「春の再会」

 どうしようもない俺にも、人に自慢できるものが、ひとつだけある。
それは、15年も前に作られた古い400ccのバイクだ。
つまらないバイトに費やした時間と引き換えに手にいれたものだ。

 バイト生活を始めた頃は、「何にも束縛されない生活」と周りの友人に誇らしげに言っていた。
それが、「何にも必要とされていない生活」と感じるようになるのに、それほど時間はいらなかった。
そんな慢性的に未消化な感情もバイクを走らせているときだけは空っぽにすることができる。

 今もバイクで曲がれくねった山道を走っている。
道の両脇には、満開の桜の木が並んでいる。舞い散る桜が後ろに流れていく景色は、夢の中のもののようだ。

 「意外に、有名な観光名所かもしれない」、そう思った瞬間、目の前に老人が飛び出てきた。
いや、俺がその老人の前に飛び出てしまったのかもしれない。

 身体を倒し、老人を避けようとした。俺はバイクに振り落とされ、地面を転がった。
そして、身体は一本の桜の木にぶつかり、止まった。

老人は? バイクは? 

 心の中で言いながら、ゆっくりと目を開けると、すべてがセピア色だった。

 「俺はこの舞う桜を知っている」

 ふいにそう思った。
 俺に向かって心配そうに手を伸ばすこの老人も知っている。

 俺は、かつて春を告げる精霊だった。
 毎年、寒い冬が終わりかける頃、空から降りてきた。

 そして、桜の木に住み、近くの村の子供たちとだけ言葉を交わし、遊んでいた。
 桜の花を散らし、春の終わりを告げるのも俺の仕事だった。そう、この仕事が嫌で俺は精霊をやめたのだ。

それは、あまりに唐突で、現実離れした記憶だった。

 しかし、知っている。心配そうに俺を起こそうとしているこの老人が少年だった時の顔も。

 「久しぶりだね」、俺は老人の手を握った。
 春の再会だった。

                                                   END