髀肉之嘆

 

 

 

 俺の引っ越しは、名雪に恨めしそうな目で見られたくらいで、なんの障害もなくとんとん拍子に話が進んでいった。

 秋子さんはいつもの『了承』で、親父たちからも何も言われることは無かった。放任主義もここまでいくとすがすがしいな。

 初めは三人で暮らすことに不安やら戸惑いやら色々あったが、一月もするとそんな生活にもすっかり慣れ、俺たちは今日も暖房を効かせた部屋でのんびりとテレビを見ながら寛いでいた。4月になったのに暖房がないとまだちょっとつらい。嫌でもここが北にあることを実感させてくれる。

「そろそろお昼ごはんにしようか。何か食べたいものある?」

 雑誌をめくりながら佐祐理さんが声をかけてきた。セーターとジーンズというラフな格好なのに不思議と上品さを感じる。これがお嬢様育ちのせいかは俺は知らない。佐祐理さんならどんな家庭に生まれようがこんな感じなんだろう。

「牛丼がいい」

 とは漫画を読んでいる舞。中身は読んだことがないから知らないがカバーを見るにおそらく少女漫画だろう。最初のうちは佐祐理さんが集めていたのだが、今ではすっかり舞の方がはまっていて、次の発売日を心待ちにしているようだ。さすがに夜遅くまで読んでいた時にはさすがの佐祐理さんも舞から本を取り上げていた。

「確か昨日も牛丼じゃなかったか?」

「牛丼……」

 そんな目で俺を見るな……俺の方がいじめているみたいじゃないか。前はこんな目で見られることなんてなかったはずなのに。

「あ〜、分かったよ」

「祐一さんは本当に優しいですね」

 そんな俺を見ながら佐祐理さんがくすくすと笑っている、それがすごく照れくさい。ああ、そういえば佐祐理さんが意見を聞くと、最後には舞の意見が通っているというパターンばかりだ。

「じゃあ、ちゃっちゃと作っちゃいますね〜」

 雑誌を畳んで立ちあがると佐祐理さんは小さなキッチンに向かっていった。

 

 

 

「さあ、召し上がれ〜」

 ほんとにちゃっちゃという感じで牛丼が作られた。さすがにテーブルに並ぶおかずの回数ナンバーワンなだけのことはある。

 こんなふうに食事を作るのは大抵佐祐理さんの仕事になる。住み始めたころは俺も手伝おうと何度も言ったのだが、佐祐理さんに遠まわしに断られてしまった。確かになにもできない俺は邪魔者以外の何者でもない、さらにアパートのキッチンは水瀬家のように広くはない。そんなわけでもっぱら皿洗いに徹している。

 にしても、

「お前は手伝ったりしないのか?」

 俺は舞に目を向けた。

「足手まといにしかならないから」

 そっけなくそう答えると箸を動かす。本当に目の前の牛丼しか目に入っていない。その潔さには感動すら覚えるくらいだ……って、おや?

「むむむっ」

「…………?」

 じろじろと眺める。前は確かこう、なんて言うか。

「なあ、舞?」

「……なに?」

「太った?」

 びしっ!!!!!

「おごごごごご……」

 床の上をのたうちまわる俺。正直今の一撃は今までで一番こたえた。つーか、箸が刺さってるぞ……。

「あはは、その言葉は女の子に対してあんまりですよ」

 間違いなく頬のラインが前よりもふくよかになっている。佐祐理さんも俺の言葉に否定しないってことは同じように思っているってことだ。

「考えてみれば魔物もいなくなって運動もしなくなったのに、食べる量が同じじゃなあ、そりゃ」

「私はちゃんと祐一に言った……剣を捨てた私は、本当に弱いから」

「それは違うぞ」

「幸せぶとりですねー」

「それもちょっと違う気がしますよ」

 とんでもないことを言わないでください。

「舞が旦那さまで、佐祐理がお嫁さんなんですよー」

「いや、だから……え、俺は?」

 微笑む佐祐理さんの表情が怖い。

「祐一さんはペットですよ、佐祐理たちのかわいい愛玩動物です」

 冗談ですよね? 一瞬佐祐理さんの手に鎖が握られていたような気がしたが、これは幻覚だ、気にしないことにしよう。

「どうしたらいいの?」

 ふむ?

「あの剣はどこにやったんだ?」

「……しまった」

 と、クローゼットを指差す。

「じゃあ、とってきてくれ」

「…………?」

 きょとんとしながらも素直に持ってきてくれる。その間に俺はレコーダーの準備を済ませておく。

「どうするの?」

 剣を手にした舞が問いかける。俺は答える代わりにボタンを押した。

「ミュージックスタート!」

 チャラララララーララララララーララ、チャララララ〜。

 あの軽快なテンポに乗せて手のひらを地面に向けて腕を脇腹にくっつける、そしてリズムに合わせて上下させながらシルクハットをかぶる。

「ほら、いいから舞もっ」

「?」

 そして取りだしたる付け髭。きょとんとしたままの舞にも貼りつけてから少し離れた位置に立つ。そして、

「行くぞっ」

 掛け声とともにみかんを放り投げる。それは俺の期待に答え見事に剣に突き刺さった。俺の耳に大勢の観客の拍手の音が聞こえてくる。

「ふう、いい運動になった」

 げしぃぃぃぃっ!!!!

「ぐおおおおおっ!!?」

 爽やかに汗を拭う俺を、舞が柄の先で殴った。

「変なことをさせない……」

「なんだよ、舞だってノリノリだったじゃないか!」

 びしっ!!!!!

「ぐはあああああ!!!」

「あはは〜、舞の顔真っ赤ですよ〜」

 びしっ。

「あはは〜っ、舞に怒られちゃいました」

「こら、今のは明らかに手加減してただろ、ひいきだっ!」

「祐一が悪い」

「なんだよ、今流行りのエクササイズとして、NASAからも注目されている健康法だぞ」

「嘘つかないで」

 まだ髭を取ってないのでものすごく笑えたりする。 

「あはは〜っ、ちょっぴりジェノサイドですね〜」

 佐祐理さんがいつものように無責任に笑っていた。

「これじゃ、なんの解決にもなってない」

「だったら俺に聞くより佐祐理さんに聞いたほうが早いだろうが、同性だし色々と知っているんじゃないか」

「……どうするの?」

「あはは〜っ、佐祐理よりおっぱいの大きい人なんかに教えられるダイエットなんて知りませ〜ん」

「ぐしゅぐしゅ……」

 ひでえ……というか気にしていたんですか、佐祐理さん。

「まあ、舞のことならこうすれば簡単ですよっ」

 佐祐理さんがいきなり舞の背中を押した。バランスを崩した舞が俺にぶつかってきてもつれ合うようにして床に倒れる。

「あの、これはいったい?」

「ではがんばってくださいね〜」

 これ以上ないくらいの笑顔でキッチンを出て行こうとする佐祐理さん。

「がんばってくださいじゃないですよーっ!!」

その日俺は搾り取られた。

 

 

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