乙女の悩み

 

 

 あたしは乙女になるって固い決意をして転校したはずなのに、気がついてみれば流されるまま高校生活にピリオドを打っていて、なんとなく瑞佳と同じ大学に進んでいる。そして現在、学食でのんきに蕎麦をすすっている自分がいる。

 王子様はいまだ現れず。

 別に大きな不満があるってわけじゃないけど、目の前の少女はおしとやかで性格もよくて、そのうえ幸せの真っ只中にいて、あたしはいまだにあの時のままのリボン。

 神様、少し不公平じゃないかしら?

「……はあっ」

 思わずため息のひとつも出てくるってもの。目の前の蕎麦は値段の割にはおいしいし、窓ガラスを通り抜けてくる陽の光は心地よいものがあるけれど。

「はあ……」

 と思ったらなぜか瑞佳もため息をついていた。なのに、同じため息ひとつとって見ても、どこかあたしとは違っているような気がする。例えるならば瑞佳が高原を渡るそよ風にたいして、あたしのは掃除機の排気……いや、そこまで卑屈になる必要はないわよね。

 うん、自分を他人と比べる方が間違っているのよ……それでも瑞佳みたいになれればなあってつくづく思う。長い付き合いの間につい彼女の行動を目で追ってしまうんだけど、そのたびにあたしなんかじゃ敵わないってことを思い知らされる。今のため息だってきっとあたしなんかとは違って、きっと瑞佳の悩みごとは乙女に相応しいものなんだって、ひしひしと感じられるし。

 あたしが、乙女らしい蕎麦のすすりかたについて頭を悩ませている時だった。

「……えっちしたいなあ」

「ぶふーーーーーーーーーーっ!!!!!?」

 あたしは豪快に蕎麦を吐き出していた。丼の中に飲みこむ寸前のちぎれた麺が戻され、跳ねたおつゆがあたしを汚す。さらにおつゆが変な所に入ってしまったのか、鼻の奥がつんとして痛い。

「ど、どうしたの七瀬さん?」

 のんびりと問いかけてくる瑞佳に、あたしは半泣きになりながら、おつゆのついてしまった服をハンカチで拭き取ろうとする。

「ど、どっ、どうしたのじゃないでしょ!! あんた今無茶苦茶ヤバいこと口走ってたわよ!!」

 これ高かったのに……。

「あ、いやだ、もしかして声に出てた?」

 とたんに瑞佳が顔を真っ赤にした。

「もしかしなくても、出てたわよ……」

 思わず脱力するあたし。しみを拭き取ることを諦めて、涙目のまま瑞佳を見る。そして、ようやく周りから注目されていることに気づき、視線で威嚇するとあたしは深いため息をついた。

「えへへへへへ」

 相変わらず顔を赤くして照れている瑞佳、その様子は思わずたじろいでしまうほどかわいい。食欲をすっかり失ってしまったあたしは、丼を乗せたトレイを脇に押しやった。

「まさか、あんたの口からそんなセリフが出てくるとは思わなかったわ」

「そ、そうかな〜、わたしも普通の女の子だよ……それに、1ヶ月もご無沙汰なんだもん」

 最後の方はごにょごにょと呟いて聞き取れない、でも。

「1ヶ月ねえ……」

「わあっ、恥ずかしいから言わないでっ」

「言ったのは瑞佳だってば」

 それが長いのか短いのかあたしにはよく分からない……悲しいことに。

「……ねえ、浩平はわたしに飽きちゃったのかなあ?」

 悲しい顔をされても困るんだけど。

「そんなわけないわよ。あんたに飽きるなんて男じゃないわ、ホモよ、ホモ」

 幾分投げやりな感じ、だってどうしろと。

「え〜、それはいやだよ」

「ま、それは冗談としても、大事にしてもらってるってことには間違いないんじゃないのかしら、あ〜あ、羨ましいことねえ」

 ほんとに羨ましい……く、悔しくなんてない……わよ。

「そ、そうなのかな……でも、自分に魅力がないのかなって悲しくなる時もあるんだよ。わたしって七瀬さんのように美人ではないし、かといって取り柄があるわけでもないし」

「あんたに魅力がなかったら、この世の女性に救いはないわね」 

 これだけは断言できる。あたしが男だったら速攻でプロポーズは間違いない。

「そうなのかなあ」

 うーんと、考え込むように……ったく、あいつはなんて贅沢なのかしら。折原がいらないって言うのなら、あたしがいただいちゃおうかしら。

「そうだっ、講義が終わったら会いに行こう、たまには勉強を見てあげてもいいよね?」

 こっちが不埒なことを考えている間に、なんか自分で結論を出したらしい。嘘しそうなのがこっちにまで伝わってくる。

「だからあたしに聞かないでってば……あれ? そういえば、あいつ、予備校に通ってるんだっけ?」

「うん、がんばっているみたいだよ」

 まるで自分のことのように語って聞かせようとする瑞佳に、苦笑してしまうのはしかたのないところ。

「ふうん、もちろんここ受けるんでしょう?」

 しばらく会ってはいないけど、瑞佳の話を聞く限り、あのころとちっとも変わってはいないのだろう。

「どうなんだろ? そうだといいけどね」

 そう言いながらも、ついついでれっとしてしまうのは……そうか、あいつが後輩になるわけか……ん? 後輩?

「くっ、くくくくく……」

「な、七瀬さん……?!」

「つまりあたしは先輩……先輩といえば神も同然……なるほどなるほど、こりゃ折原にはぜひ受かってもらわないと」

「そっ、そうだね……」

 どこか引いたような目であたしを見ているけど、この素晴らしい事実に気がついたあたしの心はさっきからうかれっぱなし。

「来年の春が楽しみねえ〜」

 そんなあたしの視線をさりげなくかわすと、瑞佳があっと声をあげた。

「そろそろ授業が始まっちゃう」

 その言葉に急に現実に引き戻される。

「うそっ、もうそんな時間?」

 時間を確かめると、時計の針は移動のことを考えると、余り猶予のない場所を示していた。あたしたちはトレイを返却するべく、慌てて持ち上げた。

「それじゃ、またね〜」

「は〜い、がんばんなさいよ〜」

「も、もうっ」

 そうして別れを告げると、急いで次の教室に向かう。その間についついかっこいい人を目で捜し求めてしまうのは、別に悪いことではないわよね?

 

 

 翌日、一緒に取っている講義に瑞佳が来ることはなかった。講師の話を聞き流さないようにしながらも、ふたりが今何をやっているのかの方に、つい心を奪われてしまう。思わずその光景を色々と想像してしまい、自己嫌悪に陥るあたしがいた。

 

 

 

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