少年剣士

 『私のプロフィール』にも何処にも書いてませんが、私、実は子供の頃剣道をやってたんです。普通、「剣道をやってた」と言うからには、最低でも「段持ち、県大会何位」とかって感じで書きたいのですけど、そんな風に書いたら“嘘つき”になってしまうので止めときます。でも、どの位の実力だったかって事くらいは一応言っておかないといけませんよね。人には「初段だよ」と言う事が多いのですが、時と場合によっては、「初段くらい」と言う時もあります。こう言っておけば、この“くらい”が利いて、私は嘘つきにはならないのであります(実は段なんて持ってないのです)。出来れば「何段?」と聞かずに「何級?」と聞いて貰えれば助かります。

 私が通ってたのは剣道道場(「○○剣道クラブ」と言ってました)は毎週日曜日の午前か午後、ある小学校の体育館で催してました。それは小、中学生の頃の事です。先生は多いときで6〜7人、生徒は100人位はいたかもしれません。最初は、基礎だけをやるクラス、そして、小学校高学年(早い子で5年生あたりから)になると、面や胴などの防具を付けて稽古するクラスになります。中学生も同じクラス、但し稽古する相手は、対小学生というわけには行きません。中学生は中学生同士で稽古をします。大抵の練習生は中学生になると剣道部に入りますが、私はブラス・バンド部に入りました。その実力差はドンドン開いて行くのでありました。

 道場(体育館)に入るときは当然脱帽し、神棚が本来あるべきステージの方に向かって一礼、そして大きな声で先生方に一礼、「おはよーございまーす!!!!」と挨拶をします。この挨拶の声が小さかったりすると道場長にいきなり怒鳴られます。
 道場長は5段のK先生で、普段からとても厳しく、そしてめちゃくちゃ怖い先生でした。私の記憶では笑ってる所のイメージがないのであります。ですから、道場内はいつも緊張した雰囲気が漂ってました。無駄口を叩いたり、手を抜いて稽古してたりすると竹刀で思いっきり叩かれます。これが面を付けていようがいまいが、頭にバチンと来るんです。怖いですよぉ、ホントに。当時の私にとってK先生は、小中学校のどの先生よりも、自分の親よりも怖くカリスマ性のある人物で、毎週道場に行くときはかなり緊張したもんです。

 それからナント、ここの道場へ通う為の月謝とかはないのであります。つまりK先生達の本職は剣道の先生ではなく、他にまた別にあって、ボランティアで子供たちに稽古をつけてくれるのでありました。素晴らしい事です。そして、「文武両道」と言う言葉の通り、私達生徒は道場へ来る前には必ず1時間以上勉強をして、それを稽古前に大きな声で先生の前で報告し、時にはK先生が勉強を教えてくれたりもしたのです(K先生は大学の教授でした)。私は勉強するのが嫌で、「今日は漢字練習をしてきましたぁ!!」とウソの報告をすると、「だったらそれを書いてみなさい」と言われてしまい、しょうがないので“安田信二”と自分の名前を書くと、「君は自分の名前を漢字練習してきたのか?」と聞かれてビビッてしまい、それ以来は一応真面目にやってました。

 私はこの道場の同学年の生徒の中では、実力、経験、体力、根性、やる気、才能、どれをとっても最低ランクで、多分それに関しては、先生方も当時の仲間達も全員一致した考えになるはずです。何しろ本人の私もそう思うのですからそれだけは絶対に間違いないです。ですから、“進級テスト”と言うのが半年に一度あるのですが、私はいつもみんなより遅れをとっていて、それがどうも好きにはなれませんでした。

 そしてまた、進級テストの季節がやって来てしまいました。進級テストの時は、ほとんどの保護者達も観にきますし、休む生徒もまずいません。そして、進級テストはK先生ではなく、町の名門道場のI大先生(段は、10段か20段位だったと思います)を招いて、本格的に行われるのでありました。I大先生は、かなりのおじいちゃんで、私にはちょうど社会の教科書に出て来る“東条英機”に似てる様に見えました。つまり目がねにスキン・ヘッドです。印象は豪快と言うよりは、無口だけど威圧感があると言った感じでした。I大先生が道場にいらっしゃると、K先生達は全員総出で入り口にお迎えに上がります。いつもは怖いK先生も大変緊張してる様でした。私は、世の中にはあのK先生にも頭の上がらない人がいるのだと知り、子供心に衝撃を受けたのを今でも憶えています。生徒達は皆、K先生があんなに緊張して平身低頭となってるのを見て、「こりゃド凄いお方がいらっしゃったぞぉ!」と言う思いでいっそう緊張していました。しかし、同学年のカズヤ君だけは恐れ多くも「あのハゲ茶瓶は、子供の頃からきっと剣道しかやってないバカだぞ」と鼻を垂らしながら言ってました。「おい、カズヤやめろよ!聞えたらK先生に殺されるぞ!」と先輩や同学年の私達は注意をしましたが、彼は更に「きっと漢字テストなんて、いつも0点だったんだぜ」となんで“漢字テスト”が出て来るのかは知りませんが、彼の偏見で言ってました。カズヤ君以外の者は、たとえカズヤ君と同じ様な事が頭の中に浮かんでも、自らその考えを消し去るようにしてました。しかし、実は私の目にも「何だかモウロクしちゃってるのかな?」と映ってしまってたのも事実でした。私は「いけない、いけない、そんな事ないぞぉ。I大先生は凄いお方なんだ」と一生懸命思い込もうとしてました。きっと他のみんなもそんな風に思ってたと思います。

 進級テストは級の下の者からペアで行われます。審査が終るとその日のうちに発表されます。道場には学年お高い順にまえから整列し、進級状をI大先生が読み上げ、ひとりひとり前へ出て進級状を受け取ります。この読み上げる順序は上級者から順に読み上げます。これはつまり、学年の順とほとんど一緒なんですが、同学年の中でも多少の差は当然つけてあります。私の学年で一番上手い者が、例えば2級だとすると、普通のやつが2級の下、私あたりは3級の上と言う感じになります。そして、私の1学年年下の一番上手い者は私の3分の1級下の3級、もしくは私と同じ3級の上になるのです。ですからI大先生が一番上手いやつの級を読み上げたところで、私などは「今回俺は○級かぁ」と判ってしまうのでした。

 さあ、みんな息を飲んでI大先生の進級の発表を聞きます。大まかな挨拶はI大先生ではなく、K先生がみんなに話し、I大先生は進級状を読み上げて本人に賞状の様に手渡すだけであります。保護者を含め200人以上は集まってる体育館はシーンとして、緊張感に満ちてます。それは自分が何級かと言う事でドキドキするのではなく、もし無駄話をしたり、進級状の受け取り方がまずかったら、K先生の逆鱗に触れてしまうのではないかと言う恐怖感からであったのです。I大先生は次々と名前と新しい級を読み上げて、道場生に進級状を渡していきます。私の前のカズヤの番が来ました。「○○カズゥヤァ〜。3級のぉ………」ここまで読み上げたところでI大先生は止まってしまい、思わず道場生の間からざわめきが出そうになりました。何故かというと、カズヤ君の前に読み上げられた同学年の子が“2級”でしたので、カズヤ君は同じ“2級”か悪くても“2級の下”になるはずなのにI大先生が「3級のぉ……」と言ったからです。しかし、ここで物音一つでも立てるわけには行きません。そんなことしたら、K先生が………。みんなはなんとかこらえました。そしてI大先生も「3級のぉ……2級!」と言い直しました。でも“3級の2級”って何だ?つまり“2級”って事だよなぁ。なんだかおかしかったのですが、笑ったりしたら大変な事になると言う事はみんなが知ってます。私達も笑わない為に必死です。そして、今度はいよいよ私の番のはずです。するとI大先生は進級状を見つめたまま、「ア・ア・ア・ア……」と言い始めました。するとここですかさず、K先生とは別のH先生が小声で、「ヤスダです……ヤスダです」と耳打ちしてました。H先生やI大先生と私の立ってる場所は10mは離れてるはずなのに、体育館がシーンとしてるので、しっかり聞えてしまうのでした。その瞬間先程カズヤ君が言ってた「漢字テスト0点」を、多分、それを聞いてた全員が思い出したはずです。H先生が「安田(ヤスダ)です」と教えたところで、普通だったら「ア・ア・ア・ア……ヤ・ヤ・ヤスダァ!2級の下!」と来るところ、今回のI大先生はH先生の声が聞えなかったのか「ア・ア・ア・ア………アン・アン・ア〜ンデェ〜ン!」と読んでしまったのです。「おい、俺はアンデンではなくヤスダだぁ!」と私が思った瞬間、みんなは思わず吹き出してしまいました。すると、すかさずK先生の竹刀が一番前に立って並んでいる先輩達から順番に、“バチン!バチン!バチ〜〜〜ン!!!”と襲って来ました。「笑うなぁー!!!」。凄く怖かったです。私達は震え上がりました。しかし、吹き出す事が出来なかった私のところまでは竹刀は来ませんでした。それにしても、私の名前を「アンデン」と読んだ人って、後にも先にもこれが最初で最後だと思います。カズヤ君も進級テストが終ってみんなで帰る途中、「俺は3級の2級だぜぇ」と鼻を垂らしながら騒いでました。
 K先生には私達に怒る前にI大先生に私の名前、“安田信二”を「ヤスダシンジ」と教えといて貰いたいモンです。“文武両道”なんですから。当然私はそんな事をK先生に面と向かって言えるわけがありませんでしたが………。

 あれから半年が経過して、またまた進級テストの季節がやって来てしまいました。半年経つと、半年前の悪夢は全員が忘れてる様でした。その間にも私達は何度も怒られていたので、当然かもしれません。そして、テストが一通り終り、I大先生が新しい級を読み上げる時が来ました。私は今回も同学年の子の中では一番下のはずです。みんなよりも2〜3年遅く剣道を始めたので、これだけはしょうがないのであります。でも、空しいのも確かです。
 同学年生でまだ呼ばれて無いのは私とカズヤくんだけです。やっぱりカズヤくんが先に呼ばれました。「○○カズヤァ〜。2級のぉ………1級の下ぇ〜!」。その時です、私の前に並んでる先輩達の肩がかすかに震え始めました。そして、横にいる同学年の友達の顔をちらっと見ると、顔を真っ赤にして、口をつぐんでいます。そうです、今ので半年前の“アンデン事件”を全員が急に思い出してしまったのです。「もしかして俺はまたアンデンかぁ?」と私は思いましたが、回りのみんなは笑ったら恐ろしい事になると分かっているので、その笑いをこらえるので必死です。お葬式の時に絶対に笑っちゃいけないのに、何かおかしな事があり、それを必死になってこらえる時の気まずさにも似た雰囲気がありました。とても頭の回転の早いH先生はそれをいち早く察知し、なんとか「アンデン」と読ませないようにしようとしてるのが私には判りました。あのダダ広い体育館にこれだけの人数が集まって、シ〜〜ンと静まり返ってるのも、緊迫感が増す原因の一つかもしれません。前を見ると、先輩達の肩はまだ相変わらず震えていて、45度の角度で下を向いてます。そして、隣の人と肘を突き合っているのです。こんなんでもし、I大先生が「アンデン」と言ってしまったら、みんなは笑いをこらえる事が出来るのでしょうか?
 I大先生がいよいよ私の名前を読み上げます。この時みんなは一斉に息を止めました。I大先生、「ア・ア・ア・」、で・出たぁ!アンデンかぁ!と思った瞬間、H先生が「ヤスダです」と耳元で言いました。前回はそれがI大先生に聞えなかったのか、間に合わずそのまま「アンデン」と言ってしまいましたが、今回は大丈夫なんでしょうか?
 「ア・ア・ア・ア………アン・ア〜……、ヤスダァ〜!!!」
この瞬間、みんなの安堵のため息が一斉に体育館中に洩れました。「 フゥ〜〜〜」しかし!!!!まだファースト・ネームが残っていた!!
 「ア・ア・ア・ア………アン・ア〜……、ヤスダァ〜!!!……ン〜〜〜〜…………ノブジィ!!!………」
俺は“ノブジ”じゃない!!!“シンジ”だよぉ〜!!!体育館では大爆笑のすぐ後に竹刀で生徒の頭を叩く“バチン、バチン”と言う音がいつまでもこだましてました。


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