鍋、それは様々な食材が作り出すパラダイス。

 その地方に行けば必ずその地方独自の味があり、そして自らの味こそが日本一だと自負する郷土意識の高い食べ物。

 海の幸、山の幸、その種別を問わずお湯の中に放りこみさえすれば、たちまちのうちにご馳走のできあがり。栄養満点で、体重にお悩みの方も気にすることなくおいしくいただける。

 身も心も凍りつきそうな中、袖を合わせながらくたびれきった足で帰宅すると、テーブルの真ん中にでんと置かれた大きな土鍋。ぐつぐつとお湯の中で踊る肉が、魚が、野菜がお出迎えをしている。

「うまそうだ……」

 思わず口からよだれをこぼしてしまったとしてもむべなるかな。

 

 

なべ

 

 

 猫の足跡がプリントされた鍋つかみをはずしながら、秋子は祐一に微笑みかけた。

「今日はお鍋にしてみたんですよ」

 にぎやかなものが好きな秋子らしく、なんでもありの寄せ鍋風。昆布で軽く出汁をとり、醤油とお酒で味をつけたお湯に長ネギ、白菜、春菊、シメジ、エノキ、ホタテ、鱈、鳥団子、豆腐、しらたきなどが、食欲をそそる匂いとともに鍋の中でひしめきあっている。

 祐一は急いで部屋に戻ると手早く部屋着に着替え、また一段飛ばしで階段を降りると一気にダイニングに飛びこんだ。ちょっとでも遅くなると、真琴になにか言われるから、そしてなによりも、くっつきそうなお腹が待ち望んでいるから。

「もう煮えたようですし、いただきましょう」

 祐一が戻ってきたのを見て、湯気が立ち昇る土鍋を覗きこむと秋子は軽くうなずいた。できあがり具合に満足したらしい。

「あれっ? ご飯は?」

 既に席に着いていた真琴が、不思議そうな顔を見せる。

「ご飯はね、最後のお楽しみよ」

「はい、祐一」

 再び立ちあがりかけた秋子を制して、人数分の小鉢を手にした名雪がテーブルに戻ってくる。

「お、さんきゅ」

 小鉢をいき渡らせたら、始まりの合図。

「いっただきまーす」

 元気よく箸を突っ込んでいったのは真琴。迷いなく鳥団子に照準をあわせ、鍋の中にダイビング。だが目的を達成しかけたと思った瞬間、祐一が阻んだ。

「なにすんのよっ!」

 剣呑な瞳を真琴が向けると、祐一も負けじと睨み返す。

「これは俺が狙っていたんだぞっ!」

「そんなの分かるわけないじゃないっ、真琴が先に掴んだんだから、これは真琴のものなのっ」

「いーや、俺が先だ」

 鍋を挟んで睨み合うふたり。

「お行儀が悪いですよ、ちゃんと底の方にありますから探してみてください」

 すぐに秋子にたしなめられて、ふたりはまるで鍋の中の春菊のようにしゅんとなる。

「お豆腐っ、お豆腐っ」

 その横で、我関せずといった様子の名雪が、妙な歌を作りながら豆腐をおたまですくいとっていた。

「あ、次はボクに貸して」

「いいよ」

 おたまが待ちきれない感じのあゆに受け渡される。と、そこで祐一は初めてあゆに気がついた。

「なんであゆがいるんだ?」

「ボク、ずっといたよ」

 信じられない言葉にあゆの目が丸くなる。ついでにおたまを取り落としかけて、お湯が周りに飛び散った。

「すまん、鍋に目がいってて全然気が付かなかった」

「うぐぅ、ボクは祐一くんにとって鳥団子以下なの?」

 涙目のわけは湯気が目に染みたのではない。

「今日はな」

 祐一があっさりと認める。

「ひどいよっ」

 さすがに今度は落とさず、あゆは憮然としながら鱈をすくいあげる。それを見た祐一がにんまりと茶々をいれた。

「鮎が鱈を食ってる」

「うるさいよっ」

「あんまりあゆちゃんをいじめたら駄目ですよ。確かにわいわいやりながらお鍋をつつくのが醍醐味ですけどね」

 白菜の甘味が引き出せたことで、顔をほころばせる秋子。

「祐一は相変わらず子供よねー」

「うるさい、すっぱいからってポン酢の素晴らしさが分からない子供に言われたくはないぞ」

「な、なによぉ、いいじゃない、味の好みは人それぞれなんだから」

 今度は秋子も注意することはなく、微笑みながらふたりのやりとりを見ていた。それにはさすがの祐一も居心地の悪さのようなものを感じてしまう。

「ど、どうかしました?」

「なんだかうれしくって」

「はあ」

「こうやって賑やかにテーブルを囲むのっていいものよね、まるで家族が増えたみたい。みんなわたしの可愛い子供よ」

「秋子さん……」

 さすがにこの時ばかりはしんみりと。

「おいしいかしら、祐子さん」

「せめて男の子にまかりませんか?」

 祐一半泣き。

「うふふ、冗談よ……あなた」

「からかうのはやめてください」

 祐一全泣き。

「わ、祐一ってわたしのお父さんだったんだ」

 余計なことを言った名雪がとばっちりを受けたところで、お正月の残り物のお餅投下。だが雑煮やらなんやらで、年明けからずっと食べていてすっかり飽きてしまった4人の箸が躊躇いがちになる。

「あら、いけませんでした?」

「えっ、いいえ」

 祐一はあいまいにごまかすと、餅をよけて長ネギを摘み上げた。

 

 

 鍋の中身があらかたなくなったところで、真琴が箸を置く。

「ふう〜、食べた食べた」

 と、お腹をさすりながら満足げに息をつく。あゆもまたそれに倣うかのように小鉢に箸を置いた。そんなふたりを見て、秋子がちょっと困ったような顔をした。

「あら、これから雑炊にするつもりでしたけれど」

「まだ食べるー」

 手を上げて、真琴がまだ降参していないことをアピール。

「無理はしない方がいいぞ」

「無理なんかしてないわよ」

 そう言いながらもちょっと苦しそうだった。

「ボ、ボクも雑炊食べたいなー、なんて」

「だから無理はしない方がいいぞ」

「無理はしてないよ、うん」

 えへへとやはり少し苦しげな笑み。

「わたしは大丈夫だよ」

 マイペースに箸を動かしていた名雪と祐一はまだまだいけるようだ。

「ご飯は少なめにしておきますね」

 ジャーから取り出して少し冷ましておいたご飯を鍋に入れ、さらに溶いた卵を流しこむと蓋をして蒸らしにかかる。しばし待つこと数分。

「このくらいかしら」

 秋子が蓋を取ると、たまった蒸気がふわあと舞い上がった。

「これがたまらないんだよなあ」

 早速おたまを握り締めた祐一が男らしく豪快にすくいあげる。

「よく食べるわねえ」

 げんなりとしたように頬杖をつきながらの真琴。口ではああ言ったものの、やはり限界に近かったらしい。

「ふふん、俺は真琴みたく考えなしに食べていたわけじゃないからな」

 味の染みたご飯に半熟の卵が絡み合う、えもいわれぬ食感に舌鼓を打つ。

「ま、一口くらいなら」

 とはいえ目の前でおいしそうに食べているのを見て、大人しくいられるわけがない。祐一からおたまを奪い取るとご飯を控えめにすくいとる。そして、ふうふうと息を吹きかけてから舌の上に乗せた。

「うわ〜、おいしい」

 触発されたあゆもまた手を伸ばし、次は名雪というように、雑炊はあっという間になくなっていった。

「あらあら、もう少し入れたほうがよかったかしら」

 秋子も思わず苦笑い。

「ごちそうさま、やっぱ冬は鍋に限るね」

 名雪が満足感を吐息で表すと、

「それに関しては同感」

 真琴がはーいと手を上げる。

「そうだね、タイヤキもおいしいけど、お鍋もいいよね」

 あゆもどこか夢心地。

「うむ、こんなにおいしいんだから毎日食べても飽きないだろうな」

 と、祐一がつなげたところで、

「あら、そう。では明日もお鍋にしようかしら」

 微笑みながら秋子が話をまとめる。

「「「「えっ?」」」」

「ふふふ、冗談よ」

 秋子の表情を読み取るにはまだ年季が足りない4人であった。

 

 

 

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