「朝の音」
我が家では、日曜の朝だけがパン食だった。それ以外の食事は必ずご飯食だったから、ひとつの決め事だったとも言えるかもしれない。
小学校低学年の頃、日曜の朝食には焼いた食パンと一個の卵で作った目玉焼きとホットミルクだった。
我が家は古い木造の家だったのだが、日曜の朝は食卓だけが浮いた存在で、何となくよそよそしい雰囲気を出していた。
パン食の時は、父と母の食卓の中身と僕に出されるものとは二箇所、違っていた。
ひとつは、目玉焼きの卵が僕は一個で作られていたが、両親のものには二個使われていたこと。
そして、もうひとつは、マグカップの中身だった。僕の大きなマグカップには、いつもホットミルクが入っていた。それに比べて、父と母の小ぶりなカップの中には、コーヒーだった。
両親のカップから漂ってくるコーヒーの香りで、食卓だけではなく、家の中までもがいっぱいになった。今思うと、この香りも我が家には不釣合いなもののだったろうと思う。
それでも、そのコーヒーの香りは、本当に心地良いものだった。漂う香りの中にいると、部屋を模様替えしたときのようなうきうきとした気持ちになったものだ。
僕が母親に「僕もコーヒーがいい」と言うと、「コーヒーを飲むには資格がいるのよ」って決まって笑いながら言った。母から、このような洒落た言葉がでるのは、めったにないことだった。パートと内職を掛け持ちして、現実的な日常を送る母にとって、コーヒーは一つの娯楽であり、安らぎそのものだったのかもしれない。
母が笑うと僕もうれしい気持ちになるから、それ以上にコーヒーをねだることはしなかった。だから、僕は長い間、コーヒーの香りは知っていても味は知らないという時季があった。
いつだったのだろう。僕もいつの間にかコーヒーを飲む資格を手に入れ、今は曜日に関係なくコーヒーを飲んでいる。しかし、今でもコーヒーを飲む寸前にコーヒーが香るとき、僕はほんの一瞬だけ小学低学年に戻り、いつもの日曜の朝を迎える。
おわり
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