幻の季節
「ねえ、志貴くん……いい天気だね」
自分でも当たり前だなと思いつつ、話のきっかけを掴むために天気の話題から。
だって志貴くんはあんまり自分から話しかけるタイプじゃないもんね、わたしから話しかけないと。
でも付き合って間もないとはいえ、ちょっとひどいかなあと思う。早く直してもらおうかな。
「そうだね弓塚さ……」
「むー」
「……さつきさん」
ほんとは呼び捨てにしてくれるともっとうれしいんだけど。でもまあ、ここまで親しく慣れたって証拠なんだし悪くないよね。
「ん、合格……でね、今日はどこに連れてってくれるのかな?」
「あー、特には決めていないんだけど、どうしようか?」
そんな顔をされたら困っちゃうじゃない、でもね今日は、うふふ。
ポケット……じゃなくて、かばんの中だったね。折り曲げないように大事にしまっていたそれを取り出してと。
「それじゃあ、映画でも観にいかない? ちょうどチケットがあるんだ」
と、志貴くんに差し出したそれは流行りの恋愛物。内容は詳しく知らないけれど、先に観てきた友達がみんな絶賛していたし、テレビで流れていたCMの雰囲気がよさそうだったから。思わずチケットを買い求めてしまったのよ。
やっぱりデートといったらふたりで映画を観て心ときめかせる、これでしょ。もちろんヒロインをわたしに、主人公を志貴くんに投影して。
無意識に手をつないでしまうのもいいわよね。登場人物とばっちりシンクロしちゃえば恥ずかしさなんてどこかに行っちゃうし。
その後は軽く散歩なんかしちゃったりして、おしゃれなレストランで夕食、弾む会話はもちろん観た映画のこと。
そしていよいよ、送ってもらう家の前で。
「ええっ、人が見ているかもしれないのに……」
いきなり志貴くんが私を抱きしめちゃうんだ。
「構わないさ」
今日の志貴くんはなんだか大胆、やっぱり先ほどの映画の影響かな。
わたしは目を閉じてそのときを待ちつづける……。
ゴン。
「……ゴン?」
目を開けたら顔の横に薄汚れたダンボールが落ちていた。
「夢? なんだ……」
そう、分かっている。
ここには志貴くんはいない、それどころか誰もいない。
わたしの予定では夢のようになっているはずなのに。
……現実は。
「死ねっ!! ロアの手先!!」
ジャキンッ!!
「ひいいっ!!?」
とか。
「滅びなさいっ!! 教会に仇なすものよ!!」
ばしゅ!! ばしゅ!!
「きゃああああ!!!?」
とか。
「貧乳で悪かったわねえええ!!!!!」
ギュインギュインギュイン!!!
「にゃっ!? にゅ!!? にょ!!!?」
……とか。
「へい、お客さん運がイイね、精力剤これで最後アルよ」
「琥珀さん、なにやってるんですか……」
「えっ、わ、わたし琥珀さんなんかじゃありませんよ、ただの友達思いな中国からやってきた薬売りです……べ、勉強するアルよ〜」
「……ちょっと姉さん、なにやってるんですか」
「ええっ!? 翡翠ちゃんまで、どうしてえ?」
「教えてあげますから今日はもう帰りますよ」
「あう〜、ちょっと引きずるのはやめて〜」
……これだ。
「はあああ……」
思わず漏れてしまうため息。
ついこの間まではなにも知らずにいた世界に引きずりこまれ。
生きるためにヒトの血を吸う毎日。
それでも明日こそは幸せになれることを夢見てわたしは再び眠りにつく。
光を避けるために見つけた廃ビルの片隅で。
「うええええん、もういやだよ〜」
……そしてまた今夜も追いたてられている。
飢えに耐えかねてさ迷いでた、ひっそりと静まり返った町中で。
ようやく見つけた獲物に飛びつこうとしたときに受けた衝撃。
それからはお約束の展開。
刃物を向けられ殴られ蹴られ投げ飛ばされ。
暗がりに身を潜めたわたしの耳に『こっちよ』とか『逃がしません』とか聞こえてくる。
今度こそ、もう終わりかも。
きっとなにも残さずに消えてしまうんだ。
抱きしめた体の震えが止まらない。
「こっちよ」
……え?
誰なの?
顔をあげるとほんの数十センチのところで、赤い髪をした女の人が私に向かって手を伸ばしていた。こんなに近づかれているのに気がつかなかった? 背筋の凍るような感覚が脳髄へ伝わっていく。
「どうしたの? 助かりたくないの?」
表情はよく見えなかったけどその声と差し出された手は暖かそうだった。
だからわたしはその手を握った。
「いい子ね」
女の人が微笑む。
その日から新しい光を掴む為のわたしの特訓の日々が始まって……。
「軽く握った手を顎に当てて恥じらいのポーズ!! 視線はやや斜め下を向ける!!」
「もう、やだぁ……」
「色っぽくしなだれかかるときには息の当たる場所を考えて! そして決め台詞!」
「お願い……」
……何か違うような気がする。
「そして次は……」
「ちょ、ちょっと蒼崎……先生」
「なあに?」
あわてて言葉を付け足すとようやく表情が柔らかくなった。確かに先生ではあるけれど妙なこだわりを持っている人だ。
「わたしいったい何をやっているんでしょう」
どう考えてみてもわたしの想像としたイメージと違うような気がする。今までおとなしく従っていたけどさすがに我慢できなくなった。
こんなことを繰り返していたってあのふたりには勝てないと思う。
「もちろんオとす……あ……」
「『あ』ってなんですか!!」
「ちゃんと役に立つから、騙されたと思って続けましょうね」
「思うも何も、思いっきり騙されている気がする……」
「さ、さあ! 分かったところで再開よ! 次は昨日のおさらいよ、後ろ髪をかきあげてさりげなくうなじを見せるポーズ!! ……って視線が冷たいわね」
「……これはなんの役に立つんでしょうか?」
「何かの」
「あの……」
「おほほ、冗談よ……これからちゃんとやるから」
「これから?」
わたしの突き刺さるような視線にも表情ひとつ変えることなく、先生は脇の鞄から何かを取り出した。
「はいはい静かに……じゃあとりあえず栽培○ンからね」
「いきなりそれですかああああ!!!」
「ある程度ダメージを与えると自爆するから気をつけてね」
「うわあああん!!!」
……そして数ヶ月後、わたしは今や立派な死徒として教会から目をつけられるようになった。
でもよくよく考えてみれば最初の目的ってこんなことじゃなかったような気がする……。
「神の裁きを受けなさい! 化け物!!」
風を切り裂くように三筋の刃が閃いて向かってくる。以前のわたしなら怯えて一歩も動けなかっただろう。でも今のわたしには避けるなんてたやすいこと。
「そんなおもちゃなんか当たらないよっ!!」
コンクリートの壁を蹴って空へ。
「ちっ、ちょこまかとっ!」
敵は暗闇の向こうで舌打ちをしているみたい。
ふふふ。
人家の屋根で待ちうけている影に狙いを向ける。鋭い視線がわたしを捉えたけれど怯んでいるわけにはいかない。
「アルクェイド、そっちにいきましたよっ!!!」
「分かってるわよ!!」
返事をしたことで一瞬反応が遅れる、チャンスかな。
「えいっ!」
「なっ!?」
残念、わたしの振り下ろした腕はがっちりと受けとめられていた。衝撃を利用して間合いを取ると、辺りの気配を探ってみる。
「くう、こんな手強くなっているなんて!! やっぱりとどめをさすべきでしたっ!!」
……今ごろ青子さんはなにをしているのかなあ。
「志貴君」
「青子さん」
(ここまでうまく行くとは思わなかったわ)
「……青子と呼んでくれなきゃいや」
(ふふっ、あの子を差し向けて気をそっちにそらさせる作戦は成功のようね)
「あ、青子。ぼかあもう、ぼかあもう!」
「ああ、そんないきなり! ああ、でもそんな強引なところも素敵よおっ!」
「えっ? 魔眼が効かない??」
とまどったような声をすりぬけて再びわたしは跳ぶ。
「アルクェイド、上っ!!」
「きゃっ!!」
と見せかけて空中で方向転換。
「……ってフェイント!!?」
「ぐはあぁっ!!」
今度こそわたしの足がシエルを。吹き飛んでいくシエルに追い打ちをかけようとしたとき、目の前にアルクェイドが立ち塞がった。
「シエル、しっかりしなさい!!」
……ま、いいかな。
これはこれで。
わたしは月を眺めた。
ああ、今夜も月が綺麗だ。
「月が綺麗だね、青子さん」
「そうね」