予行演習

 

 

 七瀬は張り切っていた。初めてきちんと迎える恋人の誕生日とあっては、たとえ乙女でなくても張りきらざるをえないだろう。

 乙女としては、慎み深く隠してあとで驚かせようとする腹づもりではあった。が、元来隠し事は苦手であり、ひとりで盛りあがっていくさまは誰がどう見ても言い訳のしようもないことであり、そこが彼女の魅力と言えなくもないわけで。ともかく隠しておきたかったターゲットにも気づかれることとなり、すっかり開き直った七瀬は今日も浩平の家にいたりする。

 その目的とは、

「恋人の誕生日を手料理で祝う、まさに乙女にしかなせない技ねっ!! でも、あたしってちょっぴり料理が苦手だから今日も練習するのよ。そして本番には目を剥くほどの素晴らしいディナーを完成させる。これで折原もあたしに一目おくようになることは間違いないわね、だからあんたはその修行に付き合ってもらうわよっ」

 というものだった。既に七瀬の頭の中では幸せな未来が一本のレールとして続いているらしい。

「却下だ」

 そしてそれを聞いた浩平の第一声がそれであった。過去のあの酷い出来だったラーメンの想い出が甦ってくる。だが彼女にはそれがお気に召さなかったらしい。

「……殴るわよ」

「……いたひ」

 口よりも先に反射的に右の拳が握られていた。

「ふう、里村さんに料理でも教わってこようかしら」

 彼女の脳裏にもの静かで長い髪をお下げに結んだ女性の姿が浮かんでくる。茜よりももっと七瀬と親しいはずである恋人の幼なじみではなかったのはちょっぴり複雑な女心がそう仕向けたのかも知れない。しかしそれは浩平の警戒信号を赤に変えるには十分だった。

「そ、それだけはやめとけっ! どうせ甘すぎて食べられないものができあがった挙句、柚木が首を突っ込んできて収拾の付かない事態になるんだからっ」

「そ、それもそうね」

 前に一緒に食べたワッフルの味を思い出して苦笑いする。あのときは吐き出すわけにもいかず、むりやり飲み物で押しこんだものの、その飲み物がまたさらにとんでもない味でとても乙女にあるまじき醜態を見せてしまったという思い出がある。さすがにその二の舞は避けたかった。ちなみにその飲み物は浩平が用意してきていたことは七瀬には知らされていない。

「大人しく長森辺りにでもしとけ」

 その浩平の提案に七瀬は顔をうつむかせた。思わぬ反応に浩平の顔に焦りの色が生まれる。

「じわぁっ……やっぱり折原は瑞佳のほうがいいのね、確かにあたしと違って性格もいいし可愛いしさ」

「わーっ! なんでそういう結論になるんだよ!!」

 手で覆って泣き出す七瀬に慌てて声をかける、すると七瀬はさっと顔をあげ笑顔で舌を出した。これにはさすがの浩平も言葉を失う。

「う、そ。真希に教えてもらってくるわ……ところで折原はなにが食べたいの?」

「女体盛り」

 しかえしのつもりか浩平が至極真面目ぶった顔で、彼女の制裁を受けるに相応しい命知らずな発言をする。

「……冗談はそれくらいにして、何が食べたいの?」

 当然のごとく七瀬に迫力のこもった笑顔を向けられた。

「……ぐおお、お、同じところを……」

 先ほどと同じ場所を殴られ浩平の頬の腫れがひどくなる。聖書によれば右の頬を殴った後はさすがに可哀相なので反対側を殴りましょうとあるが、七瀬には慈悲の心が微妙に足りなかったみたいである。

「喜んでもらうならばやっぱり折原の好物が一番いいに決まってるもの」

「だから女体盛りを」

 健気な発言をぶちこわしにする浩平に七瀬はこめかみをひくつかせ威嚇するように拳を振り上げた。さすが三度目は食わないと素早く距離を取って七瀬の動きを牽制する。

「いいかげんにしなさいよ?」

「いや、これは乙女になるために必要不可欠な」

「んなわけあるかいっ!!」

 踏みこみに備えて慌てて左頬をガードする浩平。

「くう、ならば裸エプロンで手を打とうじゃないか。恋人の誕生日を裸エプロンで祝う、これこそ乙女にしかなせない技だぞ」

「んなわけあるかいっ! ……あんた、もしかしてあたしの体だけが目当て?」

「はっはっは、そんなわけないじゃないか、俺を信じられないのか?」

 それまでへらへらとしていた雰囲気を一変させ、きりっと真剣な眼差しになる。いつも真正面から見つめられると弱かった。そして騙されたことをごまかされるのが悲しい七瀬の日常なのである。

「えっ、あの、そんなことはないんだけど……」

 思わず目線をそらしてもじもじと指を絡み合わせはじめる七瀬に、浩平がこの隙を逃すはずもなかった。

「えっ、ちょっと、きゃ?!」

 七瀬の声は浩平の唇によって塞がれた。

 

 

「……って、料理の練習をしに来たのになんでこんなことをしてるのよおっ!!?」

 しっかりと一戦を交え心地よい余韻に浸っていた七瀬はふと我に返った。やるせない気持ちが叫びとなって口から漏れる。

「いや、俺がお前を料理していると言う点では間違っていないと思うぞ」

 体を起こしてしたり顔でうなずく浩平。

「それは料理じゃないっ!」

 反論はするもののもはやどつく力もない。

「お前だって盛り上がっていたじゃないか」

「うぐっ、すぐ流される性格が恨めしい……」

 浩平に指摘にがくりと肩を落とす。そんな七瀬に浩平は両手を合わせると頭を下げた。いやな予感に顔をひくつかせる。

「今日もご馳走様でした……さて」

「なっ、なによ」

 邪悪な笑みを浮かべる浩平にあとずさりする七瀬。しかし浩平は容赦せずににじり寄ると一気に飛びかかっていった。

「食事の後のデザートをよこせえええ!!」

「まっ、またするのっっ?! きゃあぁぁ……あん」

 このふたりに誕生日なんてイベントはとりたてて必要ないのかもしれない。

 

 

 

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