12時過ぎてもシンデレラ
「ごめんなさい」
いきなり謝られた。
「祐一さんにとって凄く大切な時期なのに、わがままを言ってしまって。お姉ちゃんががんばっている姿をいつも見ているのに……」
この時期俺たち受験生は自由登校だ。だから別に学校に来る必要はないのだが、赤本を広げる生徒たちでごった返す図書館で精を出し、栞とふたりで昼食を取るのが俺の日課となっていた。
そして、授業が終わると栞と待ち合わせをして、途中までいっしょに家に帰って、夕食を取った後、夜遅くまで勉強に勤しむ。ここ最近の俺の生活スタイルである。
と、いつまでも栞に悲しそうな顔をされてはかなわない。泣きそうな顔で見上げるその表情がかなりくると言っても、こんなところを彼女の姉に見つかったら大変だ。
「なにを言っているんだ、今日は栞の誕生日なんだぞ。それに勉強漬けの毎日に飽き飽きしていたところだ」
できる限りことはしてあげたいと思うのは、付き合っている彼氏の立場としては当然であろう。
「どこでも好きなところへ連れていってやるぜ」
おどけたように手を広げると、栞はようやくくすりと微笑んでくれた。正直ほっとする、やっぱり笑顔の方がいい。
「はい、じゃあ」
「高級レストランはちょっと無理だけどな」
「ふふっ」
と、毛糸の手袋をはめた栞に手を引かれて、向かった先には。
「……ここでいいのか?」
公園は去年のままの光景が広がっていた。辺り一面雪に覆われて、それでも中央の噴水は凍ることなく水の傘を作り続けている。おかげでぶれることなく、あの日の光景が蘇ってきた。
「ここだからいいんです、ではさっそく取りかかりますよ」
繋がれて熱を持っていた左手に、不意に冷たい風がまとわりつく。
「は?」
面食らった俺の表情がおかしいのか、栞が言葉を止めて笑った。
「雪だるまを作りましょう、誰もいないから、私たちだけで大きな雪だるまが作れますよ。今日は貸し切りですね」
今日は抜けるような青空だが、雪がかぶさった遊具には誰も興味を抱くことはない。雪の積もったベンチには誰も座れない。こんなところに来るのはよほどの……。
苦笑い。
「50mのか」
靴がすっぽりと埋まりそうな地面に、苦労しながら足を進める。栞と俺の足跡だけが公園に点々と残る、それがなにか誇らしいものに思えてきた。
「いいですね、作っちゃいましょうか」
朗らかに笑いながら、適当なところできゅっきゅと雪を固める。俺もしゃがんで栞のまねをすると、でき上がった小さな雪玉を足元に転がした。
「俺が胴体なー」
中腰になってころころ転がっていく雪玉を追いかけていく、とても愉快だ。
「はーい」
栞の返事が遠くなったところで方向を変えて、再び転がしていく。そのころには片手で押すには少しつらくなってきた。
「ふう、手袋を忘れていたら大変だったぜ」
それと、懐に忍ばせた使い捨てカイロ。いつしかそれが必要なくなるくらい、額に浮かぶ汗を拭いながら作業に没頭する。最近まったく運動していなかったせいか、思うように体が動かない。でもこんなふうに無邪気に遊ぶのはいつ以来だろう。
ころころからごろごろへ、1メートル近くなったところで俺は手を止めた。
「このくらいでいいか?」
3分の2くらいほどの栞の雪玉を見る。
「え〜、もっと大きくしましょうよ」
息を切らしながら振り向いた栞は不満そうに唇を尖らせた。
「このあと頭を乗せるんだぞ?」
俺の言葉に自分と俺のを見比べる。吐く息があっちへ行ったりこっちへ行ったり、そんな栞の様子を見るだけで楽しい。
「ううっ、残念です」
そう言うと、しぶしぶと雪玉を押しながら近づいていく、その雪を踏む音が心地よく俺の心に響いた。到着したところで早速抱えようとする。
「ぐあっ、結構重いなあ」
踏ん張った腰が悲鳴をあげる。滑らないように余計な所に力が入っているのか、まだまだ雪に慣れていないと実感した。
「手伝いましょうか」
「頼む」
なんとなくかっこ悪いが、俺は栞の言葉に甘えることにする。息をつく間に、栞がいそいそと向こう側に回りこんで雪玉に笑顔で抱きつく。
「うーん」
その力はちっぽけなものだったけれど、今の俺にはありがた過ぎる。先ほどとは違ってたいした苦労もせずに持ち上げると、俺たちはそれを慎重に胴体の上に下ろした。
「くあっ」
離した腕が震える。最後に、栞が顔に見えるように雪をくりぬくと、ちょっと不恰好な雪だるまが完成した。
「できましたねっ!」
興奮気味の栞と手を打ち合わせる。と、正面から見る栞の頬が赤く火照っていた。思わず誘われるように手を伸ばす。
「うわわっ、冷たいですっ」
避けられる。けど、俺がしつこく追うと、栞はなすがままになった。その頬は別の意味で赤くなっていた。
労働のあとはご褒美。暖房の効いた室内に、のんびりと腰を下ろしながらメニューを眺める。そこかしこでノートを広げているのはきっとお仲間だろう。甘いものを食べると勉強がはかどるんだよ、そう言った名雪の顔が浮かぶ。
「ところで、栞は進級できるのか?」
ふと気になった。
「もちろんですっ、祐一さんにこれ以上遅れるわけにはいきませんからっ……それよりも祐一さんの調子はいかがですか?」
栞にも見えていたんだろう。表情はちょっと心配げだった。
「栞と遊んだから絶好調になったぞ」
にやりとして見せる。ちょっとくらい慌てるかと思ったが、
「絶好調ついでに一緒にアイスを頼みません?」
「いいぞ」
少し残念だった。もう少し初々しさが欲しいかなと贅沢なことを考えてみる。そこはもう、1年以上の付き合いだからしょうがないのかもしれない。
そうか、もう一年以上になるのか。
「妙に素直ですね……熱でも出しましたか?」
「なんでだっ」
感慨ぶち壊し。
「だって、いつもだったら、寒い所にいたのに冷たいものなんて食べたくないって言うじゃないですかー。今度からは私が食べる時には祐一さんも食べてもらいますっ」
「まあ、今日は栞の奢りだしな」
「ええっ?! 今日は私の誕生日ですよっ」
慌ててメニューから目を離して、ポケットに手を入れる。
「冗談だ、冗談。今日はおごってやるぞ、プレゼント代わりだ」
「じゃあ、ジャンボ……」
「ジャンボは却下。栞のプレゼントが買えなくなるからな」
「えっ、貰えるんですか?」
「そのつもりだったんだが……よくよく考えてみたら栞が一番好きなのはアイスだから、ジャンボでもいいかもしれないな。よし、頼んでいいぞ」
「やめておきます」
えへへー、と笑み崩れながら栞は普通のアイスを頼んだ。到着するなり、いそいそとガラスのカップに盛られた半球状の固まりにスプーンを突き刺す。
「祐一さんがいるときに食べるアイスってどうしてこんなにおいしいんでしょうね」
コーヒーをすする俺に微笑む、さすがにアイスだけでは耐えられないので。
「あ、そうだ、祐一さんのさっきの言葉、一つだけ間違っていますよ」
「そうか?」
軽い気持ちで返事をしたのに。
「一番は……祐一さんです……」
「そ、そうか、はは、は……こ、今度は50メートルの雪だるま作っちゃおうかなー」
スプーンをくわえて顔を伏せる栞。正直目を合わせていなくてよかった。コーヒーを持つ手が震えるし、顔がやけに熱い。
「本当に50メートルの雪だるまを作りたいわけじゃないですよ、ただ自分で雪だるまを作るくらい遊びまわりたかったんです」
しんみりと、こんなふうにころころと話題が切り替われるのってやっぱ女の子なのかあ。
「今ではこの通りです、これも全て祐一さんのおかげですよ」
軽く腕を曲げてにっこりと笑う。
「もちろん、雪合戦もできますよ」
「それはやめとく、石を入れられちゃかなわないからな」
「うわっ、そんなひどいこと誰がするんですか」
「栞ならやりかねんな」
「ぶー、祐一さんひどいですー」
「はははっ。じゃあ、プレゼントでも買いにいくか」
あれだけ息もつかせないほど喋っているのに、ちゃんとアイスは消えている。七不思議のひとつに認定してやろう。
「はいっ」
伝票を手に立ちあがると、俺はゆっくりと歩き始める……まだ日が変わるには早いしな。今日という時間がのんびりと流れてくれればなと思った。