海に降る雪

 

 

 あの日以来、浩平は瑞佳をいじめるために学校に通うようになった。はっきりいって瑞佳にとっては災難の一言に尽きてしまうが、仕事の忙しさでろくに浩平に構えずにいた由起子は、素直に胸をなでおろしていた。

「くらえっ、ぞうきんばくだん!」

 掃除の時間、ちゃんと掃除をするように言った瑞佳への返答がこれである。

「やめてよ、こうへい〜」

「うるさいっ、なれなれしく名前で呼ぶなっ!!」

 子供というのは異分子に対して激しい拒否反応を見せるものだ。それは成長するにしたがって身につける他人と自己の区別などがまだ未発達だからであろう。

「おりはらくん、ながもりさんのこといじめたらだめだよ」

 当然見慣れない者にいじめられている瑞佳に対して同情する子供たちが出てくる。元々初めの印象がよくなかった。そして、交わる様子もなかった。

 それは事情を知っている人間からすれば致し方ないところだろう。

「関係ないだろ!」

 不機嫌そうに浩平が唇を尖らせるが、浩平を注意した少女と仲のいい女の子が加勢してくる。

「関係なくはないわよ、あたしたち同じクラスなんだから」

「そうよ、そうよ」

「おりはらってひどいやつだよなあ」

 傘にかかると無関心を装っていたものまで加わってくる。浩平はそのときも孤独だった。肝心の瑞佳は何も言えずに

「やめとけって、おりはらに近づかない方がいいぜ。あいつはやくびょうがみだからな」

 さらに子供は残酷だ、基本的に相手を思いやる心がない、と言うより、自分のことに精一杯で他人を見る余裕がない。だから平気で相手を傷つけることができる。いや傷つくことさえ分からないのかもしれない。

「なんだと」

「なんだよ、おれは知ってるんだからな。おまえんち、とうちゃんもかあちゃんもいないんだろ」

「だからなんだよ」

「ふ、このすみいまもるのじょうほうもうはすごいんだぞ」

 住井が胸を張って周りに同意を求める。

「この前の授業参観の時に誰もこなかったもんな、うらやましかったんだろ」

「うらやましくなんかないよ!」

「それに、こいつの妹も死んじゃったんだぜ。きっとこいつに殺されたんだよ」

「そんなことあるかっ!!」

「おーい、みんな死神おりはらに近づくなよ〜」

 聞こえよがしに言われて浩平は住井に掴みかかっていった。

「ちがうっ!!」

「このやろう、やんのか!」

 たちまち取っ組み合いのけんかが始まる。

「あやまれ!!」

「もとはといえばおりはらが悪いんじゃないか!!」

「うるさい、あやまれっ!!」

「いてえっ!!」

 騒ぎを聞きつけて担任の女教師がやってくる。

「あ、あなたたち、なにやってるのっ!!」

「あ、せんせ〜、おりはらくんがまたながもりさんをいじめてたんです」

「とにかく離れなさい!!」

「ぼくじゃない、ぼくじゃないんだあ!!」

 浩平は目の前にいるのが誰かすら分からずに怒りをぶつけていた。

 

 

「……ううっ、ひっく、ぼくが悪いんじゃない」

 帰り道、一人きりで浩平は泣きながら歩いていた。由起子は相変わらずの忙しさで連絡が取れず、担任の説諭で幕は閉じたが、その後も浩平の目は、下駄箱、足もとの石ころ、道端の雑草、すべてに対して苛立ちをぶつけていた。

 また、そうするほかなかった。

「……はあっ、はあっ、まってよー」

「ん?」

 振り返ると、後ろから荒く息をついて瑞佳が追いかけてくる。信じられないものを見ているかのように浩平が動けずにいると瑞佳は追いついてきた。

「こうへい、大丈夫?」

 と、あくまでも心配げに話しかける。浩平は泣くのをやめて不審そうに瑞佳のことを見た。

「なんだよっ! おまえも文句を言いにきたのかよっ!」

「ちがうよ〜、わたしはただあそびたいだけなんだよ」

「な、なにいってるんだよ、ぼくはおまえのことをいじめてるんだぞ!」

「そんなことないよ。だって、こうへいさびしそうなんだもん。きっとどうしたらいいのか分からないだけなんだよ。ね、ただ、いっしょにあそぼって言えばいいんだよ」

 瑞佳が浩平の手を取ってにこっと笑いかける。幼心にもどきっとくるものがあった。

「う、うん」

「ねえ、家に遊びにおいでよ。誰もいないんでしょ」

「う……うんと」

「あはは」

 飾り気のない笑顔、それはあの日以来浩平が見ることのないものだった。

 

 

「昨日はその……俺がわるかったよ。けど長森さんをいじめるのはやめてほしいな」

 翌日の教室、瑞佳の仲直りを求める瞳に押されて住井が歩み寄る。

「すみいくんはながもりさんがすきだもんね」

 思いがけない展開に戸惑い気味の浩平にも優しげな瑞佳の瞳が勇気付ける。

「うるさい、ま、まあ。そういうことでよろしくな」

「……わかったよ」

 そして、浩平は住井が差し出した手をおずおずと握る。そんな二人を瑞佳はにこにこと見つめていた。

 

 

 小さな手が肩を揺すぶっている。

 端から見ると微笑ましい光景。

 ただ二人しかいない、時の歩みを止めた世界。

 そして全てから開放された世界での思い出。

「どうしたのこうへい?」

「ああ、なんだか夢をみていたみたいだ……」

 あの時の形を残したみずかに微笑みかける。

「……ないてるよ」

「ん……いつもあいつに迷惑をかけていたんだな」

「……そうだね」

 寄り添う影が雲の影に遮られて、そして消えた。 

 

 

 

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