多分節分いい
Heaven
「いてえっ!」
だまされたっ、これが今の俺の偽らざる気持ちだった。ご馳走を用意しますよ、という甘い言葉につられてしまったといえばそれまでなんだが、神様、いくらなんでもこの仕打ちはひどすぎると思う。
「祐一さん、逃げちゃ駄目ですよ〜」
追いかける佐祐理さんの笑顔が鬼のようだ、いや、むしろ俺が鬼なんだけど。舞までなんか知らんが笑っているし、すごく怖え。
「鬼は〜外〜♪」
「鬼は外」
きゃーきゃー叫ぶ佐祐理さんたちから必死に逃げようと、広めのリビングをひたすら走り回る俺。女の子にきゃーきゃー言われてみたいなんて考えた昔の俺を、今からひとりで殴りにいこうかって具合だ。
「ぐあっ!」
ぼんやりとしていたら大量の豆が俺の尻にヒットした。戦場では一瞬の判断のミスが死を招く。って言うか、ここは戦場なのか、鬼が島なのか、そうですか、青鬼君のように悪いことしますか。赤鬼君に泣かれますか。
「だから、本気で投げないでくださいよっ!」
飛びあがらんばかりの痛みに情けなく逃げ惑う。ふと思う、近所迷惑とか考えなくていいんだろうか。
「福は〜内〜♪」
「福は内」
いったい、いつまでこの苦行は続くのだろう。ソファーの陰に滑りこみながら顔を半分だけ覗かせる。と、豆がすぐ傍を掠めていった。
「舞もいいかげんにしろよっ!」
返事は豆、コミュニケーションの欠如は現代日本の問題だっての。
「あはは〜っ、なんだか楽しくなってきちゃいました〜」
いつもなら止めてくれる佐祐理さんも今日ばかりはあてにはならない。
「私も」
「頼むから豆まきでストレス発散しないでっ!」
紙でできたお面の頼りなさに、はらはらと涙を流す俺だった。
そうさ、男はいつだって、影で泣くものと相場が決まっているんだ。
「鬼は〜外〜」
「鬼は外」
「って、何回繰り返しているんですかっ!」
「あ、忘れてました」
「忘れないでくださいっ!」
「もう二度と鬼の役なんかしませんからねっ!」
「ごめんなさい」
「すまなかった」
疲労と苦痛とで大の字になって床に寝転がる俺と、撒いた豆を掃除機でせっせと片付けるふたり。どれだけ撒いたか知らないが、捨ててしまうのはもったいないような気になる。
「ま、でも大しておいしいもんでもないし」
呟く自分の顔のそばを掃除機が通りすぎていく。
「邪魔」
まるで久しぶりの休日に羽を伸ばす父親を見るような目。父性の欠如は現代社会の大きな問題だっての。
「誰のせいだと思ってるんだっ」
「…………?」
「不思議そうな顔をするなっ」
「祐一は細かい」
「細かくないっ」
ったく、たまにはスカートでも履きやがれってんだ。真上の舞を見やりながらぼやく。まあズボンから見える尻のラインも捨てがたいものがあるがな。
そんなことを考えていたら、
「いだっ」
掃除機で叩かれた。
「目がいやらしい」
うえに睨まれた。
「できあがりましたよ〜」
佐祐理さんの声で弾かれたように起きあがると、テーブルに運ばれてくる食材を待つ。ひどい目にあったんだからこれくらいの役得はあってもばちは当たるまい。と、まず目を引いたのは大きな海苔巻きだった。
「海苔巻き?」
思わず声が出てしまう。ちょうど3本ってことはひとり1本なんだろう……けど。
「はい〜、今日はなんか海苔巻きを食べる日みたいとかで」
「ふうん、そういえば聞いたことがあるような」
「ところで、恵方を向いて食べないといけないそうなんですけど、今年はどの方向でしたっけ?」
ふーむ、どっちだったっけなあ、佐祐理さんと俺とで首を捻っていると、舞がぼそっと呟く。
「向こう」
舞の指差す方向に一斉にくるりと向きをかえる俺たち。
「よく知ってたな」
今度は舞の方へ。素直に誉めてやることが子供を育てるうえでいい影響を及ぼすらしいが。ぐれて夜中に剣を振り回すような不良になってしまっては……もう手遅れでした。
「スーパーの張り紙に書いてあった」
種明かし。
「わ〜、凄いね」
佐祐理さんに誉められた舞は、そこはかとなく誇らしげだった。
「では、いただきましょう」
「なあ」
「はえ?」
「なんか大きくないですか?」
椅子について改めて眺めてみると結構ずっしりとしている感じ。俺と舞なら食べきれないこともないと思うが佐祐理さんは大丈夫なんだろうか。
「ちょっと、はりきりすぎちゃったみたいです。どうやら、切ってしまったらいけないようで」
少しだけ舌を出した。
「食べきれるのかな」
「なにごともチャレンジですよ、ねえ?」
「死して屍拾うものなし」
と嘯く舞にはかなりの余裕が感じられる。ここは男として負けていられんと、俺は一番小さそうな海苔巻きを掴み取った。
情けないと言うなかれ。
「いただきます」
「いただきます……」
「いた……はっ?」
えろい、えろ過ぎるっ。
妙齢の美女ふたりが大きく口を開けて海苔巻きを頬張るさまは……ふっ、思わず俺の海苔巻きも味わってくださいなんて下品なギャグを飛ばしたくなるぜ。
「祐一さん、あまり変なことを考えていると、この海苔巻きと同じように噛みちぎりますよ」
「ははは、そうんなましゃか」
海苔巻きならぬ、お稲荷さんがかなり縮みあがったわけで。
家に戻るとお面を手にした秋子さんに微笑まれて、乾いた笑みを返すしかことできない俺がいたりする。
……この世から節分なんてなくなればいいと、再び逃げまわりながら俺は思うのであった。
とりあえず、調子に乗っている真琴はあとでお仕置き決定。