美汐を敬う日

 

 

「もしもし、天野です……相沢さん? ……はい……はい? ええっ?! ちょっと?」

 いつもながら相沢さんの行動は突飛で予測できません。今日もいきなり電話をかけてきたと思ったら、すぐ来いと言って電話を切ってしまいました、私が聞き返す間もなく。

 いえ、それに関して文句があるわけではないですけどね……その、私も相沢さんのことが嫌いではありませんし……むしろ好ましいと思っているくらいですから。

 それに今日は休日といえど何の予定も立てていませんでした。のんびりと読書でもしながら過ごしてみようかと考えていたところです。

 言わば渡りに船というところですが、ただ、もう少し気を使ってくれてもいいのではないでしょうか。

 女の子にはその……色々と準備が必要なんですから。

 ひ、必要はないかもしれませんけど、万が一ということもありますし。備えあれば憂いなしとの言葉もあります……まだ残暑が厳しいですね。

 と、ともかく早く相沢さんの家に向かわなくては……。

 ……でもいったい何の用なのでしょう?

「やっぱり……私の思いが通じたとか……?」

 あああああっ? えっ、そんな? そんなぁ? 私私私なんですよっ?! なんのとりえもあるわけではないしっ、正直相沢さんに相応しいとは……でもあばたはえくぼと言うくらいですから恋愛感情はすべてを超越しますし……結婚式は海の見える小さな教会で挙げたいものですが絶対に神前式に……。

 

 

 ……相沢さんに会うことなく一日が終わってしまうところでした。おかしいです、私ってこんなに妄想に耽るような性格でしたっけ? 夢見る少女は微笑ましいですけど……。

「おっ、おはようございます」

「お、来たか、あがってくれよ」

 玄関を開けるといきなり相沢さんの笑顔が現れました、不覚にも心臓がドキッとしてしまいます……この笑顔に弱いんですよね、私は。なにをされても結局はこれですべてを許してしまっているような気がします。

 早起きした甲斐がありました……ふふっ、あまり関係ありませんでしたね。

「はい……お邪魔させていただきます」

 実は相沢さんのお家にお邪魔するのは初めてではありません。あの時は歓迎していただいた上に夕食までお呼ばれしてしまいました……同時に壁の高さも認識しましたが、いつかは乗り越えたいものですね。

「ところで、今日はどのようなご用件でしょうか?」

 ずっと気になっていたことを前を歩く相沢さんに尋ねます、後ろ姿も素敵です、歩くたびに少しだけ揺れる髪を撫でてみたいです。

「……ん〜、用は特にないんだけどなあ、今日一日は天野のために予定を開けておこうかと思ったんだよ」

「ええっ?」

 い、一日中相沢さんを独占……? それではあんなことやこんなことをしても構わないと……?

「お前が望むんならゲートボール大会でも盆栽の品評会でも構わないぞ」

「わ、私をなんだと思っているのですか? それではまるっきりおばあさんじゃないですかっ!」

 ……あんなことがゲートボールで、こんなことが盆栽ですか、こんな酷なことはないでしょう……相沢さんはどこまでも相沢さんでした。

「まあ、それは冗談としてもだ、天野が決めていいぞ、能でも歌舞伎でもどんとこいだ、まあ始まって5分で寝る自信はあるけどな」

「……いや、あの、お気持ちは大変ありがたいのですが……相沢さんにそこまでしていただく覚えはありませんけど」

 能や歌舞伎はともかくとして……あれ、リビングですか、別に相沢さんの部屋でも構わないのに……わわ、自制心が足りません。

「なにを言ってるんだ、今日は美汐の日じゃないか、もっと偉そうにしてもいいんだぞ」

 隣りに座りたいところですが、あまりはしたない女と思われたくはありませんよね。これが真琴だったらなにも考えずに座れるのでしょうが。

 ……私の日?

「え? 私の誕生日はまだ先ですけれど……」

 と言いかけてまだ相沢さんに教えていないことに気がつきました。これはさりげなく伝えておかないといけませんね。なんといっても誕生日は女の子にとって欠かせないイベントです……そ、その死ぬのが近づいていく日を噛み締める一日だとか間違っても考えてはいけません。

 ……いけないったらいけないんです!

「ど、どうしたっ? てんかんの発作か?」

「なんでもありません……」

 私の馬鹿っ、おしとやかなイメージが崩れてしまうでしょうが。美汐はやればできる子です、美汐はやればできる子です。

「ふ〜ん、あ、お茶でも飲むか? 秋子さんのようにうまくは淹れられないけどな」

 そんなあっさりと、聞いてくれれば喜んで教えますのに。

「お茶は嫌いではありませんけど、なにか違う気がします……」

 そんなごつい湯のみなんかどこで見つけてきたんですか……? そしてどうして相沢さんだけコーヒーを飲んでいるのですか……?

「ん、渋かったか、悪いな」

 ……そういうわけではありません。

「で、どうする? ありきたりだけど商店街でもぶらっとしてみるか?」

「そうですね……」

 男の方はどこが喜ばれるのでしょう? あ、そういえば今日はあのスーパーのトイレットペーパーがお一人様限りで大変お安くなっていましたね、相沢さんに頼んで並んでもらい……。

「……どうした? 急にうつむいたりして?」

「ううっ、なにも仰らないでください……」

 この時ほど自分を情けないと思ったことはないです……。どうしてデートでスーパーの特売が連想されるんですか……?

「……ところで、水瀬さんとかはいらっしゃらないのでしょうか?」

「なんか香里と約束をしたらしく、珍しく早く起きて出ていったぞ……秋子さんはいついなくなったのか分からん、まあ秋子さんだしなあ」

「そうですか、ではここには私と相沢さんだけ……」

 つまりふたりっきりということですかっ?!

 神様がくれた最良のチャンスですね、まったく今日が休日であることを感謝しなければ……そう、敬老の日に感謝……。

「って敬『老』の日?!!」

 まさか……そんな、そんな酷なことって……。

「ばれたか」

「『ばれたか』ではありません! だいいち敬老の日ということならば、私ではなくてここにもっと相応しい人がいるじゃありませんかっ!! はぁはぁはぁ……」

「あああああ……」

「なんですか、相沢さんっ、ちゃんと反省……」

「……天野さん」

「はんせ……え?」

 後ろに鬼婆……あ、いや秋子さんが……。

「わざわざ遊びにきていただいたんですし、何かご馳走しないといけませんよね」

 ご馳走って、普通の人はそう言ってジャムを取り出しません! 首を押さえつけたりしません! 口をこじ開けたりしません! ジャムを流しこんだりはしません!

「おいしいですか?」

 せっかくチャンスだというのに、どうして私は……。

 薄れゆく意識のなか私は思わず呟いていました。

「私のお馬鹿さん……」

「え? おばさん?」

 違います……。

 

 

 

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