腹痛が痛い
こんにちは、美坂香里です。
冬の訪れが平年よりも遅いとニュースで流れていたように、このところ暖かい日が続いていましたが、この街にも雪がちらつくようになって、ようやく冬本番を迎えられそうな気配を感じました。
寒さは一層厳しくなり、朝、玄関を出る時一瞬足を止めてしまう、制服の下に一枚多く挟むように……ま、まあ、そんなことはどうでもよくて、健康には気をつけないといけないですね。これからは受験生にとって大切な季節です。受験勉強でどうしても体力が落ちてしまうこの時期、風邪を引くことは受験にとって致命的と言っても過言ではないかもしれません。
ところで話は変わりますが、あたしのことをこの凍てついた空のように冷たい女だと思ってしまっている方も多いと思います。顔立ちや態度のせいか余計にきつく見られてしまうのはしかたないかもしれません。
しかし、幸いにも自分のよさに気づいてくれる人がいるみたいで、うれしいことです。
……でも、でもどうして、いつもそれが同性なのか、
「分からないのよっ!」
「……へ?」
放課後、しかも体育館の裏は普段以上に寒いです。
「あの……だからさっきから言っている通り、あたしは女の子と付き合う趣味はないから」
告白をすげなく断わられたというのに、この子はちっとも諦めようともしない。色々と理屈を捏ねまわしては、なんとかオーケーの返事を引き出そうとする。その根性は認めてあげたいところではあるけれど。
「え〜、美坂先輩って男の人に興味がないって話じゃなかったんですか?」
ぷうと頬を膨らませて見上げてくるその仕草が愛くるしい。こんな表情を見せられたら普通の男の人はほっとないと思うんだけど、と余計なことを考えてしまう。
「誰よ、そんなデマ流したのはっ」
「へ? 妹さんがうれしそうに話してくれましたけど」
……なるほど、その子のリボンの色を見て納得。
「ふっ、いつの世でも一番油断ならないのは身内ってことね。歴史がそう語っている通りだわ」
どうせあの子のことだから、どこかに隠れてこそこそとこっちのことを窺っているんだろうけど。
「違うんですか?」
「違うに決まってるでしょっ! あなたもお願いだから真に受けないで」
早くとっ捕まえてきつくお灸をすえないと。
「でも美坂先輩って、現在好きな人はいないんですよね?」
「う……ま、まあ、それは否定しないけど」
春に桜の花を咲かせるまではと、恋人を作るそぶりも見せず頑張ってきた。それがこの仕打ちだとしたら、なんて酷すぎる。
「じゃあ、その人ができるまででもいいですからっ」
「どうしてそうなるのよ……で、もしあたしに好きな人ができたらどうするの?」
「決まってるじゃないですか。どんな手を使ってでも引き離します」
「なおさら付き合えるわけないでしょっ!」
「で、でも、きっと私と先輩の相性はばっちりのはずですっ! サイトにあった相性占いでも最高のカップルになれるって書いてありましたっ!」
しつこい……。「私は諦めませんからね」と捨て台詞を吐かれるまで、延々と苦行に耐えなければならなかった。
「いたいいたいいたいよお姉ちゃんっ!」
「あんたが余計なことを言うから悪いんでしょうがっ!!」
隠れて見ていた諸悪の根源を捕獲すると、早速制裁をくわえる。
「まあそのくらいで許してやれよ、栞にだって悪気は……悪気は少しはあったかもしれないけど」
「あのね」
相沢君がとりなしているんだか分からないことを言う。栞と一緒にいたのはきっと栞に引きずられてきたに違いない。
「名雪もそう思うだろ?」
「う、うんっ。せっかく仲直りしたんだから、ねっ」
名雪はその相沢君を追いかけてきたわけね。
「だからって、自分の姉を同性愛者に仕立て上げる妹を野放しできるわけないでしょうが……例えば、名雪」
「ふえ?」
自分にって感じに自分を指差す。あたしは頷いて口を開いた。
「相沢君が北川君と妖しい関係になっているなんて噂をばら撒かれたりしたらどうするのよ?」
「とりあえず、半殺し」
笑顔でとんでもないことをのたまう名雪、隣でちょっぴり相沢君がひいているのは教えないほうがいいかもしれないわね。
「まあ、ようするにそういうことよ」
「じゃあ、しょうがないね」
「ひええっ」
あっさりと名雪が敵に回ったことで栞が悲鳴をあげた。
「祐一さ〜ん、お願いです〜、この可憐なお姫様を残虐非道な鬼どもから助け出してくださ〜い!」
「……あ、いや」
なにかを言いかけた相沢君はあたし達の目を見てすぐに口を閉じた。賢明な判断ね。
「名雪?」
「香里?」
同じタイミングで顔を合わせて微笑みあう。ついでにさり気なく逃げようとした栞をふたりがかりで拘束する。
「たっ、助けっ……」
助けを求めようとした相沢君はいつのまにか遠くで他人の振りをしていた。
「さあ、お仕置きの時間よ」
「って、さっきしたばかりじゃないですかあああっ!」
あたしに揚げ足を取る妹なんていないわ。
「しくしくしく、ふたりがかりでお嫁にいけない体にされてしまいました〜。姑はいつだって可愛いお嫁さんの敵です〜」
栞の頬がいつもの倍くらいに膨れ上がったところで勘弁すると、相沢君が戻ってきた。するととたんにわざとらしく泣きまねを始める栞。
「へえ、栞ちゃんっていつの間に結婚してたんだ〜、参考までに誰が相手なのか聞いてもいいかな?」
名雪の瞳が剣呑な輝きを放っている。
「もちろん祐一さんとに決まってます〜。きゃっ、言っちゃいました。ばれてしまってはしかたありませんよね。不束者ですがよろしくお願いします」
「ふっ、寝言は寝て言うもんだよ」
「お前が言うか」
あきれている相沢君。あたしもその点には同意したい。
「しかし、どういうことかしらねえ」
思わずため息。
「ん、どういうこと?」
「ああ、自分よりも可愛い妹に嫉妬するのは分かりますけど、暴力はよくないです」
「誰があんたに嫉妬なんてするかっ! いくら栞が嘘をついたからって、それを鵜呑みにする人間がいることが問題なのよっ! なんで女の子となのよっ……」
自分で言ってかなり落ち込む。
「ねえ……あたしってそんなふうに見えるの?」
「あ、ああ、見えないって言ったら嘘になるかな……」
「うん、きっと顎をそっと持ち上げながら、『君はもう、あたしの毒が回っているわ、可哀想だけど逃げられないわね』なんて言ったらいちころだよっ!」
「なんなのよ、その台詞は……」
頭がくらくらする。そんな台詞を言う自分がおぞましいものに思えて、慌ててその光景を追い出した。
「お姉ちゃんの秘密を教えると、みんなアイスを奢ってくれたのに〜」
「あんた、今聞き捨てならないことを言ったわね、秘密ってなによっ」
「ええと、部屋でこっそりとヌイグルミ相手にキスの練習をしているところとか」
「死ねええええっ!!!」
「わわわ、落ちつけっ!! 犯罪は殺人だぞっ!!」
「別に香里がそういうことをしてても、おかしいなんて誰も思わないからっ!」
「そういう問題じゃないわよおおっ!!!」
栞の顔色がいい感じで青くなったところで、あたしは相沢君に振り解かれていた。
「なっ、なあ、ほんとに好きな奴はいないのか? た、例えば北川とか」
「彼はいい友人よ、それ以上でもそれ以下でもないわ」
「斉藤君は?」
「ただのクラスメイトじゃない」
「……う〜む」
「あの、もし、もしね……一応念の為に聞いておくね、深い意味はないんだよ」
歯切れの悪い名雪に不機嫌さを隠さずに見てしまう、それくらい今のあたしに余裕はない。
「なによ、早く言いなさいよ」
あたしがせっつくとようやく口を開いた。
「祐一のことはどう思っているのかなあ、なんて、あははっ」
「相沢君? ……いい人だと思うけどね」
あたしの言葉に名雪がおおげさに胸を撫で下ろす。
「ほっ、よかった〜。親友に呪いをかけるなんてちょっと心苦しいかなって思ってたんだ」
「あんたって……」
結構長く付き合っている親友を改めて怖いと思った。恋愛ってここまで人を変えるのかしら……。
「えうっ? じゃ、じゃあ私のことはっ?!」
名雪は薄ら笑いを浮かべただけでなにも言わなかった。
「はあ、相沢君もはっきり言わないと駄目じゃない」
「俺ははっきりと伝えてるぞ、でもそのたびに、ナチュラルに無視したり、カッターナイフを突き付けてくるんだ」
まあ、そうよね。栞ならそうするわ。根拠はないけど、蛇のようにしつこそうだし。
「そうだ、お前から言ってくれよ」
「ええっ?」
不意に栞があたしの肩に顎を乗せてくる。
「ほほ〜、お姉ちゃんが私に指図ですか〜」
「ううううっ」
「泣いて私にすがった日のことをもう忘れたと見えますね」
『あたしに妹なんていないわ』
「ちょっと、なによこれっ?!!」
『あたしに妹』
「祐一さんと運命的な出会いを果たしたから盗聴器を仕掛けちゃいました。祐一さんが鈍いおかげで全然気づかれないですみましたけど」
「なにいっ? 全然気づかなかったっ?!」
慌てて自分の体をまさぐりはじめる。
「だから、こんなものも録音してますよ」
「……へ?」
『あん、恥ずかしいよ、祐一〜』
「やめてくれ〜!」
崩れ落ちる相沢君を見ながら満足そうにスイッチを切る。
「名雪さんとはこういうことができても私とは駄目なんですね」
「うん、駄目だから諦めて」
「名雪さんには聞いてません。私は祐一さんと話しているんです」
「その前に、右手のいかにも怪しげな瓶はしまおうな」
「えうっ? いつのまに」
「いつのまにじゃないだろ……ところでそのなかはなにが入っているんだ?」
「クロロホルムですー……はっ? み、見事な誘導尋問です。それでこそ祐一さん、私の一生の伴侶に相応しい人物です」
「いや、俺は普通に聞いただけだから」
「あたしの話を聞いてくれたっていいじゃない……」
「わわ、悪かったから、地面に『の』の字なんて書くなっ!」
「ご、ごめんね」
「お姉ちゃんがそこまで追い詰められていたなんて知らなかったです」
「追い詰められた原因は主にあんただと思うんだけど」
「……アイスのおいしい季節になりましたね」
「ごまかそうとするんじゃないっ!」
「じゃあ、どうしろっていうの!」
「ぎゃ、逆ぎれっ?!」
「あ、しーちゃん」
唐突に割り込んできた聞き慣れない声。振り向くとこちらを窺うように女の子がふたり立っている。誰なのと聞くよりも早く、栞が大きく手を振った。
「あ〜、みっちゃんに、よーちゃんどうしたんですか?」
ふうん、仲良くやっているようねと、穏やかな気持ちになったのも一瞬。
「どうしたもこうしたもないよ。はい、B組の木村君から」
え、それってもしかして……? ラブレターってやつ?
「あっ、こんなところでださないでくださいっ!」
「まったく、しーちゃんはモテモテで羨ましいなあ」
世の中間違ってる……。
その後しばらく栞のまねをして、えう〜っとか、アイス食べたいです〜とか言っていたら可哀想な目で見られたのでさらにむかつきました。
「あ、おねえちゃん」
……あたしに妹なんていないわ。