朝
かねてから疑問に思ってはいたのだが。
ジリリリリリリリリリリリピピピピピピピピスイッチョスイッチョ!!
「……スイッチョ?」
……なんか今妙な音が聞こえたような?
クルッポークルッポーニハハハハハハハハハッアイーンアイーンアイーン!!
「だああっ!! うるさいわ!!! 毎日毎日毎日毎日毎日毎日なんで俺が起こしてやらないといけないんだあああっ!! つーかこれが目覚ましの音かっ?! 目覚ましなのかっ??!」
叫んでも誰も答えてくれないので、悲しくなる前に目に付く端から目覚ましのスイッチを止めていく俺、なんて健気なんだ。
人がこんな苦労を背負いこんでいるのに、にへらっとした幸せそうな顔をしてやがるのがさらにムカつく。
可愛い女の子のパジャマ姿を見られるというのはある意味役得といえるかもしれないが、ただそれだけだ、労働にはきちんと対価が支払われるべきだと思う。
しかし、ちゃんと起こさなければ後でどんな目にあうか分からない。理不尽だ、起こしてやってるのはこっちなんだってのに。
「お〜き〜ろ〜」
とりあえず柔らかそうな頬を引っ張ってやろうと手を伸ばす。
「あ……ぁああ……祐一〜そこはだめっ! だめだよぉ」
実に嫌なタイミングで、名雪の寝言が炸裂した。
「なんつう夢見てるんだよ……」
お子様パジャマに似つかわしくない声をあげてやがるし。
「だから起き……」
「そ、そんなわたしぃ……と、飛んじゃうよぉ」
と、飛ぶのかっ? 俺の苦悩をよそにヒートアップする名雪の寝言。
「そんな、掃除機なんて持ち出すなんてっ?!」
俺ってそんなマニアックなのか……?
「……はっ?! ぼ〜っと見てる場合じゃなかった! こらっ! 起きやがれっての!」
「うにゅ〜、掃除機のコードが戻っていくよ〜」
「掃除機はもうええわい!! 起きろおおおぉ!!」
「もうすぐふたりはひとつになるんだお?」
「……ほんとに犯したろか」
朝からどっと疲れる。
「望むところだお〜、危険日ならさらにいいんだお〜、今から役所に行って婚姻届けを出してくるんだお〜」
いやむしろ、こっちが犯される勢いでした。
「……うぐぅ、僕が悪かったです」
「そのしゃべり、むかつくからやめるんだお〜、いい年こいて『うぐぅ』なんて人生なめきってるんだお〜」
「それに関しては否定しないが……起きてるだろお前」
「そんなことないお〜」
「うそつけっ!!」
「うそじゃないお〜」
「……ほんとに寝ているならこの質問に答えてみろ」
「分かったお〜」
さて、何を聞いたものか……う〜む。
「まずは明日の天気から聞いておこうか」
無難な線から攻めてみるとする。どんな返事が返ってくるか意外と楽しみかもしれない。
「晴れ時々曇り、南南西の風が吹き穏やかな一日になるんだお〜、ところにより香里の雷が落ちるから気をつけるといいんだお〜」
「……ほう」
ま、どうせ雷が落ちるのは北川に決まってるしな、あんなに立派な避雷針があるんじゃしょうがないだろう。
「今日の夕飯は?」
「わたしの愛なんだお〜」
……もしかして飯抜きなのか?
「名雪のスリーサイズは?」
「上から90……」
「ふかしこいてんじゃねええええええ!!!」
「うっ、うそじゃないお〜、三年後にはきっとそうなってるんだお」
「んな、ありもしない未来のことなんて関係ないだろうがっ!! だいいち秋子さんだって90は越えてないだろ!!」
「……なんで祐一がそんなこと知ってるんだお?」
いいかげんその『だお』はやめれ、さっきのお前の言葉をそのまま返すぞ。
「誤魔化していないでちゃんと答えるんだお?」
「私を疑うというのはいかがなものかと」
「……紅しょうが?」
「不可抗力だったんだよ、うん、いやだなあ、俺が秋子さんに胸を見せてくださいなんて言うわけがないじゃないか〜」
「イチゴサンデー?」
「おごれと?!」
「だめなら仕方ないんだお?」
仕方ない、仕方ないんだ、仕方ないんだと。
「……てゆーか、いいかげん起きやがれええええええええええ!!!!!」
「だ、だおおおおおおおっ?!!!」
早朝の水瀬家に俺の怒りが木霊した。
「……それでふたりとも遅刻したわけね」
俺たちを出迎えてくれたのは香里の呆れきったため息だった。結局学校に着いたのは2時間目が終わろうとしていた頃で、なぜここまで遅れたかというと、夢のことを誤魔化すのにかなりの時間がかかってしまったからである。
「ああ、朝から秋子さんには熱い目で見られて大変だったぜ」
ついでにいうと、あれでも名雪は起きなかった。
「お母さんったらケダモノだよ〜、まったく誰に似たんだろうね」
いまだに機嫌を損ねたままの名雪、そのおかげでイチゴサンデーのことを忘れてくれたのは悪くないかもしれない。いや、元々夢の話なんだから覚えてるも何もないか。
「……それに関しては深く言及しないでおくわ」
「なんだその目は? どうして俺を見る?」
「深い意味はないわ」
「わたしのことも見たよね……」
「気のせいね」
我が一族を思いっきりけなされたような気がするな。
「ところで相沢君、他に何を聞いたって……まさか、あたしのことを聞いたってことはないでしょうね?」
「ん〜、ちょっと結婚運について占ってもらった」
「占い? ちょっと、どうしてそこで目を逸らすのよ」
「いや、結果を話すには忍びなくてな……」
「名雪?」
ぎんと光る瞳が名雪を捉える。すると名雪は慌てて手をぱたぱたと振った。矛先がそれてやれやれだ。
「わたしのせいじゃないよっ……それに責任を取れって言ってもだめだからね、香里とは結婚できないから。あ、でもお母さんに頼んだらもしかすると可能かもしれない」
「別にあなたと結婚したいわけじゃないわよ」
やれやれとでも言いそうな香里の言葉に警戒感を強める名雪。
「……祐一はあげないよ?」
「俺は物か」
「あたしもいらないわよ、そんなの」
「そ、そんなの?!」
ものすごいショックを受けました。
「祐一を馬鹿にするなんてわたしが許さないよっ!」
そうだそうだ、もっと言ってやれ〜。直接香里と対決するほど無謀ではないので、こっそりと名雪の応援に回ることにする。すると香里の言葉を変な風に解釈した馬鹿がのこのこと現れた。
「ほう、それはやはりこの俺でないとだめってことなんだな美坂」
「北川君、誰も会話に加わっていいなんて言ってないわよ」
「ひどっ」
そしてあっさりと撃退されることに。
「とにかく、香里は今すぐわたしに謝るんだよっ、今ならAランチで許してあげないこともないよっ!」
「ええっ、謝るのは俺に対してなんじゃないのか?!」
しかもなんか安いぞ。
「なにを言ってるんだよっ、祐一を馬鹿にするってことはイコールわたしを馬鹿にするってことなんだよ」
「どうしてそうなる?」
「えっ、それをわたしの口から言わせるの? ……祐一のえっち」
「なんでそうなるんじゃあああぁ!!!!」
「……はあっ、若いっていいわね」
「なんだその軽蔑しきったような視線は?」
「あら、そんなつもりじゃないのだけれど。相沢君がそう思うってことはそうなのかもしれないわね」
「オールドミスのくせに……」
「か、関係ないでしょ!!」
「別に、香里のことだとは一言も言ってないんだけどな〜」
「……相沢」
「名雪、ここは邪魔しないでくれ、このままでは俺のプライドがだな……あれ?」
急に声が太くなったと思ったら、石橋に変わっていた。
「ほう……そうか。遅刻してきたうえに俺の授業の妨害をするわけだな?」
あきらかに怒っている、これはやばい。ここはひとつ穏やかに局面を収めるべきだろう。そうするべく俺の脳細胞がフル回転して、
「やだなあ、品行方正で通っている僕がそんなことをするわけないじゃありませんかあ」
火を吹いた。
「ああ、そうだな、相沢はそんなやつじゃないよな」
「あははははは」
「はっはっは……とりあえず廊下に立ってろ」
「……はい」
当然失敗する、哀しい。バカバカ、俺の脳のバカ。
「相沢君も仕方ないわね」
「あ〜、喧嘩両成敗だ、美坂も付き合ってやれ」
とはいえ、皮肉げな笑みが驚愕に変わるのを見ただけでも悪くないかもと思った。いわゆる怪我の功名というやつだ。
「うそっ?!! なゆっ、水瀬さんはどうなるん……ああっ、卑怯者っ!」
「うにゅ?」
「『うにゅ?』じゃない!! なにすまし顔で教科書開いてるのよっ!!」
「だってもう授業始まってるよ」
「……くっ、くうぅっ……覚えてなさいよね」
憤然と立ちあがった香里の髪がいい感じに跳ねる。やけくそ気味に振り払ったその様子が妙におかしかった。
「……ぷっ」
「何笑ってるのよ」
「別に」
「いいから、さっさといけ」
こうして石橋に教室を追い出されたが、俺の笑いはしばらく止まらなかった。
翌朝、名雪を起こしに行ったらなぜか秋子さんが寝ていた、しかも了承された。これからの水瀬家での生活に不安を覚える俺がいた。