「サイダーハウス・ルール」


 この映画を観るつもりは、なかったのだ。久しぶりの平日休みは、「スチュアート・リトル」を観る予定だった。…が、私にとっては、久しぶりの平日休みでも、お子さまにとっては、長い夏休みの一日であった。チケット売り場の行列を見て、急遽、予定を変更。

 時間の近い映画を探すと、「サイダーハウス・ルール」があった。正直、全く前知識がなかった。暑い日差しの下、いつまでも外にいるのは辛く、「サイダーハウス・ルール」のチケットを素早く買い、劇場へ。

 空いていた。「はずれ映画かも…」の悪い予感が頭をよぎる。しかし、うれしくも予感は外れ、大当たりであった。

 舞台は、病院の備えられた辺境の孤児院。もう、なんだかこれだけで、泣けてきそうだ。後に知ったのだが、監督はあの「ギルバート・グレイプ」のラッセ・ハルストレムであった。どうりで、泣かせるのが巧いはずだ。

孤児院で育ち、外の世界に憧れる純朴な青年をトビー・マグワイアが好演。彼に医療技術を教えたマイケル・ケイン演じる老医師は、彼を後継者に考える。しかし、法に触れてまで、堕胎手術を行う老医師に大きな感謝と尊敬を持ちながらも、堕胎手術に意義を見出せない。そして、憧れつづけていた外の世界に飛び出し、りんご農園で仕事をし、恋に落ちる。彼は、孤児院にはなかった種類の幸福を見つけたのだろう。けれども、幸福と同じだけの悲しみにも触れ、いくつかの決断を迫られる。そこで、彼のした決断は、孤児院の老医師に通じるものだった。

 「決まりごと」と「決めること」は、違う。人は、「決まりごと」の中で生きるけれど、誰にも「決めること」はできるのだ。そして、時には、「決まりごと」より、「決めること」の方が重いことがある。この映画から学んだ教訓の一つだ。そして、もう一つの教訓は、空いた劇場でも、おもしろい映画は観られるということだ。

おわり