ランチタイム

 

 

 時計の針がなかなか進まない感覚、どことなく殺気立つ周りの生徒。4時間目の授業の終了間際の状況はたいがいそんなものだ。いつも混雑する学食で席を取る権利を得るためには、いかに綺麗なスタートダッシュをかけられるかにかかっている。

 それはこの俺にとっても例外ではない。目の前の七瀬にちょっかいをかけることも我慢しひたすらその時を待つ。雰囲気の変わらないのは弁当を用意していて学食に行く必要のない人間だ……裏切り者め。

 教科書を手にした教師の間延びした声がことさらに雰囲気を昂ぶらせる。しだいに張り詰めていく空気。いまかいまかとその時を待ち望む。

 そして、チャイムが鳴った。

 教師がゆっくりと教科書を閉じる。日直が号令をかける。

「よし、ダッ「折原君〜」シュ?!!」

 学食へ向かおうとする俺の体は別の方向に引っ張られていた。

 

 

「いったい何の用だよ」

 俺たちは屋上にいた。気持ちのいいほど日の差した、普段の俺ならそのまま眠ってしまいそうなうららかな陽気も今は関係ない。

 正直、気分が悪い。食べ物を求めてせっつく胃がアドレナリンを分泌させているようだ。それにもかかわらずにこにことしたままの柚木に何か言ってやろうとする。

「お」

「はいっ」

 気勢を制するかのように鼻先につきつけられたものを反射的に受け取ってしまった。そして間抜けな顔で柚木とそれを見比べる俺。

「……へ?」

「お弁当」

 一瞬柚木とその言葉の意味が繋がらなかった。再び硬直する時間。

「だから、お弁当」

 柚木がじれたように同じ言葉を繰り返す。理解した瞬間、俺は思わずあとずさっていた。

「ついに間接的に殺害を諦めて直接的な行動に出やがったな!」

「そんなわけないじゃない」

 あっさりと否定されてしまう。しかしこいつの持ち味は殺意なき殺意だからなあ……。

「いや、お前なら、面白そうだからという理由で人を殺しかねん」

「いらないんならあたしが食べるけど」

 さすがに不機嫌になってしまったようだ。

「くれると言うんならもらってやらないこともないぞ」

「さすがに傷つくよ? 泣いちゃうよ?」

 芝居がかったポーズに俺は両手を上げて降参する。高く差し上げられた弁当箱がふらふらと頭の上で揺れた。

「あ〜悪かった。しっかしどういう風の吹きまわしだ? 先は冗談めかして言ったことはさておき、本気で理由が分からん……はっ?! まさかマフィアがターゲットに贈り物をするというあれかっ?!」

「あのねえ……」

 う、柚木にため息をつかれてしまった。

「う〜んとね、折原君てばあたしのこと女の子だと思ってないでしょ」

 そしてビシッと指差される。指の指紋までくっきりと見えそうな距離まで突きつけられ俺はのけぞった。

「は? なんだよいきなり」

 背筋を酷使しながら聞き返す。

「そりゃ茜みたいにかわいくはないけどさ、女のプライドがすたるのよねえ……だからっ、ここは一発詩子ちゃんの実力を見せてあげちゃいましょうってことで」

 なんか七瀬の発想みたいだな。

「……それで弁当なのか?」

「分かりやすいでしょ? 見直しなさいよ」

 食べる前からない胸を張られてもな。

「へいへい、で、開けてもいいのか?」

「もちろん、食べてもらうために持ってきたんだもん」

「……開けたら爆発したりはしないよな?」

 俺の言葉に柚木の笑顔がまた曇る。

「どうしてそこまで疑うのさあ」

「いや、だってだなあ……ま、いいか」

 俺は辺りを見まわして落ち着けそうな場所を探した。そして手ごろなところに腰を下ろすと柚木も隣りに座ってくる。柚木の視線にやりにくさを感じながら俺は包んでいたナプキンをほどいた。

「あ、あたしはもう昼食はすませちゃったから」

 ふと気づいて顔を横に向けると柚木に先に答えられた。

「そういうことなら遠慮はいらないか。どれ、お手並み拝見といこうじゃないか」

「ふふん、腰を抜かしても知らないよ、それどころか雲を突きぬけちゃうかもしれないね」

「漫画かよ……ほう、サンドイッチか」

 言葉の通り箱の半ばを具だくさんなそれが占拠してる。端の方には付け合せのサラダやら唐揚げやらが詰められていた。どれも見た目はうまそうに見える、だが問題は味だ。

「うん、折原君てばいつもパンを食べているからパン好きなのかなって……違った?」 

「違わないこともないが……何か釈然としないなあ……箸?」

 怪訝な顔で隣りの柚木を見る。

「折原君のことだからパンにも箸を使うんじゃないかと思って、用意いいでしょ?」

 俺はその言葉に黙ってサンドイッチにかぶりついた。端のかりっとしたベーコンとふんわりとした卵の味が俺を出迎える。絶妙な塩加減と胡椒のピリリとした辛さに口の中は幸福感で一杯になった。

「……どうかな?」

「ほいひい」

 あとはもう夢中だった。手当たり次第口に入れて何度か噛み砕くと飲みこんでまた口に入れる、その繰り返しで箱の中のサンドイッチはあっという間になくなっていた。

「うわーすごいね」

 その様子をうれしそうに見ていた柚木が感嘆の声をあげる。少し悔しいと言う気持ちが湧だが、今回は完全に俺の負けだ。

「……参りました」

 素直に頭を下げる俺がいた。

 

 

「お弁当を作ってきてもらったのですか?」

 放課後このことを話したらさすがの茜も驚いていた。暗闇から髪の抜け落ちた七瀬が迫ってきてもこうは驚かないだろう。

「まさか柚木が料理を作れるとはな」

「詩子も気まぐれなところがありますしね」

 少し考えこむふりをして、やがて思いあたったようにかすかに微笑む。その反応にはさすがの俺も気になった。

「何か考えてあげてくださいね」

「ん?」

 こんな笑顔大安売りの状態の茜を見るのは本当に珍しい。

「もうすぐ詩子の誕生日なんですよ」

「誕生日? ……もしかして催促されたのか俺は?」

 そういう魂胆だったとは……まあかわいげがあると言えないこともないか。

「それだけではないでしょうけど……ずいぶんと気に入られたみたいですね」

「やめてくれ、縁起でもない」

 嘆く俺の側で茜がおかしさをこらえきれないと言った様子でうつむく。

「なるほど、柚木の誕生日か」

「はい」

 茜はうなずくと壁にかけられた時計の時間を確かめた。

「では私は帰ります。さようなら」

「ああ、またな」

 俺が手を上げると小さくうなずいて茜が踵を返す、その様子を眺めながらこれからどうするか考える。

「やはりこのままにはしておけないだろうな……俺の名がすたる」

 どんな手で驚かせてやろうか、そんなことを考えながら俺は家路についた。その日の来るのが楽しみだ。

 

 

 

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