「チャーハン日和」


 四月から一人暮らしを始めた。

 二十二歳での始めての一人暮らしは、たいへんなことの連続だった。
 その中で最もたいへんだったのは、「食べる」ことだった。
 洗濯はしなくても死ぬことはないし、掃除などしなくともどうということはなかった。
 むしろ、散らかっている方が落ち着いたりする。

 しかし、毎日、毎食の食事だけはどうにかしなくてはならない。
 「食欲」の面倒臭さを感じたのは、生まれて初めてのことだった。

 よく一人暮らしをして、「親のありがたさがわかった」なんて言葉を言う人がいる。
 僕はそんな悟ったことを言うような人間が何となく嫌いだった。
 しかし悔しいが、今は食事を当たり前のように作ってくれていた母親に頭を下げたい気持ちだ。

 親に感謝するだけではお腹はいっぱいにはならない。しばらくはコンビニの弁当を買って暮らしていた。
 けれども、この生活はもたなかった。お金がどんどん消えていく。そして何よりわびしい。
 電子レンジの「チン!」という音の響きが独りぼっちの部屋に鳴り響くのが少しずつ耐えられなくなっていた。

 「自炊だ!」、ある日、追い詰められたように僕は叫び決断した。鍋もフライパンもある。米だって家から持ってきた。米びつがないため、冷蔵庫で活躍の場を静かに待っている。

 「時は来た!」再び叫び、近くのスーパーに足早に向かった。足早なところが決断の強さをあらわしていた。僕の作れるものは限られている。雑炊、チャーハン、目玉焼き、焼くだけなら焼肉もできる。がんばればカレーだって作れる。いや、作れると思う。

 データを総合的に判断して、自炊第一段は、チャーハンとなった。

しんぷる・いず・ざ・べすと。卵とベーコン、ネギ、それだけを買った。チャーハンは隠れた家庭料理だ。家によって入れる具も違うし、味付けも違うと思う。僕の家のチャーハンは卵とベーコンとネギを入れて、しょう油で味付けていた。

必要なものを買ってやはり足早に家に帰った。そこでやっと気が付いたのだが、チャーハンを作るためには、ご飯を炊かなくてはならなかったのだ。
 友達からもらった炊飯器はある。しかし、使い方がわからない。
 急遽、炊飯器をくれた友達に電話をする。操作方法を教えてもらうとそれほど難しくない。

 言われたとおり米を三回ほど洗い、炊飯器にスイッチを入れた。

 
 ご飯を炊けるのを待って、チャーハン作りにかかる。
 油をひいてから卵を炒め、ご飯をフライパンに入れる。ご飯がやわらかいのに気が付いたが見ないふりをした。
 チャーハンにはパサパサしたご飯が合うということを思い出したが忘れたふりをした。
 いろなんことを妥協した後、五分ほど炒めてから、しょう油で味付けた。


 皿に盛って完成! 見た目はふつうだ。
 しばらく眺めていようかと思ったが、温かい方がおいしいだろうと、すぐに食べることにした。

「いただきます」と一人でちゃんと言ってから、スプーンでやわらかいチャーハンをすくって、口に運んだ。

『おいしい』とか『まずい』でとかではなかった。

懐かしかった。チャーハンの味が小学校のとき、四つ上の兄があぶなかっしい手つきで作ってくれたチャーハンと同じ味だったのだ。
 両親が出かけていた時に作ってくれた兄のチャーハン。その味と十年ぶりに再会するなんて思いもしなかった。

 
 もしかしたら、僕の作ったものはチャーハンと呼べるようなものではなかったかもしれない。
 しかし、一人暮らし初の自炊は成功だと密かに胸を張っている。

                                                    END