幸せのタンス

 

 

 人間なにかしらいいことがあるといつもより他人にやさしくなれるものだ。では普段から優しい人間がさらに優しくなったらどうなるのだろう、そんな興味を抱かせる少女が今日もぐーたらな幼なじみを起こしにやってくる。

 どことなく足音を弾ませて階段を駆け上がると瑞佳は迷いなく部屋の扉を開けた。

「浩平朝だよー……あれ、布団がぺったんこだ」

 目的の相手がいないことに気がついた瑞佳は、拍子抜けしたような表情を浮かべるとまずはカーテンに手をかける。日光をとりこんだ部屋が息を吹き返したかのように見違えて明るくなった。

 次に瑞佳はどこかに浩平が隠れていないか、かすかな期待を込めてきょろきょろと部屋を見回した。するとすぐにタンスの異変に気がつく。それをまじまじと眺めた後に瑞佳は重いため息を漏らした。タンスには『俺はここにいるぞ』と張り紙がしてある。間違いなく本人が書いたものに違いなかった。

「こんなものでだまされる人なんているのかな……」

 今日くらい素直に起きてくれてもいいのに、出だしの気分がよかっただけに急落するのも早い。浩平ってばしょうがないなあと言わんばかりの笑みが浮かばない。

「きっと浩平は下にいるんだね」

 彼女にしては珍しく無表情でドアを閉めて部屋を出ていった。階段を降りるパタパタという音が部屋から遠ざかっていく。それが消えた後にベッドの下から這い出してくる浩平の姿があった。

「う〜む、人の好意を疑うとは長森もさみしい大人になったもんだな……」

 勝手なことを呟くと再びベッドの下に戻っていく。どうやらいつものようになにかを企んでいるようだった。

 

 

 10分ほど経過した後に下の捜索を終えた瑞佳が再び浩平の部屋に戻ってくる。時間が先ほどより進んでしまったせいか表情に余裕がない。

「浩平いないの〜? 遅刻しちゃうよ〜」

 いないことが分かっているのに乱暴にシーツをめくりあげたりする。あげくにやつあたりのごとく枕を叩いた。普段の彼女らしからぬ行動に自分では気づいていないようだ。

 そしてようやく問題のタンスに目を向けた。

「やっぱりここにいるのかなあ、浩平のことだからきっとろくでもないことを考えているんだよ……でも本当に浩平がいるんなら開けないとどうしようもないよね」

 ぶつぶつ呟きながら張り紙の目の前に立つ。すると浩平がそれを張った時の得意げな表情が浮かんで来て、瑞佳の顔にこの家での初めての笑みが浮かんだ。そして、ひとしきり思案すると瑞佳は心を落ちつかせるために深呼吸をした。

「……開けたとたん矢が飛んで来たりしないよね?」 

 こわごわと腕を伸ばして取っ手を掴むとゆっくりと開く。なにもおかしいものがないと分かると瑞佳はほっと息を吐いた。

「……あれ?」

 当然浩平が寝ているということはなかったが、代わりにハンガーにかけられた服に混じって白い箱が置かれている。

「なんだろこれ? この匂いは……」

 興味を誘われた瑞佳はそれを手にとるとためらいもなく蓋を開けた。

「うわあ……」

 ショートケーキだった。イチゴがひとつ乗っている普通のショートケーキ。それが瑞佳に言葉を失わせた。

 呆然と箱の中に一緒に入っていた紙を拾い上げる。ノートの切れ端を破ったのだろう、短く『だよもん記念日』だけ書かれていた。

「浩平ってば……」

 その時だった。

 パァン!!!!

「っっっっ???!」

 ものすごい音が瑞佳のすぐ後ろで炸裂する。煙に混じって火薬の匂いが鼻腔を刺激するが、すっかり油断していた瑞佳は紙テープを背中に張りつかせたままその場にへたり込んでしまった。それでもケーキが無事守られたのはさすがと言うか。

 ベッドの下からクラッカーを鳴らした浩平がしてやったりといった表情を浮かべてようやく出てくる。

「けほっ……火薬を増量しただけあって音もすごいな、耳がおかしくなるかと思ったぞ」

「ここここここ」

「俺はにわとりか」

 火薬の匂いを部屋中に充満させながら浩平が突っ込んだ。

 

 

 その後、部屋の片付けなどで遅刻は確定したが、サボるのを良しとしなかった瑞佳によってしかたなく瑞佳をおぶさって登校する浩平の姿が見られたという。

「……まさか腰を抜かすとは思わなかったな」

「びっくりしたんだからしょうがないじゃない……」

 落ちないように首にしがみついた結果、急接近した幼なじみの感触に浩平が珍しく照れたのかそっぽを向く。

「……重いな」

「お、重くなんてないもんっ! 浩平の勘違いだよっ!」

 一瞬にして頬を赤くした瑞佳が激しく抗議した。それにあわせて浩平の体が左右に揺れる。

「暴れるなっ、落っことしてしまうだろうが!」

「ごっ、ごめんね……でも浩平がそんなことを言わなければいいんだよ」

「み、耳に息を吹きかけるなっ」

「そんなつもりじゃないのに〜」

「もういい、しゃべらないでくれ」

「うん……」

 そしてしばらくの間お互いの息遣いだけが会話の代わりを務める。先に根負けしたのは予想通り浩平の方だった。

「あ〜、やっぱしゃべっていいぞ、間が持たん」

「いいの?」

「俺は会話がないと死んでしまう男なんだ」

 おおげさな言いように瑞佳がくすくす笑う。 

「……うん、ありがとう」

「ケーキか? 気にするな、日頃世話になっているからな」

「もちろんケーキもそうだけど……恥ずかしいけれどちょっぴりうれしいな、浩平におぶってもらえるなんて……こんなことされたのって久しぶりだよね」

「俺は十字架を背負うキリストの気分だ……」

「だから重くないよっ!」

「そういう意味ではなくてだなあ、このまま学校にいったらあいつらにからかわれるに決まってるじゃないか……まだ治らないのか?」

「……う〜ん、もうちょびっとだけ、ね、浩平」

「あ〜、分かった分かった」

 背負う浩平からは見えなかったがその時の瑞佳は確かに微笑んでいた。

 

 

 

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