれないな。と、顔も知らない友に思いを馳せる。
「でも嘘に決まっています」
天野の言葉が現実に引き戻す。
「……秋子さんだよ」
「え?」
「秋子さんの若さはなっ、トナカイの鼻を触ったことによって手にいれたんだっ!!」
「なんですってーっ?!」
……信じるなよ。いや、信じてくれないと困るんだけど。
「相沢さんっ、不肖天野美汐、これより永遠の若さを求めて旅立ちますっ!!」
「ああ、いってこい」
もう、天野はノリノリだ。
「必ずっ、必ず戻ってきますからねっ!」
しゅたっと手を上げると美汐は去っていってしまった、がんばれ天野美汐探検隊。ひとりしかいないけどな。
「もしかして、あいつって異様に人の話に騙されやすいのか? だから人と距離を取ったんじゃあるまいな?」
真琴にロープを解いてもらいながら主人のいなくなった部屋で呟く。
「つーか、もうクリスマスは終わっただろ……」
もちろん、クリスマスの飾りが俺の言葉に答えることはなかった。